シチリアとマルタ―言語の交差点

2020年6月13日 (土)

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第6回)

五 ゲルマン時代/ビザンティン時代の言語事情

 ローマ帝国の東西分裂と西ローマ帝国の弱体化、それに付け入る形でのゲルマン人の膨張・大移動という地政学状況の変化は、それまでローマ帝国の支配下にあったシチリアとマルタの言語事情にも微妙な影響を及ぼした。
 シチリアには440年、ゲルマン系ヴァンダル人がガイセリック王に率いられて侵攻し、ヴァンダル王国の版図に編入した。その後、476年以降は、衰退したヴァンダル王国に代わって同じゲルマン系東ゴート王国が侵攻し、535年までシチリアを支配する。
 この間、シチリアはおよそ100年近くゲルマン系王国の支配下に置かれていたのであるが、そのわりにゲルマン語の影響性はほとんど見られない。ごくわずかにゴート語の影響を残す単語が散見される程度で、ローマ時代に礎石が置かれたラテン系のプロト・シチリア語の構造は変化しなかったと見られる。
 これは、ゲルマン系王国のシチリアでの支配密度がさほど高くなく、ゲルマン語を公用語として強制するほどには強力な統治が行われなかったことを示している。
 ローマ時代、シチリアと包括して属州化されていたマルタも同様に、454年から464年まではヴァンダル王国、464年から533年までは東ゴート王国の支配下に置かれたと考えられている。しかし、ここではその支配を示す考古学的証拠すら未発見であり、支配密度はシチリア以上に低かったようである。そのため、マルタ語にゲルマン系言語の痕跡を見出すことはできない。
 シチリア・マルタのゲルマン支配は、ともに6世紀前半には終焉し、続いて支配者となるのは東ローマ=ビザンティン帝国である。ビザンティン帝国は、ローマ帝国の中世における継承者として、当初はラテン語を公用語としながらも、それ自身が多言語国家であった。
 とはいえ、ビザンティン帝国の実態はギリシャ人主体の国家であり、共通語(7世紀以降は公用語)はギリシャ語であった。このビザンティン・ギリシャ語、または中世ギリシャ語と呼ばれる新しいギリシャ語は、ビザンティン帝国内のリンガ・フランカとしてもラテン語以上に普及していた。そのため、シチリア・マルタでも広く通用したはずである。
 特にシチリアではギリシャ語が広く使われたが、現代シチリア語に占める15パーセント弱のギリシャ語起源の単語が、ギリシャ植民時代のギリシャ語と、ビザンティン時代のギリシャ語のいずれに由来するか、またはギリシャ語を取り込んだラテン語を経由しての摂取なのかは同定し難く、ビザンティン・ギリシャ語固有の影響性いかんは測り難い。
 一方、現代マルタ語におけるギリシャ語の影響は認められない。これは、ビザンティン時代のマルタの戦略的重要性が限られていたことに加え、後のアラブ人支配の時代の刻印が圧倒的に強く、言語基盤そのものを上書きしてしまったことによるのであろう。

2020年1月11日 (土)

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第5回)

四 ローマ時代とラテン語

 シチリアとマルタは、紀元前3世紀後半、カルタゴを破ったローマ帝国の手にほぼ同時に渡った。当時のシチリアとマルタには、言語文化的に相違があったが、ローマ的地政学によれば、シチリアとマルタは一体的と認識されたから、両者を統合して「シキリア属州」が置かれた。
 このローマ支配の時代は、シチリアでは紀元5世紀前半、マルタでは同6世紀初頭まで数世紀という長きに及んだため、この時代に、両者はローマ化されることになる。ローマ支配下の公用語は、ラテン語である。しかし、それによって直ちに言語交替が起きたわけではない。
 現代シチリア語は、たしかにラテン語と同系統のロマンス諸語に属するとはいえ、このようなラテン語からの派生言語が確立されるのは中世以降のことであり、古代ローマ時代は行政用語としてのラテン語と人々の日常使用言語は一致しなかったと考えられる。
 シチリアでは、おそらく日常的にはギリシャ語がかなり普及していたはずであるし、マルタではなおもフェニキア語またはフェニキア語とギリシャ語とのバイリンガルが続いていたと考えられる。
 特にマルタでは、最終的にセム語系言語に確定し、ラテン語系言語は定着しなかったことを見ると、マルタは穀倉地シチリアほど重視されず、支配密度が高くなかったせいで、ラテン語自体も統治者ローマ人の言語という以上にはほとんど普及しなかったものと考えられる。
 もっとも、現代マルタ語はラテン語の影響を受けたアラビア語シチリア方言を介してラテン系要素を濃厚に持つが、これはローマ支配が終わったずっと後に、イスラーム勢力の支配下で起きた言語交替に起因しており、ローマ支配時代の言語状況とは無関係である。
 また、現代マルタでは1934年までイタリア語が公用語とされていたため、イタリア語の普及率も高いが、これは19世紀にマルタを再びイタリアに「回収」しようという政治運動の過程で、近代イタリア語がマルタで普及したためであり、これまたローマ支配とは無関係である。
 一方、最終的にロマンス語系に確定したシチリア語の場合、ローマ支配時代に将来のロマンス語系言語の基層が形成されていたのかどうかは、一つの問題である。この時代に、ローマ化されたエリート層の間で、先史言語やギリシャ語も吸収したラテン語のシチリア方言的なプロト・シチリア語が形成され始めていた可能性はあるかもしれない。
 しかし、シチリアはローマ帝国滅亡後、ローマの手を離れた後、イスラーム勢力を含む様々な外来勢力または国の支配をめまぐるしく受け、そのつど支配言語も変化する中で現在の形に形成されていったことを考えると、ローマ支配時代のラテン語は礎石段階にとどまったと考えられる。

2019年10月19日 (土)

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第4回)

三 フェニキア人の植民とマルタ語

 フェニキア人の入植活動は地中海域全般に及んだから、マルタ島もその例外ではなかった。紀元前8世紀頃、フェニキア人の最初期の拠点であった現レバノンのティルスから最初の集団的な入植があったと見られ、フェニキア人の古代墓地が現代でも確認できる。
 マルタという島名は、元来はフェニキア人植民都市イムディーナと近隣のラバトを併せた呼び名「マレス」(安息地の意)に由来するもので、これがやがて全島の島名となったものである。よって、現在では国名ともなったマルタという語は、フェニキア語に由来する。
 その後、ティルスの植民都市として現在のチュニジアに建設されたカルタゴがフェニキア人最大の拠点となると、紀元前6世紀半ば以降、マルタもフェニキアの属領となる。
 この後、フェニキアがローマに敗れ、マルタがローマ領となるまでの数世紀はフェニキア人の支配下にあって、この間の共通語はフェニキア語であったから、現代マルタ語の基層にフェニキア語が存在しても不思議はないはずである。しかし、どうもそうではない。
 現代マルタ語もフェニキア語(絶滅言語)もともにアフロ‐アジア語族セム語派に属しているが、現代マルタ語はアラビア語の方言という位置づけにあり、フェニキア語とは系統が異なっている。実際、現代マルタ語の語彙のおよそ60パーセントがアラビア語系と分析されている。
 一方、マルタがシチリアと異なるのは、ギリシャ人の直接的な入植を受けなかったことである。ギリシャ人も地中海全域で入植活動を展開したことに鑑みると、マルタ島を素通りしたのは不思議というべきだが、ギリシャ植民都市の痕跡が存在しないことはたしかである。
 その代わり、マルタはフェニキア人支配時代に地中海における貿易活動の重要な中継点となり、これを通じてギリシャ文明が浸透、いわゆるヘレニズムの影響を受けた。ヘレニズムは建築等の美術にとどまらず、言語においてもギリシャ語が用いられるようになった。
 ただし、フェニキア語との二言語併用であり、フェニキア語がギリシャ語に言語交代したものではない。おそらくは、この時代のフェニキア人自身がフェニキア語とギリシャ語のバイリンガルであったと考えられる。
 紀元前3世紀後半にマルタがローマ帝国の手に落ちたが、その後もしばらくはフェニキア語とギリシャ語が生き続けたことが、紀元前2世紀代の大理石台座メルカルト・チッピに刻まれたフェニキア語と古典ギリシャ語からも判明している。

2019年9月12日 (木)

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第3回)

二 フェニキア人・ギリシャ人の植民とシチリア語

 シチリアとマルタにおける本格的な文明時代の始まりは、フェニキア人・ギリシャ人の植民活動によってもたらされる。特にシチリアには紀元前8世紀頃から両民族の入植が開始されるが、入植時期はフェニキア人がやや先行したようである。
 フェニキア人の言語はアフロ‐アジア語族セム語系に属し、ヘブライ語とともにカナン諸語に包含される。フェニキア人はシチリア島西部に入植し、代表都市パレルモを建設した。当時の都市名はフェニキア語で「花」を意味するジズといった。
 やがてフェニキア人の拠点は北アフリカの植民都市カルタゴに置かれるようになり、シチリア島西部のフェニキア都市もカルタゴの覇権領域に組み込まれた。やがて、フェニキア‐カルタゴ人は、フェニキア人にやや遅れてシチリア島へ渡来してきたギリシャ人とシチリアの領有をめぐって数世紀に及び抗争するようになる(シケリア戦争)。
 シチリアへ渡来してきたギリシャ人は、ドーリス人と呼ばれる系統に属しており、ギリシャ本土ではコリントスやスパルタの建国民族であるが、このうちコリントス人の一部がシチリアへ移住し、シラキュサイ(シラクサ)をはじめとする多数の植民都市を建設した。
 これらドーリス系ギリシャ人がもたらした言語は古代ギリシャ語ドーリス方言と呼ばれるものであり、シラキュサイをはじめとするシチリアのギリシャ植民都市では共通語として使用されていたと考えられる。その影響は先住民にも及び、シケル語などもギリシャ文字で記述されるようになった。ジズも、ギリシャ語で「すべて港」を意味するパノルモスと呼ばれ、やがてパレルモに転訛した。
 ギリシャ語起源の単語はロマンス語系の現代シチリア語の単語の中では15パーセント弱を占めるにすぎないが、順位としてはラテン語起源に次いで二番目であるから、ギリシャ語の影響は基層的なレベルでは相当のものだったと言える。
 ただし、現代シチリアの言語分布を見ると、ギリシャ語は北東部の都市メッシーナ(旧ギリシャ植民都市メッセネ)のごく小さなギリシャ人コミュニティーに残されているにすぎない。おそらくは、後にシチリアがローマの版図となり、ローマ化される中でギリシャ語はラテン系の新言語の中に吸収されていったのであろう。
 他方、フェニキア語については、現代シチリア語にその痕跡は見られない。その理由は、フェニキア人の入植はギリシャ人よりも限定的であったこと、最終的にローマに敗れてシチリアを放棄したことによるものと思われる。

2019年8月14日 (水)

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第2回)

一 シチリアとマルタの先史/最初期言語

 先史時代とは、最も端的に定義づければ、文字が発明される以前の時代をいうから、文字化されない口頭言語であった先史言語を特定・再構することは不可能であるが、推定することはできなくない。シチリアとマルタの場合、先史時代はともに巨石文化圏にあり、遺跡も残されている。
 特にマルタでは世界遺産にも登録されている紀元前3000年代まで遡る新石器時代の巨石神殿群が見られ、巨石文化圏でもかなり発達していたと考えられる。シチリアでも、もう少し地味ではあるが、やはり巨石記念物が見られる。*マルタには紀元前5000年代以来、シチリアからの移住者があったとされる。
 先史ヨーロッパに広く分布したこれら巨石文化を担った民族は不詳であるが、コーカサス地方を出自とするハプログループGを共有していたと推定されている。このグループは現在では原郷のコーカサス地方に集中し、多様な少数言語を含むコーカサス諸語を話す。
 ここから推定すれば、シチリアやマルタの巨石文化担い手民族も、コーカサス諸語のいずれかに近い言語を共有していたと考えられる。しかし、現在、シチリアとマルタで使用される言語に、コーカサス諸語との共通性を見出すことはできないので、この先史言語Xは絶滅したと見てよいだろう。
 巨石文化が終わった後の両者の歴史は分かれる。シチリアには、シカニ人やエリミ人、島名の由来でもあるシケル人といった新たな民族が移住してきた。かれらがギリシャ文字を使用していたことはわかっているが、言語はギリシャ語ではなく、その特定はほぼ碑文に限定される文字史料の少なさから困難である。
 特に島名由来でもあるシケル人の言語(シケル語)は比較的豊富な碑文から研究されており、印欧語族系との推定がなされているが、同定されるに至っていない。ただ、エリミ語についても印欧語族系と推定されているから、これらポスト巨石文化時代のシチリアの言語はおおむね印欧語族系であったと想定することはできる。
 しかし、こうしたシチリア最初期の印欧語族系諸言語が印欧語族ロマンス諸語に分類される今日のシチリア語の最古層にあるかどうかは不明であり、既存文字史料の解読とさらなる文字史料の発見を通じた最初期言語の再構を必要とするだろう。

2019年7月 4日 (木)

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第1回)

序説

 シチリアとマルタは、ともに地中海の景勝地として近距離にあるが、歴史的にも連関性の強い島嶼である。とはいえ、現在シチリアはイタリア領の離島自治州であるのに対し、マルタは人口わずか40万人ながら独立国であるというように、地政学的には相違がある。
 また使用言語に関しても、シチリアは帰属するイタリアの公用語であるイタリア語を共通語としながらも、シチリア固有のシチリア語を主要な地方語とする二重言語地域であるが、マルタは固有のマルタ語と英語を併用公用語としながら、旧公用語であるイタリア語もかなり通用する。
 複数言語併用という言語状況の点では共通しながらも、使用言語のコンポーネントには相違が見られる。特に固有言語のシチリア語は印欧語族ロマンス諸語に属する言語であるのに対し、マルタ語は欧州地域の公用語中で唯一の阿亜語族に属し、アラビア語と近縁な言語である。このように、シチリアとマルタは固有言語の点でも大きな相違を成す。
 両者は地政学的に外部勢力に攻め込まれやすく、めまぐるしく支配者が交替してきた歴史を持ち、中世にはイスラーム勢力の支配下にも置かれた。現在の言語状況もそうした歴史の結果であるが、片やシチリアでは印欧語族系ロマンス諸語が定着し、マルタでは阿亜語族系言語が定着した。この相違はどこから生じたのか―。
 この問題が本連載を貫く主題となる。そうした言語発展史という点では、言語発展の問題をより一般的に扱った先行連載『言語発展論』から派生し、地方言語に焦点を当てた連載という性格を持つ。
 同時に、これを通じて、歴史的にしばしば戦乱を招いてきた対立緊張関係にある印欧語族と阿亜語族との交錯と混淆という問題にも到達するだろう。シチリアとマルタは、水と油のごとくに見える印欧語族と阿亜語族が出会う交差点のような位置にあるからである。

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