因果律を確信する

shadow最近、アメリカ映画を観ていたら、主人公が「自分は遺伝説を信じない、自分の人生は自分で切り拓くものだ」と後輩に説教する場面があった。実例として、自分の親は本も読まない人物だったが、自分は大量の本を読み漁り、著書も出しているというのだった。典型的にアメリカ的イデオロギーの吐露であり、日本人にも深く頷く人が多いかもしれない。
しかし、私は最近、ますます原因‐結果の因果律を確信するようになっている。物事も人の人生も因果律に支配されており、自分の意志で変えられるのは、因果律の範囲内でのわずかな部分である。私自身が漂着した草の根ブロガーという現在位置も、長くなるので端折るが、因果律で説明がつく。
映画の話はあくまでもフィクション、通常は家に本がない環境で育った子供が本の虫になる可能性は乏しいだろう。もしそういう変異が生じたとすれば、例えば良い教師との出会いといった偶然のなせるわざ。ところが、そういう人との出会いにすら、因果律が働いている。
ただし、遺伝的要素については柔軟に考える。遺伝は因果律の生物学的基礎ではあるが、それは環境的要素によって後天的に、かつ好転・暗転どちらにも変化させることができる。しかし、自分の意志一つでどうにもなるというような簡単なものではなく、やはりそこには因果律が働く。
共産主義とて、こうした因果律の支配を除去はできないが、その作用を人為的に緩和することにより平等・公正で、苦悩の少ない社会を建設しようという試みと言えるかもしれない。反対に、アメリカ的イデオロギーである自由市場主義は、因果律を隠して、すべてを自由意志で包み込んでしまうことにより不平等・不公正には目をつぶるのだ。

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