経済展望台

2018年4月14日 (土)

仮想通貨の深層

 広い意味でのキャッシュレス化の歴史を大きく見ると、クレジット化に始まり、電子マネーから仮想通貨へと進んできている。この過程というのは、その順番で貨幣経済が高度化していく過程でもある。
 クレジット段階では与信による後払いという形で貨幣を交換し合う形がなお残されている。電子マネーは真の意味のマネーではなく、商品券に近いが、貨幣を交換し合う決裁過程が電子化される点では、貨幣というモノを交換し合う過程が抽象化されている。
 最後の仮想通貨は、「通貨」として国の信用が裏づけされていない限りではまだ電子商品券の域を出ていないとも言えるが、今後取引社会の慣習として定着するにつれ、電子化されたマネー―真の意味での電子マネー―となる可能性があり、国際的には現実にそうなりつつある。
 ここに至ると、もはや硬貨なり紙幣なりの貨幣というモノを直接やり取りするという物々交換の痕跡を残した過程は全く抜け落ち、電子化された抽象的な交換価値だけがやり取りされることになる。
 それは貨幣経済の究極的な姿とも言える。貨幣経済が高度化すると、貨幣という目に見えるモノが消失してしまうという逆説的事態である。
 しかし、それによって貨幣経済そのものが消失するわけではなく、目に見えない交換価値そのものが貨幣経済の化け物として経済を支配するようになるというホラー的世界が待っているのである。

2017年12月31日 (日)

熟れた果実の法則

 『共産論』を主軸とするブログ発信を開始して早7年目が過ぎようとしている。この間、世界経済は米国経済の見かけ上の回復・堅調や鈍化・混乱しながらも総体として成長を維持する新興国経済に支えられて、表層的には好調に見える。日本経済も平均株価2万円台を回復し、「アベノミクス」も意気軒昂のようである。
 しかし、先発国でも賃金の伸びは見られず、新興国の貧困も根本的には解消されず、稼ぎの悪い者は置き去りというまさに資本主義らしい「置いてけ堀経済」の特質がグローバルに拡散してきた。
 資本主義自体は、さらにグローバルな膨張を示して爛熟期を迎えようとしているが、それは同時に腐乱の始まりでもある。果実で言えば最高の熟れ時であり、甘くて美味しいが、腐り始めてもいる。来年以降2020年へのカウントダウンとなる中、腐った部分を慎重によりわけながら、美味の部分に群がる競争が激化するだろう。
 だが、美味の部分は富裕層―資本主義貴族―があらかた分捕ってしまうことだろう。熟れた果実を巧みに食するには安定収入のみならず、資産運用、租税回避などの法的経済的技巧とそれらを合法的に伝授する専門家ブレーンの助言も不可欠であり、それらは無産階級者にはとうていアクセスできない手段だからである。

2017年11月12日 (日)

資本主義的貴族制

 このところ、国際調査報道組織の手により、パナマ文書、パラダイス文書と、世界各国の富裕層・大資本がタックスへブンを利用して租税回避行為を行なっている実態が続々と暴露されている。その内容を見ると、現代資本主義社会における致富行為の技術的なカラクリがよくわかる。
 資本主義社会は生まれより能力―金を稼ぐ能力―に基づく社会と喧伝されているわけだが、金を稼ぐ能力に加え、稼いだ金を隠す能力も要求されているということである。それと同時に、これら富裕層・大資本の資産額の天文学的数値、また文書に名前の挙がる一部富裕層の暮らしぶりは、まさに現代の貴族―大資本も法人貴族―と呼ぶにふさわしいものである。
 それも個人的な能力の証だと抗弁したところで、資本主義社会でも共通して認められている相続制度を介して、蓄積した資産は子孫に継承されていくのであるから、経済的には世襲貴族も同然である。考えてみれば、中世以来の王侯貴族たちも、先祖は卑賤であったり、出自不詳であることが少なくないのであって、祖先の特定人物の成功の結果が子々孫々に継承されているだけである。
 そうした構造は、「能力社会」を標榜する資本主義社会でも変わりない。現代=晩期資本主義は、それ以前の勃興・成長期資本主義と比べても、貴族制の顕著化・固定化を進行させるだろう。それによって、資本主義は柔軟性を失い、閉塞した半封建的経済に陥っていくと展望される。

2017年2月24日 (金)

働き蜂社会は不変

 政府肝いりでの“プレミアムフライデー”とやらが始まった。“ワーク・ライフ・バランス”もそうだが、こなれないカタカナ語で上から一斉に号令をかけるやり方がまた一つ増えたようである。
 しかし、「労働時間の短縮」を正面から掲げず、「働き方改革」などと言葉を濁して過労の基本にある働き蜂社会を温存したまま、スローガンを繰り出しても本質は変わらない。働き蜂が月一で金曜日だけ早く羽を休めたところで、総体としての蓄積過労は回復されないだろう。
 だが、そもそもこのキャンペーンの隠された目的はレジャーで消費を刺激することにあるようだ。働き蜂を月一で食い蜂に変身させて消費不況を解消しようという経済界の思惑である。労働に代えて消費に繰り出して、胃袋を過活動状態にするのは休息ではない。
 働き蜂社会の大転換が明白に意識され、休息の自由が権利として確立されるのは、いつのことだろうか。巨大なGDPの維持を絶対目標としている限り、この国では永久に無理だろう。

働くために休むなかれ、休むために働くべし。

2016年12月31日 (土)

資本主義反動

 今年最大の政治的出来事はドナルド・トランプの米大統領当選だったが、経済的にみても同じ答えになるだろう。その意味で、彼の登場は政治経済的現象だった。
 トランプの当選は、新たな保護主義の波の到来を意味する。彼は現代のマンチェスター学派の産物たる大陸間自由貿易協定への一貫した反対者として立ち現れたからである。
 同時に見逃してはならない転換は、トランプが反エコロジズムの旗手になろうとしていることである。トランプ次期政権はパリ協定からの離脱を検討している。現時点では離脱を明言していないものの、温暖化懐疑論者の集まりである政権が事実上離脱したに等しい政策転換を見せることは間違いないだろう。
 予測不能という「予測」もある中、反環境的国内資本優先政策という反動的なトランプ経済政策の骨格が見えてくる。これは中国をはじめ、主要経済大国を同様の方向へ転換させる契機となるかもしれない。
 保護貿易抗争と地球環境の損傷が同時進行するのは、半世紀以上前への反動的後退である。来年が資本主義反動元年となるのか、注視していきたい。

2016年12月10日 (土)

臨時御恵金の不合理

 税金でTV広告まで展開しての臨時給付金の支給が恒例化している。しかし、この制度の趣旨は不明確である。消費増税の代償という意義を想定しているらしいが、定期給付ならともかく、臨時にわずかな金額を一回的に給付しても、とうてい日々の消費増税分の補填になどならないことは明白である。
 わずかな金額の給付を受けるために申請書や所定証明書類をその都度郵送しなければならない手間に加え、給付実務を担う自治体の財政的・人的負担も軽くないことを考えると、合理的な制度とは言い難い。この制度は、結局のところ、経済合理性では説明のつかぬ納税者慰撫のための御恵金としか思えない。
 自治体ごとにばらつきはあるようだが、申請率も子育て世帯向けを除くと、おおむね低いようである。いっそ受給条件をより厳格に絞り込み、真に困窮している世帯にまとまった金額(例えば10万円)を支給するほうが臨時救貧対策としてまだ合理的なのではあるまいか。現行制度には経済的展望がない。

2016年7月23日 (土)

世界ボケモン化計画

 目下、世界を駆け巡るポケモンGOは、世界を激変させるかもしれない。ただし、残念ながら、良い激変ではない。
 「歩きポケモン」は普通の「歩きスマフォ」以上に没入しやすいため、交通事故、接触・転倒事故、侵入事件の多発等の危険性はいっそう高く、社会秩序混乱の恐れがある。その意味で、今度の新規商品開発はもはや「ゲーム漬け」のような生易しい問題では済まず、娯楽資本として一線を越えた観がある。
 社会秩序問題をさておいても、四六時中ポケモンに夢中、他のことは眼中に無しという没頭状態になるほど、政治的・社会的な問題に無関心な人間も増え、為政者らはやりたい放題である。従って、社会秩序混乱のコストを負担してでも、為政者らは「ポケモン禁止令」などは出さず、むしろ奨励するだろう。
 ポケモンならぬ世界ボケモン化計画―。
 元来、ファミコン時代以来、電子ゲームの爆発的普及にはそうした資本主義の総愚民化戦略という政治的な側面もあったのだが、ポケモンGOはその究極段階となるかもしれない。人々がすぐに飽きてしまわなければだが。
 ただ、モードの主導者が今回は日本資本以上に米国資本であったことは、日本経済の現状を象徴しているのか。

2016年6月29日 (水)

アベノミクスの終幕

 今般参院選の最大争点は「アベノミクスの是非」だとされる。しかし、政権選択に関わらない参院選は最終総括ではなく、中間総括である。とはいえ、次の結論はすでに見えている。;アベノミクスは一定の成果は上げたが、終幕を迎えている。
 元来、アベノミクスとは世界大不況後、東日本大震災に直撃された日本経済を立て直す期間限定の救済策にほかならず、その中心は大資本支援を通じた株価対策だった。これについては、ある程度成果を出したが、結局、東証平均株価2万円台を安定的に維持するまでには至っていない。
 政権の規定上の残任期2年余りで達成できるという確信も、新興国経済の下降と英国のEU脱退というハプニングのため、得られそうにない。となると、アベノミクスも終幕を迎えることになる。
 おそらく賢明なる政権の主もそのことは理解されているのだろう、参院選の争点としてはぼやかしながらも、政権の残任期では、経済対策から最大の政治的悲願である改憲プロセスの始動へシフトする構えを見せているところである。
 他方、反安倍野党連合が提案する擬似社会民主主義的な転回策も、資本主義自体が終末期に入ってきている段階では、十分な成果を上げる見込みはないが、終末期に伴う痛みを緩和するケア的な意義なら認められるかもしれない。

2016年6月 2日 (木)

経済危機前夜論

 安倍首相が伊勢志摩サミットでぶち上げた「リーマンショック級危機前夜」論は、空振りに終わったようであるが、歴代、外では寡黙な内弁慶の日本首相の提起がこれほど国際的に関心を集めるのは珍しい。
 とはいえ、安倍首相の認識ははたして荒唐無稽だったのだろうか。たしかにこの問題提起の裏には消費増税先送りの大義名分にG7を利用したかったという思惑もあったのだろうが、晩期資本主義下で世界経済が不安定化しており、しかも頼みの中国経済の下降という要因を加味すると、危機前夜認識もそう荒唐無稽ではないと言える。
 ただ、欧州ではドイツが堅調で、ドイツが牽引する小繁栄的現象(拙稿参照)の兆候が見られることで、ドイツのメルケル宰相がとりわけ安倍認識に否定的であったのは注目される。しかし、そのドイツも中国市場に依存しており、国内的にも新自由主義政策の結果としての格差拡大や貧困問題が内在し、決して楽観はできない。
 安倍首相の提起はあまりにも「選挙前夜」の国内政治情勢を反映しすぎていたのではあるが、油断に対する警告的な意味合いはあったのではないか。もちろん、首相が資本主義の終焉を予知しているとは思えないが。

2016年2月17日 (水)

資本主義終末期の始まり

 約二年前の本欄で、「新興国が軒並み下降期に入っていく頃、資本主義はいよいよ終末期を迎えることになる。それまでまだ相当の期間が残されているから、その間、新興国は投資対象として最後のフロンティアを提供するだろう。」と暢気なことを書いたが、想定していた終末期は意外に早まるかもしれない。
 今年に入っての世界同時株安は、新興国全般の不振を背景とした底の深いものであることが明らかとなりつつある。直接には米国の利上げによる資金引き上げが影響しているが、それ以上に中国をはじめとする新興諸国経済が早くも下降期に入ったようだ。
 元来、これら諸国は先発資本主義諸国のように歴史的な時間をかけた資本蓄積に基づかず、外資依存の身の丈に合わない背伸びで急成長してきたため、ちょうど無理な背伸びに耐え切れず、姿勢が崩れた体のような状態になっているのだ。新興諸国経済のドミノ倒し的な崩壊は先発諸国経済にも打撃として跳ね返ってきて、資本主義総体の内部的な瓦解を促進するはずである。
 それに照応する革命運動の胎動が始まるかどうかについてはまだ予断を許さないが、従来社会主義を事実上のタブーとしてきた資本主義総本山アメリカで社会主義者を公称する大統領選候補者が出現し、とりわけ若い世代の間で旋風を巻き起こしていることは小さくない注目に値する。こちらは暢気に観戦しよう。

2018年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31