アフリカ黒人の軌跡

2017年5月11日 (木)

アフリカ黒人の軌跡(連載第4回)

一 「残アフリカ」した人々

三大言語系統の形成
 アフリカ黒人を最も重要かつ客観的な民族的指標である言語を基準に分類すると、(Ⅰ)コイサン諸語、(Ⅱ)ニジェール・コンゴ語族、(Ⅲ)ナイル・サハラ語族の三言語人系統に大別されるとするのがおおむね通説となっている。
 このうち、前回見たコイサン諸民族を包含する(Ⅰ)群は、アフリカで―より広く現生人類中でも―最古の言語を持つ諸族である可能性が高い。
 (Ⅱ)群は現代のアフリカ大陸において話者数・言語数において最大のグループであり、中でもバントゥー語群が中核を成す。バントゥー諸語を持つのはバントゥー系諸民族であり、現代アフリカ黒人中でも最大勢力を成している。
 かれらの原郷は今日のナイジェリア‐カメルーン国境付近と推定されている。おそらくは南アフリカ付近で誕生し、「残アフリカ」したグループが北西へ移住することで形成された集団であろう。形成時期は紀元前2000年頃とされ、さほど古くはない。
 かれらはやがて農耕・牧畜を身につけて繁栄し、多数の部族に分かれて拡散を始めた。バントゥー人大移動である。言わば南アフリカへと回帰していく形で、アフリカ大陸中央部から南部にかけてバントゥー系諸民族の居住地域が拡大し、南部に残留していた(Ⅰ)群の狩猟採集民族をも吸収していったであろう。
 (Ⅲ)群は名称どおり、ナイル流域・サハラ砂漠を中心に広がる言語群であり、その歴史的な代表格はスーダンのヌビア人であるが、話者数で言えば、今日のケニアとタンザニアに分布するルオ族が最大である。
 かつてサハラ砂漠はステップ緑地帯であり、豊かな地域であったことから、古くから人類の活動が見られる。そうした古サハラ人の民族系統については十分明らかではないが、南アフリカからこのサハラ緑地へと移住していったグループの末裔がこの(Ⅲ)群に包含されるかもしれない。
 文明という観点から見ると、アフリカ黒人中、最も初期に文明国家を築いたのはヌビア人であった。かれらは紀元前26世紀にはナパタを都とする王国を形成し、隣接するエジプト文明の影響下に発展し、一時はエジプト自体をも併合するのである。

2017年4月14日 (金)

アフリカ黒人の軌跡(連載第3回)

一 「残アフリカ」した人々

コイサン諸民族の由緒
 アフリカ黒人の中でも最も古い由緒を持つと想定されているのが、コイサン諸民族である。コイサン諸民族とはコイコイ族とサン族の総称であり、ともに南部アフリカのカラハリ砂漠を中心とした地域で今日でも狩猟採集生活をする種族である。
 かれらは現生人類の系譜上最古の分岐を示すY染色体ハプログループAを高頻度で保有することから、初期現生人類に最も近いと考えられている。ただし、Aの保有頻度でみれば、今日の南スーダンの多数派ディンカ族も高頻度であるから、初期集団のスーダン方面への拡散も想定される。
 とはいえ、コイサン諸民族は現在まで現生人類発祥地をほぼ離れず、かつ狩猟採集の生活様式を固守している点(ただし、コイ族は牧畜民)、極めて保守的集団とも言える。かれらの保守性は形質的にも言語的にも顕著である。
 形質的には女性の臀部が脂肪によって大きく突出する脂臀が知られる。縮れ毛などの特徴は他のアフリカ黒人と共通だが、肌色はさほど濃くなく、黄褐色に近いことは、初期現生人類の形質的特徴を推定するうえで参照項になるかもしれない。
 言語的な特徴は、舌打ちするときの音に近い吸着音による音素が豊富であることである。コイサン諸語と包括されるかれらの言語に音素の種類が極めて多いのは、原初の言語が語彙よりも音素の区別によって様々な意味を表現していたことの痕跡と考えられる。
 もっとも、今日のコイサン諸民族が初期現生人類の直接の純粋子孫というわけではなく、かれらは後に今日のナイジェリア方面から南下してきたバンツー系の新たなアフリカ黒人集団と接触し、相当に混血もしたことにより、血統的にも言語的にも相互浸透し合って、今日のコイサン諸民族となったと見るべきであろう。
 そのため、今日のコイサン諸民族はかなりの多様性を示しており、かつて形質的に「カポイド」、言語的には「コイサン語族」と包括されたコイサン諸民族のくくりは、その有効性に疑問が持たれているところではある。

2017年3月23日 (木)

アフリカ黒人の軌跡(連載第2回)

一 「残アフリカ」した人々

豊穣だったアフリカ
 アフリカ黒人の発祥地は言うまでもなくアフリカ大陸であるが、そこは同時に人類そのものの発祥地と想定されている。中でも今日の南アフリカ共和国を中心とした南部アフリカは旧人を含めた古人骨の宝庫であることからして、南部アフリカがまさしく人類発祥地である可能性は高い。近年は、東部アフリカ説も有力で、論争は続くが、ここでは立ち入らない。
 ここが人類発祥地であったからには、その気候は人間にとってよほど最適のものであったと推定され、およそ20万年前に誕生したと推定される現生人類も、そうした良好な気候に支えられて大いに繁殖したものと思われる。
 しかし、繁殖は人口増・食糧難の要因となったところへ、温暖化によりアラビア半島に水上移動可能な環境が開けたことから、まずはアラビア半島・中東方面へと「出アフリカ」する集団が現れたと想定される。他方、「残アフリカ」した保守的集団の子孫が今日のアフリカ黒人となった。
 この「残アフリカ」組は、おそらく人口増の中でも食糧を確保する狩猟採集術に長け、あえて「出アフリカ」する苦難を選択する必要を感じなかったのだろう。実際、南部アフリカには今日でも狩猟採集を中心とした伝統的生活様式を守る少数民族が暮らしており、その伝統の強さを感じさせる。
 しかし、やがてこの「残アフリカ」組もその内部で人口増が生じたため、次第にアフリカ大陸を東西に北上して大陸全土に散っていき、新天地で多様な民族集団を形成し始めた。
 今日では南極を除けば世界最大級の過酷な砂漠であるサハラ砂漠ですら過去には豊かな緑地であったと推定されるごとく、先史のアフリカ大陸は現在よりはるかに豊穣な大地であったため、アフリカ黒人諸族は各地に拡散し繁栄し得たのである。
 ところで、最初の現生人類が果たして今日のアフリカ黒人と同様の身体的特徴を持つ人々であったかは不明であり、特に肌色はアフリカ大陸がまだ温暖であった時代にはさほど色濃くなく、アフリカ黒人はアフリカが全体として熱帯化していく過程に適応して形成されたとも推定できる。
 そうした意味で、アフリカ黒人は最初の現生人類に最も近いとはいえ、その純粋な子孫であるとまでは言えないであろう。ただし、現生人類発祥地に近い地域にその後もとどまった諸族は、形質的にも言語的にも原初現生人類の特徴をよく保存していると想定される。

2017年3月 1日 (水)

アフリカ黒人の軌跡(連載第1回)

小序

 本連載は、いわゆる「アフリカ史」ではない。「アフリカ史」という場合は、広大なアフリカ大陸全体の通史であり、そこにはエジプトやエチオピアといった古国の歴史も包含されることになる。しかしここで言う「アフリカ黒人」とは、旧来の人種分類上はネグロイドに属する諸民族を指す。
 従って、旧称いわゆるセム系/ハム系諸民族によって築かれ、今日でもその系譜を引くエジプトをはじめとする北アフリカやエチオピア、ソマリアなどは、「アフリカ黒人の軌跡」の舞台とならない。その一方、アフリカ大陸にとどまったアフリカ黒人はもちろん、大陸から南北アメリカ大陸やカリブ海方面に奴隷として連行され、定着したアフリカ黒人の軌跡にまで及ぶことになる。
 もう一点、「歴史」でなく、「軌跡」とした理由は、アフリカ黒人は一部の例外を除き、長い間無文字・口伝社会を維持したからである。無文字のまま相当な高度文化を築いた民族も存在する。このような場合、たとえ歴史はなくとも、たしかな軌跡はある。 
 人類学的知見によれば、最初の現生人類はアフリカ大陸で誕生したが、その後「出アフリカ」組と「残アフリカ」組とに分かれたとされ、後者から多様に派生したのがアフリカ黒人系諸民族と見られている。そうした意味で、アフリカ黒人は、歴史は浅いが人類としての軌跡は最も長い。
 そのような軌跡を時代的に追うことが、本連載の目的である。それを通じて、アフリカとアメリカの両大陸を股にかけて存在するかれらの史的動態を明らかにしてみたいと思う。それは同時に、先行の『世界歴史鳥瞰』ではほとんど割愛せざるを得なかったアフリカ黒人というアクターを改めて視野に捉え直す試みでもある。

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