昔は弾圧、今は黙殺

shadow夢に仙人のような老人が現れ、言った。「おぬしがいかに共産論を熱心に唱えようと、現代人は見向きもしないじゃろう」。理由を尋ねると、「現代人はそれだけ現実変革への想像力も創造力も失い、堕落し切っているからじゃ」とのたまう。反論しようとした瞬間、老人は消えた。
痛いところを突かれた思いである。たしかに、共産論は黙殺されることのほうが多いかもしれない。ただ、戦前であれば、私のような者は黙殺では済まず、共産主義者を取り締まる治安維持法違反で逮捕され、おそらくは拷問死ないしは獄死しただろう。
現代日本のように、法制上は言論の自由によって共産主義思想の唱導をも保障する国では、もはや暴力的な弾圧は受けない。その代わり、黙殺される。黙殺は本当に生命を奪うわけではないが、やはり一つの殺し―精神的殺人―である。それは論者の存在価値を抹殺する行為だからだ。
戦前の共産主義者は弾圧との闘いを強いられたが、現代のコミュニストは黙殺との闘いを強いられる。どちらが困難な闘いかといえば、やはり本当に命がけの前者だろう。少なくとも、現代民主国家のコミュニストは生命をかける必要はなくなった。が、生活をかける必要はある。 

2017年5月
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