〆ルクセンブルク―資本主義の優等生

2015年10月21日 (水)

ルクセンブルク―資本主義の優等生(連載最終回)

⑩ 展望的総括

 前回まで、資本主義優等生ルクセンブルクの秘密を探ってきたが、その特質を簡単にまとめれば、開放的で多角化された経済基盤に基づく高所得に支えられた資本主義経済ということになり、これを一つの資本主義モデル―ルクセンブルク・モデル―として認識することができる。
 このようなモデルはアメリカ型の自己責任的な自由主義モデルと北欧型の高度福祉に支えられた社会民主主義モデルの中間にあって、GDPの高い個人還元を実現してきたのであるが、こうしたモデルは小人口の小国ならではのモデルであって、大国には部分的にしか模倣できないものである。
 典型的には改革開放後の中国がそうであるが、GDP総額では日本を抜きアメリカに次ぐ位置まで発展しても、それを10億人を超える人口に還元するのは困難で、一人当たりGDPではなお途上的位置にあることは象徴的である。
 大国中比較的ルクセンブルクに近いモデルを示すのは歴史的にも関連の深い隣国ドイツであるが、ドイツとて欧州最大の8000万人口を抱えるため、日本に次ぐ世界第四位のGDPをルクセンブルク並みに個人還元することは難しい。
 ちなみに、当初本連載では欧州中堅国のスイスとノルウェーを比較対照例とする構想であったが、筆者の力量不足のために断念した。そのスイスはルクセンブルクよりも人口が多い中では、ルクセンブルク・モデルに最も近いと思われる。スイスはとりわけ2014年の世界経済フォーラムによる国際競争力調査においてトップに位置し(19位のルクセンブルクも小国としては健闘)、イノベーションの強さを発揮している。
 一方、ノルウェーは基本的に北欧モデルの国であるが、国連統計の人間開発指数では連年トップを独占する国として知られる。この指標は平均余命や教育まで含めた総合指標であり、高度福祉国家が強みを発揮するが、ノルウェー財政は北海油田に支えられているところが大きく、その経済も国家管理型の資本主義で、部分的には中東の石油首長制諸国に近い。
 ここでルクセンブルク・モデル自体の持続性を考えてみると、前にも記したように、世界大不況、欧州債務危機以降、さしものルクセンブルクも成長鈍化傾向とともに失業率の上昇が見え始めたことは事実である。
 そのパフォーマンスは欧州の平均よりは相対的に良好とはいえ、ルクセンブルクも静かな斜陽期に入ったという厳しい見方は可能である。資本主義優等国の斜陽化は、すなわち資本主義そのものの運命を予示するものではないか。その意味で、ルクセンブルクの行方は資本主義の長期予報である。(連載終了)

2015年10月14日 (水)

ルクセンブルク―資本主義の優等生(連載第10回)

nine 歴史的土台

 前回まで見てきたルクセンブルクの優等な資本主義体制は、一時的な経済政策によってもたらされたものではなく、たしかな歴史的土台に支えられている。そこで、今回はルクセンブルクの歴史を検証してみることにする。
 実際のところ、中世にフランク族の伯領として誕生したルクセンブルクの歴史は曲折し、複雑だが、独自の大公を元首とする完全な独立国家として自立するのはオランダとの同君連合を解消した1890年のことである。従って、独立国家としてのルクセンブルクは、近代史しか持たない。
 その独立ルクセンブルクが誕生した19世紀末は、大英帝国の世界支配というパックスブリタニカの晩期に相当した。この時期の欧州では1871年に念願の統一を果たしたドイツ帝国が新興資本主義国として急成長し始めていた。そのドイツと国境を接するルクセンブルクは当初、ドイツ関税同盟にも加盟し、ドイツ資本主義の強い影響下に鉄鋼国として出発したことは前に述べたとおりである。
 そのドイツが第一次世界大戦で敗戦国となると、ルクセンブルクも言わば連鎖倒産的な破局に追い込まれる。戦後には、ロシア革命の余波を受け、1918年から19年にかけて、左派による二度の社会主義革命が発生しかけたが、二度目はフランス軍の介入を受けて鎮圧した。
 こうした未遂革命を経験するなかで、ルクセンブルクでは先述したような政労使三者の協調体制が形成されていく。しかし、第二次大戦ではナチスドイツの侵攻・占領を受け、大公と政府は亡命を余儀なくされる。この際、一時ポルトガルが亡命地を提供したことは、戦後ポルトガルからの移民受入れの伏線となった。
 こうして第二の国難とも言えるナチス占領を脱した戦後、国家再建の軸となったのは、ベルギー、オランダと組んだ三国関税同盟(ベネルクス関税同盟)であった。これは60年以降、労働や資本の域内自由化を含む経済連合に進む。ベネルクス連合は間もなく、フランス、ドイツ、イタリアを加えた欧州経済共同体(EEC)の一部に組み込まれ、さらに加盟国を増やして、今日の欧州共同体(EU)へと発展していく。
 他方、これも先述したとおり、戦後のルクセンブルクはアメリカ人の一実業家のコネクションを通じてではあるが、米国資本の誘致も積極的に進めた。このように、一国完結経済が成り立たない小国ルクセンブルクは歴史的にも自由貿易を基調とする開放経済路線を一貫して追求しており、このことがルクセンブルク資本主義の歴史的な土台となっていると考えられるのである。

2015年10月 7日 (水)

ルクセンブルク―資本主義の優等生(連載第9回)

eight 政治的環境

 ルクセンブルクの資本主義的成功を支える上部構造的秘訣は、高度の政治的安定性にある。ルクセンブルクは1890年にオランダから実質的に独立して以来、オランダ王家も出しているナッサウ家系の大公が世襲元首として君臨する立憲君侯制を採用する。
 実質上は欧州立憲君主制の標準モデルと同様の議院内閣制であり、首相が政府を率いる。大公には議会解散権や正副首相の任命権も留保されているが、大公が政治を主導することはない。
 多党制による議会政治が定着している点でも、一般的な欧州諸国と大差ないが、ルクセンブルクの特徴は二大政党ならぬ三大政党政が定着している点である。三大政党とは、結党順に社会主義労働者党、キリスト教社会人民党、民主党である。
 このうち最大勢力は中道保守系のキリスト教社会人民党で、同党は第二次大戦後、現時点では二人の例外を除くすべての首相を輩出してきた優位政党である。ただし、単独で過半数に達することはなく、リベラル保守系の民主党や社会民主主義の社労党を含む他党との連立政権が慣例となっている。
 このように保守系優位の議会政治が確立されている一方、共産党は第二次大戦後70年代までは常時5議席前後を維持する小勢力として議会参加していたが、産業構造が鉄鋼基軸から金融基軸に転換した80年代以降は退潮し、2004年総選挙で唯一の議席を喪失して以来、議会外政党に凋落している。
 代わって、近年は環境政党緑の党が伸張してきている。さらに反資本主義を掲げる新興政党として左翼党や、年金の官民格差に対する抗議政党として台頭してきたEU懐疑派の代替的民主改革党も議席を持つなど、三大政党の周辺に左右の新しい政治潮流を代表する小政党も参集し、政治的多様化が進んでいる。
 このように、ルクセンブルクの政治的安定性は、一党独裁や一党の独占的優位によるのではなく、安定性と多様性の微妙な均衡の上に成り立つ柔軟な構造を特徴とする。
 一方、外交上は欧州統合支持の立場を堅持し、小国ながら欧州司法裁判所その他EU諸機関が置かれる中核メンバーとして存在感を持っている。
 また防衛に関しては、小国にしばしば見られる同盟大国への防衛委託でも、アイスランドのような非武装独立でもなく、総兵力800人程度の小規模な陸軍のみを保有する軽武装政策を採用している。
 こうした現実的防衛政策は、かつて永世中立国として非武装政策を採っていたルクセンブルクが二つの世界大戦でいずれもドイツに侵攻・占領された過去の経験を踏まえたものである。
 冷戦終結後90年代以降のルクセンブルク軍は国連平和維持活動やアフガニスタン、イラクへの「有志連合」へも参加するなど、海外派兵を積極的にこなし、米国主導グローバル資本主義秩序の維持にも寄与している。政治的にも、まさしく資本主義の優等生なのである。

2015年10月 1日 (木)

ルクセンブルク―資本主義の優等生(連載第8回)

seven 「豊かさ」の秘密③

 ルクセンブルクは2パーセント台の際立った低失業率を維持してきたが、2008年大不況後は、さすがに失業率は上昇に転じ、欧州債務危機を経て2010年以降はさらに上昇を続け、2014年度は7パーセント台にまで達した。
 それでも欧州全体(ユーロ圏)の失業率が10パーセント台であることに比較すれば、相対的に低い数値ではあるものの、賃労働による稼得を中心に豊かさを築いてきたルクセンブルクにもグローバルな経済危機が続発する近年は陰りが見えてきた。
 そうなると、資本主義優等生ルクセンブルクといえども、社会保障制度の助けを借りる必要が出てくる。この点、ルクセンブルクは前回も指摘したように、社会民主主義に基づく福祉国家モデルによらない体制を構築してきたわけだが、それは福祉国家を否定する米国型とも異なっている。
 ルクセンブルクには被保険者、雇用主、公的機関三者拠出型の統一的な社会保障基金制度が存在し、労働者は職業に応じてこれに強制加入する。対象範囲は疾病、妊娠、労災、職業病、失業、老年、家族手当、扶養手当、早期退職、最低賃金など多岐にわたる。
 これとは別に、18歳未満及びフルタイムの教育を受けている限り最長27歳までの子を対象とする子ども手当の制度があり、これには障碍児を対象とする無制限の保障も付随している。
 医療保険に相当する部分は疾病基金がカバーしており、医療費の公費負担率は90パーセントと極めて高い。患者負担は定率制ながら、医療費は事後還付制であるため、患者はいったん全額支払を強いられる点では、高所得を前提とした制度となっている。
 元来は財政難に陥っていた職域別疾病金庫を前身とする疾病基金に関しては、医療費抑制策として90年代から各病院と基金の個別交渉が導入されるなど、市場的要素も取り込まれている。
 こうしてみると、ルクセンブルクの社会保障制度はドイツやフランスに代表される欧州の大国と同様の制限的福祉国家モデルによっていることがわかる。この点でも、ルクセンブルクは資本主義優等生ゆえに、小国ながら大国に準じたモデルを採用する力量を擁していると評し得るだろう。
 反面で、外資誘致を目的としたタックスヘイブン政策のゆえに、多くの税収は望めないことから、社会保障全般を税財源でカバーする北欧型福祉国家モデルは構造的に採用できないのである。

2015年9月24日 (木)

ルクセンブルク―資本主義の優等生(連載第7回)

six 「豊かさ」の秘密②

 前回、ルクセンブルクの「豊かさ」の秘密は、所得の高さにあることがわかったが、ここでルクセンブルクの労働環境について見ておこう。一般に、ルクセンブルクでは労使関係が安定しており、このことも海外投資にとって利点とされるが、こうした「安定性」は決して歴史的なものではない。
 特に20世紀の戦間期には、最大貿易相手国であったドイツの敗戦・破綻から波及的な不況に陥ったことを契機に労働者に大量解雇の嵐が吹き荒れた。これへの対抗上労働運動が急進化し、ストが頻発したばかりか、ロシア革命の影響を受けた革命的な労働者評議会の設立も見られた。
 これに対して、政府は警察力をもって鎮圧しつつ、労働者側の意見を汲み取る制度を創設する硬軟両様の策で臨んだ。この策は大恐慌と1936年の大規模デモを経て、労使関係を政府が仲介する「労働国家評議会」の制度に結実した。
 こうして政労使協調体制が確立されたことにより、戦後の労使関係は欧州でも最も安定的なものとなって現在に至っているのである。このような労使協調は、政府主導によるファッショ的な官製労使協同ではなく、熾烈な闘争の止揚形態としての政労使協同モデルと言うべき特徴を持つ。
 他方、ルクセンブルクの「豊かさ」のもう一つの鍵である「外国人経済」は、歴史的なものである。ルクセンブルクでは19世紀に製鉄が主産業として成長すると、主としてドイツからの労働者の移入が大量化したのである。
 しかし、戦後の産業構造転換に伴い、ドイツ人は減少し、代わってポルトガルからの移民が大量化した。一見縁の薄い南欧からの移民が到来したのは、1960年代から70年代にかけ、当時のポルトガルのファシスト体制下での政治経済危機により、大量移民が生じたことによる。
 その後、90年代内戦に陥った旧ユーゴスラビアからの移民も加わり、現在のルクセンブルクでは人口のおよそ40パーセントを移民が占めている。
 このように外国人の人口比率が高い社会編制は中東の湾岸諸国でも顕著に見られるが、そこでは外国人が家事などの底辺労働に従事する下層階級に置かれているのに対し、ルクセンブルクではそうした階級格差が見られないことが特徴である。
 またしばしば高い失業率を示す一般的な欧州諸国の移民とも異なり、ルクセンブルクの外国人は失業率に関しても国民と大差なく、移民差別的な社会意識も希薄と考えられる。
 このように、ルクセンブルクの労働環境は、協同モデルによる高度の安定性と内外平等性に特徴づけられている。これは北欧型の社会民主主義とも異なる資本主義枠内での限定止揚的な修正主義と評することができるだろう。

2015年9月17日 (木)

ルクセンブルク―資本主義の優等生(連載第6回)

five 「豊かさ」の秘密①

 前回までルクセンブルクの経済構造及び税財政について概観してきたが、ここで改めてルクセンブルクの「豊かさ」の秘密に迫ってみよう。まずルクセンブルクの「豊かさ」を示す最大の指標は一人当たりGDPの高さにあった。
 一人当たりGDPは分子のGDP数値が高く、かつ分母の人口が少ないほど、言い換えれば生産力が高く、人口が少ないほど高数値となるが、この点で生産力が高く、かつ人口50万人程度のルクセンブルクは有利な立場にある。
 しかも、ルクセンブルクは人口の約40パーセントを外国人が占め、労働人口の半分は周辺諸国からの越境通勤者が占めている。このように大きな比重を占める「外国人経済」も、上記の一人当たりGDPの算定に含まれている。実は、このことが各種の一人当たり経済数値に関して、ルクセンブルクに有利に働いているのである。
 一人当たりGDPの算出法には、為替レートによる理論値と購買力平価による実数値とがあるが、ルクセンブルクの場合は前者の理論値のほうが高く出る傾向にある。
 このことは、為替レート基準によった場合は貿易や海外投資といった国際間資本移動の影響を受けるところ、ルクセンブルクは前回も見たように、外資導入を積極的に行い、まさに資本移動の拠点であることが大いに寄与していると考えられる。
 他方、購買力平価基準によった場合は、生活費やインフレ率、所得などの生活経済的要素が反映されるため、より実態に合った数値が算出される。この点でルクセンブルクがやや水準を下げ、中東カタールにかなりの差をつけられるのは、これらの生活経済的要素では必ずしも絶対的な優位性を持たないことを示唆する。
 ちなみにルクセンブルク国民の平均所得は、2014年度統計で約8万ドルの世界4位(1位は約9万5千ドルのスイス;米国は約5万7千ドルの8位、日本は約3万7千ドルの18位)、国民一人当たりの総所得を見ると、同じく2014年度統計で約7万ドルの4位で、10万ドルを越す1位のノルウェーには差をつけられている(米国は約5万3千ドルの9位、日本は約4万6千ドルの14位)。
 こうしてルクセンブルクの所得水準はノルウェーやスイスには及ばないものの、米国や日本に比べて高水準にあり、このことは稼得が生活水準の決定的要素となる資本主義的鉄則に忠実であることを示している。

2015年9月10日 (木)

ルクセンブルク―資本主義の優等生(連載第5回)

four 税財政

 ルクセンブルクの税財政の特徴は、外資誘致を容易にする競争的な企業税制にある。実際のところ、小国ルクセンブルクの経済を支えているのは、国内資本よりも圧倒的に外国資本である。
 こうした外資誘致政策には歴史的な蓄積がある。発端はドイツ出身のアメリカ人実業家ヘンリー・レイアが1930年代、時の元首シャルロット女大公の財政顧問に就任したことにあった。彼はルクセンブルクに拠点を置く一企業が世界中の未開拓地を開発し、社会経済を発展させるという資本主義的なユートピア小説を出版したこともあるほど、確信的な資本主義者であった。
 第二次大戦後、レイアは大公室公認の下、アメリカ財界とのコネクションを使って、グッドイヤー、デュポン、モンサント、ウェルズ・ファーゴなどの米系大資本をルクセンブルクに誘致した。彼はさしあたり、ルクセンブルクという未開拓地を開拓したのだった。
 こうした外資誘致政策は現在も継続しているが、その秘訣は優遇税制にある。課税前所得に対してかかる法人税を含むすべての事業課税を加算した「総税率」で見ても、20パーセント前後と圧倒的に低い。また持株会社に対する源泉課税免除や知的財産のキャピタルゲイン免税、幅広い移転価格税制などの優遇措置が多彩に用意されている。
 ちなみに付加価値税(消費税)は15パーセントであるが、これも20パーセント前後が「相場」で、最大25パーセントを越える欧州諸国にあっては最低レベルに抑えられている。また中小企業にとってしばしば負担となる納税処理に要する時間も6時間と最短レベルで、納税処理の簡便さも際立つ。
 こうした優遇税制はいわゆるタックスヘイブンとして国際的にも批判されるようになり、政府も国際基準に沿った税制改正に乗り出す姿勢は見せているが、匿名性に関しては、国際NGO税制正義ネットワークの2013年度調査でも、ルクセンブルクはスイスに次ぐ世界第二位にランクされている。
 また2015年には、欧州委員会がルクセンブルクに子会社を置く米国大手アマゾンに対するルクセンブルク政府による税制上の優遇措置が国による補助金に相当するとして合法性を疑問視する判断を出すなど、問題はくすぶっている。
 税収をあえて縮小してでも優遇税制により外資を誘致し、雇用を創出するというタックスヘイブン政策は国内資本に乏しい小国にとっては生き残り戦略という意義があり、これを根本的に放棄することは困難であろう。
 批判的な資本主義大国にとっても、タックスヘイブン政策は資本主義的に合理性のある魅力的な戦略ではあるのだが、国家機構が大規模で、大人口を抱える大国は税収確保の要請も高く、この策に踏み切れないのである。

2015年9月 2日 (水)

ルクセンブルク―資本主義の優等生(連載第4回)

three 経済構造Ⅲ

 鉄鋼業中心の工業を土台に金融立国を新たな資本主義的経済戦略としてきたルクセンブルクであるが、近年は金融依存からの脱却と産業の多角化にも注力している。とりわけ情報通信分野である。
 その先駆けとなってきたのは、1931年設立のラジオ・ルクセンブルクを沿革とするRTLグループである。これは現在ドイツ資本の傘下にあるが、総計で80局を超えるテレビ局やラジオ局を運営する欧州最大規模の多国籍メディア企業体に成長している。
 もう一つは、人工衛星運用会社SES S.A.である。これは1985年に設立され、他国に先駆けて通信衛星用軌道スロット使用権と営業免許を与えられた半国策的な企業であり、技術面でも高精細度テレビ放送の開発をリードしてきた世界有数の衛星通信事業者として展開する多国籍企業に成長している。
 また光ファイバーによる高速通信が全土化され、インターネットの普及率でもほぼ100パーセントに近い北欧アイスランドには及ばないものの、90パーセントを越え、世界トップ10に名を連ねるなど、情報社会基盤の整備も進んでいる。
 一方、ルクセンブルクは欧州内陸中心部に位置するその地理的条件から、海路を除く交通網が発達しており、特に航空分野では1970年に設立された世界最大級の国際航空貨物会社カーゴルックス航空が本拠を置いている。
 こうした交通の発達は観光業の発達も促進してきた。中世以来の歴史遺産や郊外田園地帯を主な名勝地とするルクセンブルクの観光はGDP及び労働人口のそれぞれ10パーセント前後を占める有力部門であり、近年の経済成長の鈍化を補う役割を果たしている。
 さらに近年は環境技術行動計画に基づき、政府の肝いりで環境技術の開発に取り組み、200近いエコ関連企業が設立されているほか、化学工業分野でも複合素材メーカーであるユーロ・コンポジットを中心に、先端的素材の開発に取り組むなど、新産業・新素材の創出も政策的に推進している。
 このような産業多角化政策は、晩期資本主義の大状況下にある先発資本主義諸国にとっては共通的な課題と言えるが、こうした施策を大国以上に機動的に実行できるのは、ルクセンブルクが歴史的に外資誘致政策を追求してきたことによる。
 その武器となってきたのが、高度に競争的な企業税制を柱とするタックスヘイブン政策であるが、これについては税財政と密接に絡むので、稿を改めて検証することにしたい。

2015年8月27日 (木)

ルクセンブルク―資本主義の優等生(連載第3回)

two 経済構造Ⅱ

 現在のルクセンブルクの経済構造上中核を成しているのは、金融である。ルクセンブルクの金融部門はGDPの三分の一超、労働人口の二割を擁する産業中心としての役割を担うまでになっている。これは石油危機後の産業構造変化の中、伝統的な鉄鋼に代わる新たな成長分野として金融が選択された結果である。
 このようなタックスヘイブン政策とも結びついたオフショア金融立国政策は、他の小国にも見られる経済戦略であり、この点ではルクセンブルク経済も大国並みに工業を経済基盤とする構造から金融依存の小国的構造に転換したとも言える。
 ルクセンブルクの特徴は、国際的なファンドアドミストレーションを得意とすることで、世界の投資銀行・証券会社の多くがルクセンブルクに拠点を置いている。それとも関連して、富裕層向けのプライベートバンキングも盛んである。また欧州最大の国際証券決済機関クリアストリームも本拠を置く。
 クリアストリームは1970年に世界の主要66金融機関によってセデルの名で設立されたもので、ルクセンブルクの金融立国の先駆的な象徴であり、95年の組織変更を経て、2000年にドイツ証券取引所傘下に入り、クリアストリームとなった。
 反面、こうした金融立国は多くの秘密口座を生む銀行の秘密保持政策に支えられており、タックスヘイブン政策とも合わせ、犯罪組織の資金洗浄や政治家の汚職、富裕者の脱税などの経済犯罪に悪用される危険と隣り合わせである。実際、01年にはクリアストリームを舞台とするフランス政界の汚職疑惑が浮上している。
 こうした経緯から、21世紀のルクセンブルクはタックスヘイブンの見直しとともに、銀行の透明性を高める改革も迫られている。金融改革は最終的に金融依存からの脱却につながるだろう。
 金融依存の危険性は、リーマンショックでも明らかとなった。同危機に当たり、ルクセンブルクも金融機関の破綻を回避するための公的資金注入を余儀なくされ、09年にはマイナス成長・財政赤字に陥り、公的債務残高の増大にも直面したのであった。
 一方で、こうした財政出動は経済危機の拡大防止にもつながったが、依然余波は続き、ユーロ圏債務危機の影響も加わり、ここ数年の経済成長は鈍化している。ルクセンブルク政府は金融を中軸とした産業構成を変更するつもりはないが、ポスト大不況に向けて金融依存からの脱却も模索しつつある。

2015年8月22日 (土)

ルクセンブルク―資本主義の優等生(連載第2回)

one 経済構造Ⅰ

 世界一豊かとされる資本主義の優等生ルクセンブルクの秘密を探るうえで、まずは三回にわたってルクセンブルクの経済構造を概観することにする。

 ルクセンブルクの資本主義を支える経済構造に関して特筆すべきは、鉄鋼業を中核とした重工業を歴史的な基盤としていることである。これは、人口50万人規模の小国としては異例のことである。
 元来、ルクセンブルクはドイツやフランスといった大国に挟まれた狭小な内陸国に過ぎず、主要産業はそれ自体も貧弱な農業であった。その段階から発達した工業国に変貌した最初のきっかけは、1850年代における鉄鉱石の発見という僥倖であった。
 続いて金属工学が導入され、ルクセンブルクではにわかに鉄鋼業ブームが起きる。いくつもの鉄鋼会社が設立され、隣国ドイツからの投資も呼び込み、19世紀後半、ルクセンブルクに最初の経済成長期がもたらされる。
 19世紀末から20世紀初頭における高度成長の集大成として、1911年には、主要鉄鋼会社が合併してアーベッド社が設立された。この会社はその後、二つの大戦やオイルショックなどの危機を乗り越え、100年近くにわたってルクセンブルク経済の牽引役を担う中核資本として君臨し続けるのである。
 アーベッドは2002年にスペインとフランスの鉄鋼会社と大合併してアルセロールとなった後、06年にはインド系のミッタル・スチールに買収され、引き続きルクセンブルクに本社を置きつつ、現時点で世界最大の鉄鋼会社アルセロールミッタルとして再編されている。
 ただ、石油危機以降の産業構造変化により鉄鋼はもはやルクセンブルク経済の中核ではなくなっており、アーベッドも外資に買収されたわけだが、依然として鉄製品は輸出において高い割合を示している。
 鉄鋼以外にも、シェアは限定的ながら化学、繊維、自動車部品などの工業部門も擁しており、小国としては異例の多角的な工業生産が行なわれていることが、ルクセンブルクの特色となっている。
 このことは、工業的基盤なくして初めから金融・観光立国等として商業的発展を遂げたよくある他の野心的な小国とは異なり、ルクセンブルクをまさに「資本主義国」たらしめている点である。

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30