言語発展論

2014年12月10日 (水)

言語発展論(連載最終回)

第2部 英語発展史

八 「計画英語」の可能性

 前回まで、北ヨーロッパのマイナーなゲルマン系部族語にすぎなかった英語が、事実上の世界語として地球全域に広がるまでの発展過程を大づかみで見てきた。しかし、本連載本来の目的は計画言語の可能性を探ることにあった。
 現在、紛れもなく英語が事実上の世界語として世界制覇している言語現実を直視するなら、新たな計画言語の創案に取り組むよりも、英語そのものをより普遍性の高い世界語に創り直すこと―言わば計画英語―のほうが現実的ではないかとの発想もあり得るところである。そこで、最後にこの問題を検討して締めくくりとしたい。
 実は、そのような計画英語に近い先行的な試みは、すでに存在する。第1部でも紹介したベーシック・イングリッシュがそれである。ただ、この試みは使用単語の数を制限することで、英語を簡明なものにするという言語簡略化の構想であるので、厳密な意味では計画英語ではない。
 このような言語簡略化に対しては、真の英語を使いこなす層と簡略英語しか使えない層とに言語階層化が生じるということが懸念されているが、そうした問題は、例えば簡略英語を国連公用語に指定するといった国際言語政策によって克服できる。
 より本質的な問題は、単語を量的に制限すると、かえって言語運用が困難になることである。逆説的であるが、特定の単語の使用を制限して他の単語の組み合わせによる言い換えを要求されるほうがよほど言語的習熟を要することなのである。
 そこで、計画英語といった場合、単語数の制限ではなく、むしろ現代英語の最大の難点である綴りと発音の不一致の是正をまず考えることである。
 例えば、「知る」を意味する初歩的単語knowにしても頭文字は発音されない黙字であるが、こうした黙字を排除して、nowと綴る。ところが、これだと「今」を意味する副詞のnow[nάʊ]と重なってしまう。これはowという同じスペルを二種類に発音するという混乱から来るものであるので、副詞のnowを発音記号に近いスペルnawに代えることも一考に値する。もっとも、awはawfulのように「オー」と発音されるので、このような長母音は発音記号にならってo:fulと綴るなどの新たな工夫も必要であろう。
 こうした綴りと発音の合一化にとどまらず、文法的にも不規則変化動詞を廃して、例えばknowの過去形はknewではなく、原則どおりknowed(頭の黙字を廃するなら、nowed)とするというように規則変化で統一する簡略化を進めることで、規則性に富んだ計画英語を創案し直せる可能性は開かれる。
 もしこのような計画英語プロジェクトが成功すれば、征服言語としての現代英語から計画言語としての未来英語への変革という英語発展史を画する新たな段階を迎えることになるだろう。

2014年11月26日 (水)

言語発展論(連載第16回)

第2部 英語発展史

七 征服言語:現代英語

 17世紀に入ると、近世英語は次第に現代の学習者が目にする近代英語としての体裁を整え始める。近世英語は主にシェークスピアのような文学者や文筆家個人に支えられた言わばパロールの積み重ねで発展したが、科学の時代に入った18世紀以降は言語学の発達により、言語体系としてラングの整備が進んだ。
 その契機となったのは、英語辞書の編纂である。最初期の英語辞書として、後世にも強い影響力を持ったのは、ハノーバー朝時代の1755年にサミュエル・ジョンソンが独力で編纂したその名も『英語辞典』である。ジョンソンは詩も書く多彩な文筆家であったが、古典に通じた文献学者でもあった。そのため、『辞書』は語学辞書というよりは皮肉な警句家としても知られたジョンソン自身のウィットに富む短文解説付きの百科事典的な書物となった。
 本格的な語学辞書は海を越えた米国で、建国の父の一人でもあるノア・ウェブスターが1828年に完成させた『アメリカ英語辞典』が嚆矢であった。英国でも遅れて1857年から『オックスフォード英語辞典』の編纂事業が始められた。
 今日でも最も権威あるオックスフォード辞典の編纂は、英国初の言語研究学会であった「文献学会」による学術的な集団プロジェクトであり、辞書を共同で編纂する事業としての嚆矢ともなった。このプロジェクトは「歴史的諸原理に基づく新英語辞典」と名づけられていたとおり、世代を超えたものとなり、分冊第一巻が世に出たのは1880年代のことであった。
 時は大英帝国の全盛期、英国はまさに七つの海を支配し、その植民地や保護領は文字どおり地球全域に及んでいた。辞書によって体系化された「本場」の英語は、英国の支配領域でも公用語として強制され、それぞれ発音や表現の転訛を伴いつつ、現地に根付いていった。征服言語としての英語史の始まりである。もっとも、より地域限定的にはイングランドに征服された本来ケルト語系のスコットランドやアイルランドで英語の征服言語化が始まっていた。
 同時に、ウェブスター辞典に始まる標準米国英語との綴りや発音、表現の差異も明確になっていく。今日でこそグローバルなスタンダード英語となっているのは米国英語であるが、これは20世紀以降、英米の覇権交代により米国が世界を支配するに至って生じた最も新しい征服言語としての英語の姿である。
 特に冷戦終結後は米国中心のグローバル資本主義の広がりによって、交渉言語・国際商業語としての英語の爆発的普及現象が見られる。このグローバル英語はもはや必ずしも米国英語そのものではないが、英語学習書は米国英語を標準とすることが多く、事実上は米国英語が世界を席巻している。

2014年11月20日 (木)

言語発展論(連載第15回)

第2部 英語発展史

六 英語の復権Ⅱ;近世英語

 ばら戦争中の1476年にウィリアム・キャクストンが英国初の印刷所を設立し、英語本の出版を多く手がけた。チョーサーの『カンタベリー物語』を世に出したのも、キャクストンであった。
 キャクストン自身の本業は印刷業者であったが、文筆の分業化が進んでいなかった時代、自身で翻訳も手がけるなど、文筆にも踏み込んたことで、キャクストンはまだ不統一だった英語の正書法の確立にも寄与している。
 15世紀末にばら戦争が終結し、新たにチューダー朝が成立した時には、英語は公用語の地位を回復していた。チューダー朝はウェールズ系であったが、ウェールズはすでにイングランド領となって久しく、ケルト系のウェールズ語が公用語とされることはなかった。英語はこの王朝と続くスコットランド系のスチュアート朝のもとで英国の揺るぎない公用語として定着していく。
 チューダー朝期の英語の集大成は、有名なシェークスピアの作品に認められる。彼は学者ではなかったが、文学者として彼の使用した英語や英語表現は未確立だった近世英語のスタンダードとして模倣されるようにもなり、結果として近世英語の発展に寄与している。
 続いて近世英語の確立に大きく貢献した著作物として、シェークスピア最晩年の1611年に時のスチュアート朝開祖ジェームズ1世の命で編纂・刊行された欽定英訳聖書が知られる。英訳聖書はすでにキャクストンの出版物の中で断片的には見られたが、公式の全訳版は欽定聖書が初めてのものであり、これは宗教政策を通じて正統的な英語が定められたに等しい意義を持つ出来事であった。
 17世紀のスチュアート朝の英語の代表作は、ルネサンス叙事詩として名高いジョン・ミルトンの『失楽園』である。ミルトンはまた清教徒革命時代の共和派文士として、政治的な論説も発表し、近世英語の散文の発展にも寄与した。
 17世紀までには現代英語の直接的な祖となる近世英語が確立される。この時期以降の英語はそれ以前の英語とは大きく変化し、中でも母音の音価が大きく変遷したいわゆる大母音推移は英語に革命的な変化をもたらした。
 これによって、それまでゲルマン系言語として綴りと発音がほぼ対応していた英語に、綴りと発音の広範囲な不一致が発生するようになった。この特徴は現代英語に引き継がれ、しばしば学習者を悩ますところとなっている。また中世英語以来、フランス語系の語彙も継承・定着したため、フランス語式の綴りや発音も混入し、英語体系をいっそう複雑なものにした。
 もっとも、英語史上「初期近世英語」とも呼ばれるこの時代にはまだ学問としての言語学が確立されておらず、辞書や文法書によって国語としての英語の整備が行なわれるには、スチュアート朝を超え、ドイツ系のハノーバー朝が成立した18世紀以降の科学の時代を待つ必要があった。

2014年11月11日 (火)

言語発展論(連載第14回)

第2部 英語発展史

五 英語の復権Ⅰ;中世英語

 英語の雌伏期にあっても、フランス語を話す王侯貴族階級は少数派であり、英語は大多数を占める非支配層庶民の言語として生き続けていた。しかし、プランタジネット朝の圧政に対する抵抗がこうした支配層と非支配層の階級的言語分断状況に変化をもたらす。
 1258年、時の国王ヘンリー3世に反抗し、封建制の枠内での民主化を求めた諸侯の共同文書「オックスフォード条例」がラテン語、フランス語とともに英語でも記述されたのは、その象徴であった。
 続いて14世紀に入ると、英文学の発達が見られる。その嚆矢は宮廷官僚でもあったジェフリー・チョーサーである。「英文学の父」とも称されるチョーサーは、その代表作『カンタベリー物語』の中で初めて英語で本格的な物語を綴り、その後の文章語としての英語の復権に大きな影響を及ぼした点では、英文学にどとまらない「英語の父」と言うべき存在であった。
 フランス語から英語への公用語の切り替えが公式にはいつ行なわれたかについて、明確とは言えないが、議会その他公式の場での答弁を英語で行なうべきことを定めた1362年の「英語答弁法」―記録は当時の欧州共通文語体であったラテン語によった―は、英語が事実上公用語として復権する重要な契機となった。15世紀のヘンリー6世の時代には、英語が宮廷でも公用語化している。
 14世紀から15世紀半ばにかけて繰り広げられたフランスとの百年戦争は英国支配層の間にも反仏ナショナリズムの感情を強め、フランス系支配層の英語使用慣習を決定づける大きな要因となったと考えられる。
 この頃には、ノルマン・フランス系の上流階級も英国に土着し、アングロサクソン人との通婚・混血が高度に進んでいたことも、このような言語転換を後押ししただろう。しかも、英国の中世を終わらせた15世紀後半の内戦(ばら戦争)は、ノルマン・フランス系貴族の多くを没落・断絶させた。
 ただ、一般に「中英語」と呼ばれる中世時代の英語はまだ正書法が確立されず、方言差による揺れも大きいため、中英語として明確にくくれるほどの統一性を持っていないが、さしあたりは王都ロンドン周辺の方言を基盤とした東部英語が標準語の地位を獲得していく。
 この復権期の時代、英語はフランス語から多くの借用語を取り入れ語彙のフランス化が大規模に生じたほか、ゲルマン語系の複雑な語尾変化の多くを喪失し、屈折語としての性格が希薄になり、次第に孤立語に接近した最小限屈折語としての近代英語の顔が現れ始める。そうした点では、中世は英語にとっても一大転換期であったと言える。

2014年11月 1日 (土)

言語発展論(連載第13回)

第2部 英語発展史

四 英語の長い雌伏期

 1066年の「ノルマン人の征服」により、ノルマン朝が開かれ、王家をはじめ新たな支配層が使用するノルマン・フレンチがイングランドの公用語になると、英語は庶民の言語として口語の地位に格下げされた。
 新公用語のノルマン・フレンチとは、フランス語のノルマンディー方言であるが、ノルマンディー公家をはじめとする支配層が北欧のデーン人バイキング出自であったため、北欧語に起源を持つ語彙を多く含む独自の方言であった。
 とはいえ、元来バイキングに祖を持つ支配層は少数派であり、公国民の大多数はフランス人であったから、ノルマン・フレンチはロマンス諸語に属するまさにフランス語であり、北欧語本来のゲルマン諸語としての基本構造は失っていた。
 「ノルマン人の征服」当時の古英語はまだゲルマン諸語としての基本構造を濃厚に残しており、ロマンス語系のノルマン・フレンチとは構造的に相容れなかったため、英語は公用語の地位をいったん追われたのであるが、ノルマン・フレンチが公用語となったことで、アングロ・サクソン系の貴族や一部有力町人階級にもこの言語が普及した。
 それによって、アングロ・フレンチ(またはアングロ・ノルマン)と呼ばれるイングランド固有のフランス語が形成され、これが15世紀頃まで公用語・公式文章語として定着していく。
 一方、英語にも、大きな変容が生じた。語彙に関してアングロ・フレンチの影響を強く受け、ゲルマン語起源の単語がフランス語系の単語に置き換わった。特に法律・行政用語やその他の抽象概念を示す単語の多くは、現代英語でもフランス語系のものが使われている。
 ただ、文法構造的な面ではアングロ・フレンチの影響を大きく蒙らなかったのは、支配層の公用語と庶民層の口語の住み分けが厳格に行なわれていたためと考えられる。それだけ、ノルマン朝は権威主義的な征服王朝としての性格が強かったことの反映である。
 ノルマン朝は11世紀に入ってプランタジネット朝に取って代わるが、プランタジネット朝の王家はフランス北西部アンジューに所領を持ったまさしくフランス貴族であったため、これ以降イングランド王家は完全なフランス系となり、これに伴い、アングロ・フレンチもフランス本国のフランス語と近似したものとなった。
 英語が再び公用語として復権してくるのは、このプランタジネット朝の末期であり、この間、英語は数世紀にわたり新装復権を待つ雌伏期にあった。

2014年10月23日 (木)

言語発展論(連載第12回)

第2部 英語発展史

三 古英語の発達と途絶

 9世紀までにアングロサクソン諸王国の共通語として、中心国ウェセックス王国の公用語であったウェセックス方言をベースとした古英語が成立するが、その頃よりブリテン島は深刻な外患にさらされる。遅れて民族移動を始めたゲルマン系北欧バイキングのブリテン島来襲の波が押し寄せるのである。
 バイキングにはその根拠地によりいくつか系統があったが、ブリテン島に来襲したのはデーン人と呼ばれ、主にデンマーク方面に根拠を置くバイキングであった。ということは、アングロサクソン人らとも原郷は近いことになる。
 実際、デーン人の言語はゲルマン語派に属し、元来古英語とも共通の要素を持っていたが、語彙には違いもあった。軍事的に優れていたデーン人勢力はアングロサクソン諸王国の防衛力の弱さに付け込み、各地を寇略するが、やがてウェセックスのアルフレッド大王時代に和議を結び、イングランド東部地方に自治区を設定して定住した。
 このいわゆるデーンロー地域では、デーン人の慣習と言語が保持されたが、かれらの言語は英語にも文法性や名詞の格変化の喪失や語彙の面で大きな影響を及ぼした。古ノルド語起源の英単語は三人称代名詞を含む基礎的単語にも及び、二千を数えると見られる。これほど広範囲に古ノルド語が取り込まれたということは、それだけデーン人の支配が日常にも及んでいたことを意味する。
 防衛力増強に努めた有能な統治者にして、『アングロサクソン年代記』をはじめとする多くの古英語文献の編纂にも尽力したアルフレッド大王の死後、アングロサクソン王国は再び弱体化し、11世紀になると、デーン人のクヌート大王が北欧とイングランドを統合した北海帝国を築く。ここに至って、イングランドはまさにデーン人の国となる。
 もし北海帝国が永続化していれば、英語に代わり、古ノルド語が完全に公用語となっていたかもしれないが、このクヌートというカリスマ的指導者に依存していた帝国は大王の死後、7年にして崩壊した。
 ここで再びアングロサクソン王国が復活を見るが、相変わらず弱体であり、今度はやはり同じデーン人バイキングがフランス北西部に定住・授封して形成していたノルマンディー公国から付け狙われた。
 1066年、アングロサクソン王国の王位継承をめぐる争いに介入する形で、ノルマンディー公国がイングランドを侵攻・占領し、ノルマンディー公ギョームがイングランド王ウィリアム1世として即位してノルマン朝を開くに至り、アングロサクソン王国は滅亡した。
 このいわゆる「ノルマン人の征服」は言語面でも革命的な変化を来たし、以後、ノルマン朝イングランドの公用語はノルマンディー公国の公用語であったノルマン・フレンチと呼ばれるフランス語の方言に取って代えられてしまうのである。

2014年10月16日 (木)

言語発展論(連載第11回)

第2部 英語発展史

二 古英語の成立

 英語は、英国で発祥・発達した一個の民族言語ではあるが、元来一つの民族の言語ではなかった。それはローマ帝国の支配が終わった5世紀半ば頃、ゲルマン民族大移動の一環として、今日の英国本土を成すグレートブリテン島(以下、単にブリテン島という)に移住してきたゲルマン系諸民族の言語をベースとしたある種のリンガ・フランカとして形成された。
 このゲルマン系移住民は、今日「アングロサクソン」とひとくくりにされるが、アングル族とサクソン族は本来別民族であり、アングル族は現在のユトランド半島南部で現在はドイツ領に属するアンゲルン半島を原郷とする小民族であった。サクソン族は元来やはりユトランド半島南部ホルシュタイン地方に発祥したと推定されるが、一部がブリテン島に移住、残余は後に北ドイツに展開してザクセン公国を建てた。
 それ以外に、第三の勢力としてユトランド半島の名の由来でもあるジュート人も加わったが、かれらは少数勢力であり、次第にアングル族やサクソン族に同化していった。
 このように、原初英語の素をブリテン島に持ち込んだゲルマン系諸民族は当初、部族ごとに地域王権を形成し(七王国時代)、しのぎをけずった。その結果、今日ノーサンブリア、マーシア、ケント、ウェセックスの四つに分類される原初英語の方言群が形成される。
 この中から、やがてサクソン人の王国であったウェセックス王国を中心とする統合が進んだため、統一的な初期英語―古英語―は、このウェセックス王国の言語であったウェセックス方言が他方言を包摂しつつ、リンガ・フランカとして共通語化されたと考えられるのである。ということは、古英語の中核はサクソン部族語ということになる。
 ただ、アングル、サクソン、ジュートの三民族はいずれもユトランド半島に発祥した民族であるだけに、それぞれの部族語は元来近似していたとも考えられ、共通語を作り出すことにさほど困難はなかったかもしれない。
 古英語段階の英語はまだゲルマン語としての性格が濃厚に残されていたため、語彙や文法構造上は現代英語よりもはるかにドイツ語に近似しており、現代英語の話者は別途学習しなければ理解し、発音することもできないものである。
 ところで、現代英語は日本語由来を含む借用語の多さが一つの特徴であり、このように他言語の語彙をオープンに取り込む「雑食性」は英語を世界的に普及させた大きな要因となっているが、古英語成立段階での他言語借用はまだ限られており、大陸ヨーロッパのリンガ・フランカであったラテン語由来のものが中心であった。
 ちなみに、ゲルマン系民族が移住する以前にブリテン島に先住していたケルト系民族のケルト語からの借用語は少ないというのが通説であり、そうだとすると、先住ケルト人はスコットランドやウェールズを除いて民族浄化されたことが窺える。ただし、近時は古英語へのケルト系言語の影響関係を指摘する見解も台頭している。
 こうして9世紀までに成立した古英語は、その後、9世紀から11世紀にかけてブリテン島を断続的に寇略する北欧バイキングによって言語学的にも変容を加えられつつ、さらに発達を遂げていくことになる。

2014年10月 7日 (火)

言語発展論(連載第10回)

第2部 英語発展史

一 英語発展史の意義

 第1部では、原始言語から始まって、計画言語の創案に至るまでの人類言語の発展一般を概観し、計画言語の必然性を検証してみたが、第2部では、現時点で事実上の世界公用語の地位にある英語の発展過程を個別的に追っていく。
 英語はその名のとおり、元来は英国で発達した自然言語にして民族言語であるが、そのような一言語がこれほど爆発的に広い範囲で通用するようになったのは―英語ビッグバン?―、一つの事件である。それは偶然とか、個人の趣味では説明できず、英語の内在的な性質や英国ないし英国を継いだ米国の歴史とも密接に関連している。
 しかし、英語は他言語より明晰で、学習しやすいとは言えない言語である。日本では、「日本語の曖昧さ」と対比して、「英語の明晰さ」が強調されることがよくあるが、このような対照には疑問がある。実際、正確な文法に基づいて明晰に記述された日本語文と英語文を比較してさほど差があるとは思えないし、私見ではむしろ英語にこそ曖昧な婉曲表現が多く、正確かつ明晰に記述された日本語文のほうが、英語文よりも明確さでは勝るようにさえ思える。逆に、不正確で曖昧に記述された日本語文ほどわかりにくいものはないこともたしかである。
 詳細は本文で述べるが、英語は、その成り立ちからして複数言語の混成言語であり、そこへ外来のフランス語の一方言が流入し、一時英国公用語の地位を奪われた後、再び公用語として新装復権し、現代英語に成長していったというかなり特異な歴史を持つ混交性の強い特殊な言語である。
 このような複雑言語は、本来世界公用語の地位にふさわしいとは言えず、英語が事実上世界公用語であるのは暫定的な現象であって、決して自明の永続性を持つ現象ではない。
 しかし、近年は「グローバル化」のかけ声のもと、米国中心の資本主義の世界化の流れの中で、英語習得の必然性が説かれ、日本でも英語教育の早期化や、社内公用語化などの動きが活発になっている。このような風潮は、英語の歴史や本質を無視した現状適応的な発想によるものであり、決して理にかなったものではない。
 ただ、第2部では消極的な「英語帝国主義」批判論に終始することなく、英語の発展過程を追う中で、なぜ英語が現在のような姿と地位とを獲得したのか、また英語をベースとした計画言語の可能性はあるのか、といった通常はあまり論議されない問題に焦点を当てていくことにする。

2014年10月 1日 (水)

言語発展論(連載第9回)

第1部 通則的概観

八 新世代の計画言語

 これまでエスペラントをはじめとする様々な計画言語が創案されてきたが、いずれも想定されたほどには普及しておらず、計画言語としては最も多くの学習者・話者を擁するエスペラントにしても、支持者・愛好者の間だけで学習され、普及しているにとどまるのが現状である。そうした意味では、計画言語はいまだ停滞の時代を脱しているとは言えない。
 その内在的な要因としては、前回も指摘したように、言語学的中立性をうたう主要な計画言語がいずれも事実上は欧州の印欧語族系言語の影響を受けている事実があった。
 より根本的には、従来の計画言語は音声言語として創案された「ソルレソル」を除けば、ほとんどが自然言語を範とするアポステリオリ言語であったが、そうした中で、日本の在野思想家岡本普意識(ふいしき)が1960年に発表した「ボアーボム」は、アプリオリ計画言語の比較的新しい例である。
 この言語は文字体系上はラテン文字を使用するが、語彙や文法組織に関しては独自に創案されており、従来の計画言語とは次元を異にするものであったが、発表の場が日本国内であったことや、発表からわずか3年で創案者が没したことなどから、普及のための運動を組織することができないまま、埋もれてしまった。
 一方、自然言語とは異なった論理構造を持つアプリオリな計画言語として、1987年に暫定発表され、2002年から実用段階に入った「ロジバン」が注目される。
 この言語は、元来「人は体得した言語によってその思考形態が左右される」という言語学仮説(サピア‐ウォーフ仮説)の検証のために開発され、人間同士のコミュニケーションの手段となる交渉言語として普及させることを目的としない実験言語である「ログラン」を基礎に、交渉言語としても使用できるように改良を加えたものである。
 そうした創案の経緯から、ロジバンの語源は特定の語族に偏らず、アジア系の言語を含めた広範な語族からアルゴリズムによって採取されていることや、文字体系の指定がなく、どの既存文字でも表記可能とされていることなど、言語学的中立性の高さが特色である。
 文法的には、自然言語に見られる曖昧さを排除した述語論理を軸とし、屈折や単複区別、格変化の排除など簡単明瞭な規則性を旨としているため、プログラミング言語としての互換可能性も秘めているとされる。ある意味で、ロジバンは中国語に代表されるような孤立語的特徴を極限まで凝縮しようとする言語計画の試みとも言える。
 さらに、言語の創案・開発が従来の計画言語のように一個人でなく、言語学者やプログラマーらをメンバーとする研究者グループによって集団的に行なわれている点も、際立っている。
 このように、従来の計画言語とは大きく異なる特徴を持つロジバンであるが、それだけに学習に当たっては、既存自然言語の知識体系の応用ではクリアできない認識が必要であり―プログラミング言語の学習に近い―、独自の学習メソッドの開発など、普及に当たって克服すべき点も残されている。
 また、トリビアなことではあるが、ロジバンといういかにも人工的な言語名も普及に当たって意外な障害となる可能性がある。この点、エスペラント=希望する人という計画言語の中でも最も詩的な名称は、エスペラントの普及にも一役買ったのではないかと想定される。
 とはいえ、ロジバンはコンピュータ時代における新世代の計画言語として、今後の発展が注目されるところである。一方で、エスペラントを初めとする既存計画言語の側でも、普及の停滞状況を克服するための再検証・改訂作業も辞すべきではないであろう。計画言語は、そうした人為的な改訂可能性にも開かれていることが自然言語との根本的な差異だからである。

2014年9月24日 (水)

言語発展論(連載第8回)

第1部 通則的概観

七 計画言語の隆盛と停滞

 エスペラントの成功は、計画言語のエスペラントへの一本化ではなく、むしろ競合する計画言語の隆盛を生み出すきっかけとなった。エスペラント創案の直後にも、エスペラントの改造版となるイドという派生言語が早くも出されている。
 また当時、誤解に基づいて共産主義者の言語とみなす向きもあったエスペラントに対抗して、エストニア人の教育者フォン・ヴァールが親西欧的な計画言語として、オクツィデンタルを創案した。一方、ほとんどが言語学の門外漢によって創案されてきた計画言語には珍しく、デンマークの言語学者イェスペルセンによって創案されたノヴィアルも続いた。
 これらの計画言語はいずれもいかなる特定の民族言語にも影響されていない中立的なオリジナル言語として創案されたものであるが、特定の民族言語を簡略化する形の計画言語の提案もなされた。その先駆は1916年に発表された簡略ドイツ語ヴェーデであると言われるが、もっと有名になったのは1930年に英国の心理学者・言語学者チャールズ・オグデンらによって創案された簡略英語ベーシック・イングリッシュ(略してベーシック)である。
 これは、単純に英単語の語彙を原則850語に制限し、追加しても総計1500語で表現し切るというもので、実態としては計画言語というより、まさに簡略言語と呼んだほうがふさわしいものである。創案者によれば、エスペラント習得に要する標準時間7か月に対し、ベーシックは7週間で可能とうたわれている。
 計画言語は他にもあるが、今日まで残る代表的な計画言語が提案されたのはおおむね第二次世界大戦前であって、戦後は停滞が続く。特に、戦後の世界秩序を形作る平和保証体制である国際連合の公用語に計画言語が一つも採用されなかったことは、計画言語運動の停滞を助長したであろう。
 計画言語が普及しなかった要因として、しばしば怨嗟のように挙げられるのは、言語学界の無理解である。たしかに言語を絶対アプリオリなものとみなし、発達過程で自然に習得される自然言語以外は正規の言語として認めず、計画言語に無関心な言語学者はいまだに少なくないようである。
 より政治的な要因として、第二次大戦終結の頃にはすでに英米の覇権により征服言語としての英語が事実上の世界語として普及し始めていたという状況に加え、如上のように計画言語が競合的に林立し、それぞれ支持者の団体を形成するようになったため、単一の計画言語を国連公用語に指定することが困難になったこともあろうが、計画言語に内在する要因も考えなくてはならない。
 それは代表的な計画言語すべてが東欧を含む欧州で創案され、言語学的中立性を標榜しながらも、語彙や文法構造の点では、どう見ても欧州の印欧語族系言語の影響を受けている事実は否定できないことである。とすると、学習上、非印欧語族系や印欧語族系でもインド系・イラン系の言語を母語とする者にとって、既存計画言語の習得は必ずしも容易とは言えないことになる。
 この内在的な要因はしばしば各計画言語の支持者・推奨者によって軽視されているが、想像以上に計画言語の停滞をもたらしていると見るべきであり、そこから新世代の計画言語の創案という新たな視野が開けてくるだろう。

2017年12月
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