経済展望台

2017年2月24日 (金)

働き蜂社会は不変

 政府肝いりでの“プレミアムフライデー”とやらが始まった。“ワーク・ライフ・バランス”もそうだが、こなれないカタカナ語で上から一斉に号令をかけるやり方がまた一つ増えたようである。
 しかし、「労働時間の短縮」を正面から掲げず、「働き方改革」などと言葉を濁して過労の基本にある働き蜂社会を温存したまま、スローガンを繰り出しても本質は変わらない。働き蜂が月一で金曜日だけ早く羽を休めたところで、総体としての蓄積過労は回復されないだろう。
 だが、そもそもこのキャンペーンの隠された目的はレジャーで消費を刺激することにあるようだ。働き蜂を月一で食い蜂に変身させて消費不況を解消しようという経済界の思惑である。労働に代えて消費に繰り出して、胃袋を過活動状態にするのは休息ではない。
 働き蜂社会の大転換が明白に意識され、休息の自由が権利として確立されるのは、いつのことだろうか。巨大なGDPの維持を絶対目標としている限り、この国では永久に無理だろう。

働くために休むなかれ、休むために働くべし。

2016年12月31日 (土)

資本主義反動

 今年最大の政治的出来事はドナルド・トランプの米大統領当選だったが、経済的にみても同じ答えになるだろう。その意味で、彼の登場は政治経済的現象だった。
 トランプの当選は、新たな保護主義の波の到来を意味する。彼は現代のマンチェスター学派の産物たる大陸間自由貿易協定への一貫した反対者として立ち現れたからである。
 同時に見逃してはならない転換は、トランプが反エコロジズムの旗手になろうとしていることである。トランプ次期政権はパリ協定からの離脱を検討している。現時点では離脱を明言していないものの、温暖化懐疑論者の集まりである政権が事実上離脱したに等しい政策転換を見せることは間違いないだろう。
 予測不能という「予測」もある中、反環境的国内資本優先政策という反動的なトランプ経済政策の骨格が見えてくる。これは中国をはじめ、主要経済大国を同様の方向へ転換させる契機となるかもしれない。
 保護貿易抗争と地球環境の損傷が同時進行するのは、半世紀以上前への反動的後退である。来年が資本主義反動元年となるのか、注視していきたい。

2016年12月10日 (土)

臨時御恵金の不合理

 税金でCMまで展開しての臨時給付金の支給が恒例化している。しかし、この制度の趣旨は不明確である。消費増税の代償という意義を想定しているらしいが、定期給付ならともかく、臨時にわずかな金額を一回的に給付しても、とうてい日々の消費増税分の補填になどならないことは明白である。
 わずかな金額の給付を受けるために申請書や所定証明書類をその都度郵送しなければならない手間に加え、給付実務を担う自治体の財政的・人的負担も軽くないことを考えると、合理的な制度とは言い難い。この制度は、結局のところ、経済合理性では説明のつかぬ納税者慰撫のための御恵金としか思えない。
 自治体ごとにばらつきはあるようだが、申請率も子育て世帯向けを除くと、おおむね低いようである。いっそ受給条件をより厳格に絞り込み、真に困窮している世帯にまとまった金額(例えば10万円)を支給するほうが臨時救貧対策としてまだ合理的なのではあるまいか。現行制度には経済的展望がない。

2016年7月23日 (土)

世界ボケモン化計画

 目下、世界を駆け巡るポケモンGOは、世界を激変させるかもしれない。ただし、残念ながら、良い激変ではない。
 「歩きポケモン」は普通の「歩きスマフォ」以上に没入しやすいため、交通事故、接触・転倒事故、侵入事件の多発等の危険性はいっそう高く、社会秩序混乱の恐れがある。その意味で、今度の新規商品開発はもはや「ゲーム漬け」のような生易しい問題では済まず、娯楽資本として一線を越えた観がある。
 社会秩序問題をさておいても、四六時中ポケモンに夢中、他のことは眼中に無しという没頭状態になるほど、政治的・社会的な問題に無関心な人間も増え、為政者らはやりたい放題である。従って、社会秩序混乱のコストを負担してでも、為政者らは「ポケモン禁止令」などは出さず、むしろ奨励するだろう。
 ポケモンならぬ世界ボケモン化計画―。
 元来、ファミコン時代以来、電子ゲームの爆発的普及にはそうした資本主義の総愚民化戦略という政治的な側面もあったのだが、ポケモンGOはその究極段階となるかもしれない。人々がすぐに飽きてしまわなければだが。
 ただ、モードの主導者が今回は日本資本以上に米国資本であったことは、日本経済の現状を象徴しているのか。

2016年6月29日 (水)

アベノミクスの終幕

 今般参院選の最大争点は「アベノミクスの是非」だとされる。しかし、政権選択に関わらない参院選は最終総括ではなく、中間総括である。とはいえ、次の結論はすでに見えている。;アベノミクスは一定の成果は上げたが、終幕を迎えている。
 元来、アベノミクスとは世界大不況後、東日本大震災に直撃された日本経済を立て直す期間限定の救済策にほかならず、その中心は大資本支援を通じた株価対策だった。これについては、ある程度成果を出したが、結局、東証平均株価2万円台を安定的に維持するまでには至らなかった。
 政権の規定上の残任期2年余りで達成できるという見込みも、新興国経済の下降と英国のEU脱退というハプニングにより、ほぼ潰えたと言ってよいだろう。となると、アベノミクスも終幕を迎えることになる。
 おそらく賢明なる政権の主もそのことは理解されているのだろう、参院選の争点としてはぼやかしながらも、政権の残任期では、経済対策から最大の政治的悲願である改憲プロセスの始動へシフトする構えを見せているところである。
 他方、反安倍野党連合が提案する擬似社会民主主義的な転回策も、資本主義自体が終末期に入ってきている段階では、十分な成果を上げる見込みはないが、終末期に伴う痛みを緩和するケア的な意義なら認められるかもしれない。

2016年6月 2日 (木)

経済危機前夜論

 安倍首相が伊勢志摩サミットでぶち上げた「リーマンショック級危機前夜」論は、空振りに終わったようであるが、歴代、外では寡黙な内弁慶の日本首相の提起がこれほど国際的に関心を集めるのは珍しい。
 とはいえ、安倍首相の認識ははたして荒唐無稽だったのだろうか。たしかにこの問題提起の裏には消費増税先送りの大義名分にG7を利用したかったという思惑もあったのだろうが、晩期資本主義下で世界経済が不安定化しており、しかも頼みの中国経済の下降という要因を加味すると、危機前夜認識もそう荒唐無稽ではないと言える。
 ただ、欧州ではドイツが堅調で、ドイツが牽引する小繁栄的現象(拙稿参照)の兆候が見られることで、ドイツのメルケル宰相がとりわけ安倍認識に否定的であったのは注目される。しかし、そのドイツも中国市場に依存しており、国内的にも新自由主義政策の結果としての格差拡大や貧困問題が内在し、決して楽観はできない。
 安倍首相の提起はあまりにも「選挙前夜」の国内政治情勢を反映しすぎていたのではあるが、油断に対する警告的な意味合いはあったのではないか。もちろん、首相が資本主義の終焉を予知しているとは思えないが。

2016年2月17日 (水)

資本主義終末期の始まり

 約二年前の本欄で、「新興国が軒並み下降期に入っていく頃、資本主義はいよいよ終末期を迎えることになる。それまでまだ相当の期間が残されているから、その間、新興国は投資対象として最後のフロンティアを提供するだろう。」と暢気なことを書いたが、想定していた終末期は意外に早まるかもしれない。
 今年に入っての世界同時株安は、新興国全般の不振を背景とした底の深いものであることが明らかとなりつつある。直接には米国の利上げによる資金引き上げが影響しているが、それ以上に中国をはじめとする新興諸国経済が早くも下降期に入ったようだ。
 元来、これら諸国は先発資本主義諸国のように歴史的な時間をかけた資本蓄積に基づかず、外資依存の身の丈に合わない背伸びで急成長してきたため、ちょうど無理な背伸びに耐え切れず、姿勢が崩れた体のような状態になっているのだ。新興諸国経済のドミノ倒し的な崩壊は先発諸国経済にも打撃として跳ね返ってきて、資本主義総体の内部的な瓦解を促進するはずである。
 それに照応する革命運動の胎動が始まるかどうかについてはまだ予断を許さないが、従来社会主義を事実上のタブーとしてきた資本主義総本山アメリカで社会主義者を公称する大統領選候補者が出現し、とりわけ若い世代の間で旋風を巻き起こしていることは小さくない注目に値する。こちらは暢気に観戦しよう。

2015年12月29日 (火)

2077年の世界

 今、民放(東京MX)で『コンティニーム』という珍しいカナダ発のSFミステリードラマが放映されている。あらすじの説明は端折るが、このドラマの前提舞台となる2077年には、ハイテク企業を中心とした「企業議会」が政権を掌握する一種の企業専制政治が行なわれているという設定である。さしあたり、それは「北アメリカ連邦」という新国家を舞台としているが、世界企業議会という国際議会もあるようである。
 この構想は、民衆会議―世界民衆会議が自己統治を行なう筆者の構想とは真逆的で、資本が政治も直接に掌握する資本主義的上部構造の究極である。現代の議会政治において、資本はすでに資金提供者として政治と密着しているが、そのような代理人政治には飽き足らず、最終的には自らが政権運営に乗り出すというわけだろう。
 実際に2077年という近未来にそこまで進んでいるかどうかはわからないが―ドラマではそういう未来を改変するべく、テロ集団が2012年にタイムスリップする―、悔しいかな、企業議会制のほうが民衆会議制より確率の高い未来に見えてしまう。
 ただ、しぶとい国家はそう簡単には資本に全権を引き渡さないだろう。2077年頃には国家が資本とより一体化しつつ、ある種のファッショ的なハイテク警察国家化をきたしているというのがより穏当な予測かもしれない。それでも十分に企業議会制に近いだろうが・・・。

2015年12月 5日 (土)

不信蓄積

 このところ、マンションのくい打ちデータ偽装、血液製剤の不正製法など老舗大手とされる企業の長年にわたる不正慣行が相次いで明らかになっている。企業倫理の問題という見方もあるが、それだけでは済まない。資本制度の本質的な問題である。
 資本は、コスト負担を何より忌避する。コストのかからない生産方法こそ、資本蓄積の要だからである。それが不正・違法であっても、容易に発覚しないなら、選択・継続するだろう。資本企業とはそういうものである。
 競争が解決策だというのも間違っている。競争に打ち勝つためにはコスト削減競争にも勝つ必要があるからだ。その過程で不正に手を出す可能性は大いにある。丁寧・誠実は職人的手工業の古き良き伝統だったが、そうしたものを壊して成立・成長してきたのが、資本主義である。その流れは今後も本質的に変わることはない。
 しかし、製品の質や安全性への不信の蓄積は、資本主義の土台を自ら揺るがし、いずれ掘り崩すだろう。資本蓄積と不信蓄積とは、表裏一体で進行し、いつという予測はできないとしても、いつか内爆的にはじけ、砕け散る時が来る。

2015年9月19日 (土)

ドイツ難民経済

 欧州への難民押し寄せが新たな国際人道問題として注目されているが、その中で、最も受け入れに積極的なドイツには「人道的配慮」に隠された一つの経済計算が働いているように見える。
 ドイツの人口は現在8000万人余りと、経済大国としてはあと一歩だが、先住ドイツ人は少子高齢化が進んでいる。だが受け入れた難民・移民が今後ドイツに定着・扶植されていけば、将来人口1億に達する可能性もあり、超少子高齢化による労働人口減で生産力も低下していく日本を尻目に、欧州の突出した経済大国として、超欧州的な経済主体にのし上がる可能性を秘めている。ドイツがGDPで日本を抜き去る可能性もゼロでない。
 ドイツの資本主義は、社会民主主義や環境主義が歴史的に埋め込まれた修正資本主義の性格が強く、上部構造も政治的多様性が保たれ、政治経済のバランスが取れている点、現時点ではドイツの上に位置するも、それぞれに歪みを抱える米・中・日とはいささか異なっている。
 資本主義が晩期にあることはたしかだが、終末期に達する前にドイツが主導する小繁栄の一時期を経る可能性はあるのではないか。そんな展望を持ちながら難民問題を眺めると、また違った側面が見えてくる。

[追記]
ただし、難民・移民の子孫たちが被差別的な下層労働者階級として固定されることになれば、かれらの社会への反感を醸成し、これまでドイツではほとんど見られなかった「ホーム・グロウン・テロリスト」を誕生させるという自爆装置を抱え込むことにもなるだろう。

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