〆ピアノの政治経済学

2015年3月29日 (日)

ピアノの政治経済学(連載最終回)

note6:電子時代とピアノ③

notesピアノのゆくえ
 マルクスは、「芸術の然るべき最盛期は、決して社会の一般的発展と歩調が合っていないし、従ってまた、物質的基礎の発展、言わば社会の組織の骨組みの発展とも歩調が合わない。」とし、芸術と社会経済発展との時間的なずれを指摘している。
 実際、ピアノという楽器は基本的には18世紀の前資本主義ないし初期資本主義時代の産物であるが、見てきたように、当初はマイナー楽器としてスタートし、その後多くの技術革新を経て、ついには電子ピアノの登場を見ることになった。
 とはいえ、電子時代にあっても、ピアノの中心はなお圧倒的に伝統のアナログ式ピアノであり、一般的にはアナログ式ピアノの職業的演奏家であるピアニストは全大陸に散在し、数的には歴史上最多を数える「大競争」時代を迎えている。マルクスの芸術法則どおり、近代楽器ピアノの最盛期は、ポスト近代の時代に後れてやってきた。
 時代はグローバル資本主義であり、商業主義が西洋古典芸能であるクラシック音楽の世界でも支配的となり、ピアノは楽器とその演奏(=視聴サービス)もろとも商品としての性格を濃厚にしている。
 一方で、西洋では若者のクラシック音楽離れも見られ、従来すぐれたピアニストを輩出してきた諸国の斜陽化と引き換えに、中国をはじめとする東アジアから国際的なピアニストが生まれる新現象も見られる。
 ジャンルの面では、ピアニストの多くがいわゆるクラシックを専門とするが、従来からのジャズに加え、クラシックとポピュラーのミックスされた領域も開拓されてきており、ジャンルの多様化も見られる。
 ピアノが特殊な普及を見せた日本では、高度成長期の「ピアノブーム」―筆者もそれに巻き込まれた―はひとまず終息し、今や家庭で埃をかぶって眠りについている中古ピアノの引き取りがビジネスとして成り立つ時代に入ったが、世界のピアノ生産拠点としての位置は変わっていない。
 ピアノという大衆普及楽器としてはいささか奇妙なほど大型の楽器が今後どうなるかの明確な予測は難しいが、現時点ではこの楽器がかつてのチェンバロのように古楽器として押しのけられるとの予測は成立し難い。
 現状、ピアノに取って代わり得るような新規の鍵盤楽器の開発は見られず、もし起こるとすれば、電子ピアノが伝統ピアノを押しのけていくというピアノ内部での新旧交代現象であろう。しかし、前回も述べたような電子ピアノの音響的な限界性が完全に克服されない限り、その可能性も低い。かくして、ピアノはマルクスの如上芸術法則を確証する好個の例であり続けるだろう。(連載終了)

2015年3月22日 (日)

ピアノの政治経済学(連載第18回)

note6:電子時代とピアノ②

notes電子ピアノの可能性
 「電化革命」以後の電機の発達が、ピアノそのものを電気で動かす言わば「電機ピアノ」の発明につながることは必然であった。そうした発明の初例は、電気ピアノ(エレクトリック・ピアノ)である。
 その嚆矢の一つは、三大ピアノメーカーの一つ、ベヒシュタインがジーメンス社と共同開発した電気グランドピアノ「ネオ・ベヒシュタイン」であった。発売年代は世界大恐慌が吹き荒れた1930年代のことであり、これは時を同じくして発達し始めた大衆軽音楽用に開発された楽器であった。
 第二次大戦後、アメリカのフェンダー社やヤマハが本格的な製造に乗り出した電気ピアノの人気は大衆音楽人気とともに高まり、70年代頃に頂点を迎えたと見られる。しかし間もなく、小型化され、より携行性に富んだシンセサイザーのような電子楽器に取って代わられ、電気ピアノはポピュラーの世界でも姿を消していく。
 一方で、コンピュータ技術の高度化により、電子回路を用いた電子ピアノ(デジタル・ピアノ)が登場してきた。これも広くは「電機ピアノ」の一種であるが、伝統ピアノと同様にハンマーの仕組みを持つ「電気ピアノ」とは異なり、「電子ピアノ」は音源自体を電子回路化している点で、まさにデジタル式のピアノである。
 電子ピアノは伝統ピアノとは異なり、軽量であり、演奏データの記録再生機能を備える機種も多く、調律も不要、音量調節により近隣騒音防止も期待できるなど、実用性の高さに定評ができつつあるが、演奏会用楽器としての普及は進んでいない。これは特に西洋古典芸能である保守的なクラシック音楽の世界では、依然としてアナログ機械の権化のような伝統ピアノの需要が圧倒的に高いからである。
 音楽的にも、電子ピアノは伝統ピアノほどの豊穣な音響がないとか、変音が画一的であるとか、電子的発音に伴う欠点が指摘され、現時点では伝統ピアノを凌駕するほどの優位性はないが、他の機器と同様、日進月歩の情報技術は電子ピアノの性能をさらに高度化させていくであろう。
 電子ピアノ製造は楽器製造であると同時に電機製造でもあるので、その開発・生産には伝統的な楽器メーカー以外からの参入もあり、楽器産業の編成にも変化を及ぼしている。目下、電子ピアノの領域でも日本は世界の生産拠点である。

2015年3月 8日 (日)

ピアノの政治経済学(連載第17回)

note6:電子時代とピアノ①

notes自動ピアノの盛衰
 キーを押すことで発音する鍵盤楽器は自動化という工学的アイデアと比較的マッチしやすいため、早くから自動化が試みられてきた。資本主義時代におけるピアノの産業的成功は、「未来のピアノ」自動ピアノの発明も促進した。
 最も早い自動ピアノは19世紀半ばに出ているが、自動ピアノの開発が本格化したのは、1870年代以降のことであった。特にアメリカ合衆国の建国100周年を記念して開催された1876年のフィラデルフィア万国博覧会では多くの自動ピアノが展示され、さながら自動ピアノ元年の様相を呈した。
 自動ピアノの需要が急速に生じたのは、ピアノの大衆的普及に伴い、演奏の複製への需要も高まったことがある。まだ録音技術がなかったため、一回的な生演奏に飽き足らず、同じ演奏を複数回聴くためには、自動演奏が可能な機械を必要としたのだった。
 電化革命を経て久しい現代では、自動といえば電化製品を想起するが、電化革命前夜の自動ピアノは非電動のバネ式や空気式であった。来たる電機の発明は、自動ピアノの性能も飛躍的に向上させるはずであった。
 ところが、自動ピアノの本格的な発明と時を同じくして、蓄音機が発明される。通説的な発明史では、発明王エジソンが実用化に成功した1877年が蓄音機の発明年とされる。当初の蓄音機は非電動であったが、エジソン自身も寄与した電機の発明によって、電気蓄音機が登場し、音楽の録音・再生技術が飛躍的に進歩していく。
 こうして複製芸術の時代が開幕し、レコードという新しいメディアが商業的に普及していくと、自動ピアノの需要は急速に衰えていった。とはいえ、現代の電子時代はコンピュータ技術と結びついた新たな自動ピアノの可能性に道を開いている。
 しかし、録音・再生技術のほうもCDからウォークマン、iPodといった携帯音楽プレーヤーの発明を経て進化し続けており、複製用としての自動ピアノの需要は回復しそうにない。一方、需要のほどは未知数だが、人工知能を内蔵した自動ピアノによって人間技ではなし得ないような高難度の技巧を要する楽曲の演奏が可能となるかもしれない。

2015年3月 1日 (日)

ピアノの政治経済学(連載第16回)

note5:資本主義とピアノ③

notes「才能」か「階級」か
 20世紀後半期におけるピアノの産業的成功は、ピアノの大量生産・大衆的普及と、習い事としてのピアノの隆盛、その結果としての職業的ピアニストの飛躍的な増大という現象を作り出し、21世紀に至っている。
 およそ西洋音楽を志望する者の間で、ピアニストは現在でも最も人気のある進路であるが、それはクラシックかポピュラーかを問わず、熾烈な競争が待つ世界である。特に伝統的なクラシック分野では、幼少期からの英才教育と大学レベルの音楽教育に加え、多くの場合、国際的コンクールでの優勝・上位入賞が登竜門となる。
 この点、ピアノ草創期と異なり、音楽家の養成がもはや世襲制でなくなり、見かけの能力制に変化した近代以降、商業的デビューの前提となる能力的選別の役割がコンクールに委ねられるようになっているため、「神童」として幼児期にデビューを果たす一部例外を除き、コンクール歴がピアニストの重要な能力証明として確立されている。
 このことはピアニストに限らず、他の西洋音楽家にも共通しているが、一見して資金をかけた能力開発によって誰でも職業音楽家になれるかのような幻想が生じ、特に子どもの習い事に熱心な保護者はそうした錯覚にとらわれやすい。
 しかし、実のところ、音楽的才能は開発される以上に、継承されるものである。これは、言わば西洋版古典芸能である西洋クラシック音楽では、社会的な法則である。現代でも多くのすぐれた音楽家は、アマチュアを含めた音楽家の両親を持つか、少なくとも広い意味での芸術的素養を持つ両親を持っている。
 このことは、必ずしも「天才論」が想定するような遺伝因子だけで説明し切れるものではなく、やはり音楽的素養が家庭的なバックグランドを通じて親から子へと継承される性質のものであることを示している。身分制階級社会を脱した現代では音楽家はもはや身分的・家系的に継承される職業ではないけれども、ブルジョワ大衆社会の現代において音楽家は芸能中産階級を形成しており、その階級内で継承されていく職業なのである。
 こうした隠れた階級法則を意識することなく、専ら親の野心から習い事として子にピアノを強制するようなことがあるとすれば、それは子の将来に悲劇をもたらす可能性があるということに留意する必要があるだろう。階級論はもはや過去の古典である、というような幻想に惑わされるべきではないのである。

2015年2月22日 (日)

ピアノの政治経済学(連載第15回)

note5:資本主義とピアノ②

notes近代日本とピアノ
 ピアノの産業的な成功を象徴する一つの好例は、近代日本におけるピアノの普及である。日本におけるピアノの産業的成功は、単に楽器自体の普及にとどまらず、ピアノの生産においても世界的な一大拠点となったことに示されている。
 周知のとおり、近世日本は長く鎖国下にあり、西洋音楽とは隔絶されていたが、日本にピアノが伝わったのは意外に早く、1823年にオランダ商館医として赴任してきたシーボルトが持参したのが第一号とされている。しかし現在でも山口の萩で保存されているこのピアノは英国製の旧式スクエアピアノで、当時は珍奇な舶来品にすぎず、近代ピアノが日本で普及するのは、他の西洋文物と同様、明治維新後となる。
 日本の場合、ピアノの普及は直接に生産から始まる。嚆矢はヤマハ創業者の山葉寅楠である。彼は元来機械修理工であったが、小学校のオルガンの修理をしたことがきっかけで、楽器製造の道に転身し、オルガン製造を経て、ピアノ製造も開始したのであった。とりわけ、山葉の弟子で養子の山葉直吉は日本初の本格的なピアノ製造技師となり、ヤマハのピアノ生産の基礎を築いた。
 教育面では日本初の国立音楽学校である東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)が1887年に創立され、西洋音楽教育の拠点となった。それに伴いピアニストの養成も開始されるが、当初は一部少数のエリート教育の域にとどまっていた。
 日本におけるピアノの爆発的な普及は第二次世界大戦後のことである。これには戦後、ヤマハが生産活動を越え、幼児・児童向け音楽教室の開設を通じて教育面に進出したことも寄与しているであろう。それはピアノの内需を刺激して、生産拡大につなげる経営戦略でもあった。
 戦後の日本では、私立系音楽大学の創立も相次ぎ、その中でピアノ科は中心的な人気学科となり、多くのピアニストが育成されていった。特に高度成長期には、家計的な余裕の生まれた大衆子弟の習い事としてもピアノ人気が高まり、ピアノ教室が町に溢れるようになり、普及に拍車をかけた。
 結果、日本は非西洋圏では異例なほどピアノが普及した国として定着し、生産面でもヤマハはピアノ生産台数で世界一の楽器メーカーに躍進した。ヤマハから分かれた生産台数第二位の河合楽器と合わせると、世界の一位と二位を日本系資本が占め、伝統的に欧州系メーカーが優勢な演奏会用高級ピアノを除けば、ピアノ生産は日本が世界の拠点となっている。
 皮肉な見方をすれば、日本のピアノは、音楽的背景からではなく、日本をピアノの一大生産拠点に躍進させるという経済戦略から発展してきたとすら言えるのであり、まさに日本の資本主義的高度成長の象徴でもあったのだ。
 ちなみに、日本のピアノの特徴は「女子の習い事」として普及・定着してきたことである。前にも言及したように、リスト以降のピアノ曲は大柄な西洋人男性が演奏することを想定した高度な技巧を要するようになったため、「本場」の西洋のピアノは主に「男子の習い事」であり、伝統的に男性ピアニストが多いこととは対照的である。
 その理由を確定することは難しいが、おそらく戦前、ピアノがまだ大衆化される以前の時代にまず上流階級女子の習い事として普及していった歴史が戦後の大衆化の時代にも受け継がれ、余裕家庭の女子の間で広く普及していったことが影響していると考えられる。
 その結果、日本の有力ピアニストの多くが女性に偏るという西洋とは逆のジェンダーアンバランスが依然として続いているが、近年は日本人男性ピアニストの台頭も見られ、変化の兆しも見られる。

2015年2月15日 (日)

ピアノの政治経済学(連載第14回)

note5:資本主義とピアノ①

notes産業的成功
 20世紀に入ると、ピアノはその発祥地ヨーロッパや飛び地の北アメリカを越えて、アジアを含む全大陸へ普及していく。普及の度合いでライバルと言えるのはギターであるが、ギターは中型の携帯弦楽器であるのに対し、ピアノのような携帯不能な大型鍵盤楽器が文化圏を越えてこれほど広く普及したのは稀有のことであった。
 このようなことが可能になった社会的な背景として、資本主義経済の発展がある。楽器生産は本質的に驕奢品である楽器という物の性質上、長く職人的手工業生産が続けられてきたが(現在でも)、ピアノはその技術改良の過程で機構が複雑化し、一種の機械となった―「楽器」ならぬ「楽機」―ことで、資本主義的な工場生産の対象に入ってきたのである。
 他方で、資本主義社会の進展により、ブルジョワ階級の層が厚くなると、ブルジョワ階級子弟の習い事としてのピアノの人気が高まり、ピアノに対する需要も上昇していったため、ピアノのような大型楽器が商品経済のシステムにも乗るようになった。
 同時に、資本主義は文化芸術の興行を専業とする文化産業資本という新しい分野も発展させた。19世紀末以降に確立されてきた職業的ピアニストは、もはや王侯貴族の庇護を受けるのではなく、音楽興行企業と契約することによって、大衆の面前での演奏活動を通じて報酬を得るシステムも確立されていく。
 ただし、生産や興行とは別に、ピアノ教育に関しては、前回も触れたように、国家が計画的に文化事業に投資した社会主義時代のソ連や、同様の体制を取ってその同盟国となった東欧諸国が優位性を発揮するようになる。
 冷戦期には、ソ連・東欧圏のピアニストたちの西側での演奏活動は厳しく制約されていたが、冷戦の雪解けを経ると、かれらも国家の統制的なスポンサーシップの下に日本を含む西側諸国でも興行的演奏活動を行うようになり、その実力が広く知られるようになった。
 音楽の興行化は、新たに大衆音楽というジャンルを開拓した。大衆音楽とは、各民族・部族間で継承されてきた伝統的な民俗音楽とも異なり、最初から商業的にスポンサーされた大衆向け音楽であって、言わば西欧の民俗音楽であったいわゆるクラシック音楽からは分離されて、独自に発展していく。
 演奏しやすく、単独楽器としては極めてポリフォニックな特性を備えたピアノは大衆音楽の分野にも普及し、ジャズピアニストのような新しい大衆音楽専門のピアニストを産み出し、ピアニストの多様化・分業化を押し進めた。
 このように、音楽のジャンルを越えた超域的な汎用性という点でも、ピアノはギターと肩を並べる際立った存在である。総じて、ピアノは資本主義的な工業/興行化という時代の新たな流れに最もよく適応し、産業的に成功した楽器となった。

2015年1月26日 (月)

ピアノの政治経済学(連載第13回)

note4:ピアニストの誕生③

notes職業的ピアニストの誕生
 職業的ピアニストという場合、広く取ればピアノ演奏で反復継続的に対価を得ている者全般が含まれるため、古典時代の作曲家のように自作自演を常態とした人々も包含される。しかし、ここではピアノ演奏を専業とするピアニストという意味に限定すると、そうした専業ピアニストの誕生は、20世紀を待つ必要があった。
 その背景として、19世紀後半から作曲と演奏の分業化が見られ始めていた。特に19世紀後半以降の後期ロマン派は音楽の商業的興行化の潮流に伴い、より専門的で大がかりな管弦楽やオペラに中心を移したため、前期ロマン派で主役だったピアノの地位が低下したように見えた。
 このことはしかし、ピアノという楽器の凋落を意味したわけではなく、むしろピアノ演奏が作曲から切り離されて独立の専門的な芸術行為として確立される道を切り開いたのであった。
 それは、19世紀後半以降、音楽的英才教育を専門とする音楽院の創立が東西のヨーロッパ各国で相次いだことによって、技術的にも促進された。音楽院のピアノ科は多くの学生を集め、創立当初から人気の部門であった。
 そうした専門英才教育によって職業的ピア二ストの一大生産地となっていくのは、西ヨーロッパ以上に東ヨーロッパであった。特にロシアである。ロシアでは、19世紀後半に共にピアニストであったアントンとニコライのルビンシテイン兄弟がそれぞれ創立したサンクトペテルブルグとモスクワの両音楽院が二大音楽院として、19世紀末以降、現代に至るまで多くのピアニストを輩出するようになる。
 そのモスクワ音楽院の初期の卒業生であり、リスト最晩年の弟子でもあったアレクサンドル・ジロティはロシア革命後間もなくロシアを去ってアメリカに渡り、ジュリアード音楽院で指導したため、西欧音楽の後進地だったアメリカにリスト流演奏技術とロシアン・ピアニズムの双方を伝授する結果となった。
 20世紀に入ると、資本主義の発達により音楽の興行化が確立されると同時に、録音技術の開発により、演奏専業のピアニストが増えていく。一方、ロシア革命後のロシアでは、社会主義の文化的な優位性を宣伝する目的からも、音楽教育は重要な国家事業とされ、国立の音楽院を通じた職業的ピアニストの育成にも注力された。
 このようにして誕生した近代的ピアニストは、少数の例外者を除き、もはや作曲には従事せず、他人が作曲した楽曲の演奏に専従し、程度の差はあれ、作曲者とは独立した自身の解釈に基づいて演奏することが許される演奏芸術家として、地歩を築いていく。

2015年1月18日 (日)

ピアノの政治経済学(連載第12回)

note4:ピアニストの誕生

notesピアノの魔術師
 職業的ピアニストの誕生に大きく寄与したのは、ハンガリー生まれのフランツ・リストであった。彼は、その名前からも明白なドイツ系ハンガリー人であり、11歳以降は故国を離れ、オーストリアやドイツを拠点に活動したため、実質はドイツ人と言ってよかった。
 リストは10歳になる前にピアニストとしてデビューしたいわゆる「神童」であったが、彼の特徴は「ピアノの魔術師」とまで評されるほどの並外れた超絶技巧にあった。その演奏は同時代の名手であったショパンやクララ・シューマンからも感嘆されるほどであった。
 リストは長じてから作曲活動も開始したが、これは彼の時代、依然として作曲家による自作自演の慣習が残っていたことからして、自然な流れであった。リストはショパンとは異なり、管弦楽曲も手がけたが、自身が技巧派のピアニストであったため、自ら演奏することを念頭に置いた技巧的なピアノ曲が作曲活動の中心にあった。
 その典型例が、ショパンの練習曲集と並び、今日でも上級者向けの課題曲として世界中で使用されている全12曲の『超絶技巧練習曲』である。それ以外にも彼はいくつもの練習曲集を書いているが、いずれも高度な技巧を要する難曲として知られるものばかりである。
 リストはショパンが開拓した新しいピアノ音楽と演奏技術をさらに発展させ、今日的なピアニズムの土台を築いた人物でもあった。ある意味では、リストという異次元の演奏技術を持つ作曲家ピアニストが出現したことで、彼以降のピアニストにもリスト並みの高度な演奏技術が要求されるようになり、ピアノ学習者にとっての壁が極めて高くなったとさえ言える。
 同時に、リストの演奏技術は1オクターブを越える和音を楽々演奏できたと言われるリストのような手の大きいヨーロッパ人男性を前提としたものであったため、女性には身体条件的に不利な面が生じ、―後に述べるように、近現代日本の「常識」に反して―ピアノを男性中心的な楽器に仕立てていく結果ともなった。
 前述したとおり、リストは依然として伝統的な作曲家ピアニストであったが、ショパンよりも演奏活動を数多くこなし、今日的なコンサート・ピアニストに近い存在であった。
 彼はまたピアノ指導にも熱心で、早熟ゆえに15歳から早くも他人の指導を始め、生涯を通じて多国籍の弟子を数多く育成した。彼の弟子たちが各国でリスト流の指導法によりさらに孫弟子を育成していったことで、リスト流演奏技術が彼の作品とともにヨーロッパの主要国に拡散していった。
 このような「リスト・スクール」の形成は、世紀をまたいで20世紀以降、演奏の対価で生活していけるだけの高い演奏技術を備えた職業的ピアニストというカテゴリーが確立されるうえで重要な核ともなったのであった。

2015年1月12日 (月)

ピアノの政治経済学(連載第11回)

note4:ピアニストの誕生①

notes作曲家ピアニスト
 今日、ピアニストというと、大きくクラシック系とジャズを含めたポピュラー系とに分かれ、全世界に無数に存在するが、このようにピアノ演奏を職業とし、演奏の対価で生活する職業ピアニストというカテゴリーが誕生したのは、そう古い話ではない。
 自ら作曲せず、専ら他人が作曲した楽曲の演奏を専門とする純粋の演奏家ピアニストが誕生したのはせいぜい19世紀末以降のことで、アジアを含めた全大陸にピアニストが誕生するのは、第二次世界大戦後のことと言ってよい。
 専業ピアニストが誕生する以前とは言えば、作曲家自身が自作自演するのが慣例であった。モダンピアノ以前の時代ではあるが、モーツァルトやベートーベンはそうした作曲家ピアニストの代表的存在であった。作曲家自身が演奏家でもあったことから、この時代のピアノ演奏では即興演奏が常識であり、モーツァルトやベートーベンもそうした即興演奏の名手として知られていた。
 ロマン派の時代に入っても、作曲家ピアニストが自作自演する慣習はしばらくの間続いていた。ピアノの世界に革命を起こしたショパンのような人にしても、まだ作曲家ピアニストの範疇にとどまっていた。実際、彼は当代最高のピアニストと言われながら、生涯を通じて公開演奏会を開いたのは30回に満たないとされるのも、まだ専業ピアニストというものが確立されていなかった時代を反映している(個人的にも公開演奏を好まなかったと言われる)。
 変化が起きるのは、19世紀中頃である。シューマンの妻でもあったクララ・シューマンは本来は作曲家でもあったが、おそらくは女性作曲家という存在への偏見から作曲家としての道は断念し、ピアノ演奏に徹した。その結果として、ほぼ演奏だけで生活する―著名作曲家である夫の収入にも支えられていたとはいえ―専業ピアニストの先駆けとなったのだった。
 クララはショパンからも自身の技巧的な練習曲集を正確に演奏できる唯一のドイツ人女性と称賛されるなど、ショパン以降の高度化したピアノ演奏にも耐え得る技巧を備えた近代的ピアニスト(ヴィルトゥオーゾ)の先駆けでもあった。
 とはいえ、クララのような存在は当時まだ例外的であり、その演奏も作曲者―とりわけ自身の夫―の代わりに演奏するという代行業的な性格の強いものであり、ピアノ演奏がそれ自体固有の芸術的行為となる時代はまだ先のことであった。

2014年12月29日 (月)

ピアノの政治経済学(連載第10回)

note3:ロマン派の花形楽器③

notesモダンピアノの完成
 モダンピアノの基礎となる19世紀の技術革新の多くはフランス発であったが、その後の展開においてピアノ生産の中心となったのはドイツとアメリカであった。その嚆矢は、今日でもその製品が演奏会用高級ピアノとして使用されているスタインウェイ社の設立である。
 同社は元来、ドイツ人の家具職人であったハインリヒ・シュタインヴェークが1836年以降、ピアノ職人に転じて始めた工房に由来する。彼は1848年、フランスの2月革命に端を発するブルジョワ革命―「諸国民の春」―の余波がドイツにも及び、政情不安が高まったことを機に、家族とともにアメリカへ移住した。
 そうして移住後に名前をアメリカ風にスタインウェイと改名して1853年にニューヨークで設立したのが、スタインウェイ・アンド・サンズ社である。これを機に、新たなピアノ生産拠点としてアメリカが浮上してくるのである。
 スタインウェイは独学のピアノ職人が創業したメーカーでありながら、否、それゆえにと言うべきか、従来のピアノの設計思想の常識を破る革新をもたらした。ヨーロッパの常識では、ピアノは一昔前のチェンバロの延長として、王侯貴族のサロンのような場所やせいぜい小さなホールでの演奏を想定して設計されていたが、初めからブルジョワの国であったアメリカでは今日のコンサート会場の原型とも言える大勢を収容する大ホールでの大衆的な音楽会での演奏を想定する必要があった。
 そのために、スタインウェイのピアノは音響効果の悪い大ホールでの演奏にも耐え得るように、科学的な音響工学を取り入れ、胴部分を分厚く設計するなど、多様な共鳴性に配慮されたピアノであった。こうしたスタインウェイの新基軸は、ブルジョワ革命以後のヨーロッパでも音楽の大衆化が進むにつれ、浸透していった。
 スタインウェイ社は創業者スタインウェイの死後、生産拠点を故国ドイツのハンブルグに移したため、再びピアノ生産の中心はドイツへ帰っていく。ドイツでは他にも、1850年代にベルリンでベヒシュタイン社が設立され、隣接するオーストリアのベーゼンドルファーと並び、ドイツ語圏三大ピアノメーカーが出揃う。
 このようにして、19世紀末には現在のようなモダンピアノが完成を見る。時は資本主義の時代の本格的な始まりであり、商品としてのピアノ生産が開始されるとともに、ピアノ演奏で報酬を得て生活する職業的ピアニストというカテゴリーも誕生してくる。

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