科学の余白

2017年11月19日 (日)

「ヒトラー逃亡説」の科学性

 2014年に米国政府がナチス指導者ヒトラーに関わる戦後の捜査資料を機密解除したことで、ここ数年、改めて「ヒトラー逃亡説」がクローズアップされ、米国のTV番組Hunting Hitler(History Channel)が取り上げるなど、関心を呼んでいる。
 「ヒトラーの死(自殺)」は歴史的には確定事実とされているが、それがなおも疑われるのは、第二次大戦末期、ベルリンを制圧したソ連軍主導の検視の杜撰さと、呉越同舟状態の連合国内部ですでに生じ始めていた冷戦に向かう相互不信のせいで、「ヒトラーの死」が科学的に確証されなかったためのようである。
 それで、戦後も一部で「ヒトラー逃亡説」が一種の陰謀理論として語られてきたが、公式資料の公開によってある程度検証が可能となった。とはいえ、当時ヒトラーの死を疑っていた米国諜報機関も追跡を断念し、打ち切った案件である。Hunting Hitlerは、その追跡を改めて民間で再開し、ヒトラー逃亡説を裏付けようとする試みであるが、資料の検証だけでは科学性を担保できないだろう。
 今後も国際的に手配される戦犯やテロ首魁は出てくるだろうが、その生死は世を惑わす陰謀理論の題材とされやすい。先進的なDNA鑑定などを駆使した国際的に中立な検証体制を構築する必要があるだろう。そうした技術も枠組みもなかった70年前の「ヒトラーの死」は、なお科学の余白のままである。

2017年7月12日 (水)

東西融合医学

 今日、単に「医学」と言えば、西洋医学を指すと決まっているが、原因不明の様々な症状に悩まされるようになると、西洋医学の限界を痛感する。
 病体を壊れた機械のように修理する西洋医学は命に関わるような急性的症状への外科手術を含めた緊急対処や当面の症状軽減のための対症的薬物治療は得意だが、直ちに命に関わらない慢性的かつ多臓器的な症状―実は健康問題の大半を占める―への根治療法は不得手である。
 その点、病体をより総合的に把握する東洋医学の一環である中医や漢方は、西洋医学の知らない治療法の宝庫のようである。ただし、その欠点は経験優位で科学的な確証(エビデンス)が不充分なことである。
 東洋医学を科学的に解明し直したうえ、西洋医学と融合し、その不得手な領域を克服する医学体系の脱構築的再編が求められる時代ではないかと思う。その点、東洋医学は科学の余白というより、空白地帯かもしれない。
 未来の医療は、西洋医学至上ではなく、東西融合医学に基づき、医師も東西両医学体系を身につけた施術者であるべきではないか、と願望する。

2016年9月11日 (日)

STAP再評価

 不正問題で揺れ、自殺者まで出し、日本では否定されたSTAP細胞だが、海外では近時、再評価の動きがあるようだ。例えば、米国のセントルイス・ワシントン大学が酸性浴で癌細胞を初期化する実験に成功し、報告論文の中で、問題となった理研論文も引用しているという。
 ただし、これは理研論文とは異なる手法による実験であり、理研と同じ手法で再現実験したドイツのハイデルベルク大学は失敗しているとのことで、STAP理論そのものが認められたわけではない。
 とはいえ、セントルイス・ワシントン大学の研究は、「物理的刺激による体細胞の初期化」というSTAP理論のユニークな「発想」自体は生物学上荒唐無稽なものではなかったことを示すものである。
 筆者自身、以前の記事で、「門外漢にとってなお気になるのは、STAP細胞なるものは生物学の理論上あり得ないものなのか、それとも理論上はあり得るが、実験室で作成する技術がいまだ開発されていないのか、という点である。」と記したところだが、これへの回答は海外から出始めているようである。
 海外研究者は不正問題の部外者であり、局外中立的に改めてSTAP理論を再評価し、そのコンセプトを自由に検証しやすいのかもしれない。しかし科学の余白を埋める探求は不正問題と切り離して行なわれるべきものであることは、国内外を問わない。日本の研究者も、後に続くことを期待したい。

2016年4月30日 (土)

「地火庁」独立提言

 日本の気象庁は、その名称にもかかわらず、地震・津波の観測・予報まで担っている。しかし、そろそろこのような体制は見直したほうがよい。
 気象庁は5年前の東日本大震災でも予想される津波の規模を過小評価したし、先日の熊本地震でも「前震」と「本震」を識別できず、犠牲を拡大している。これらを「誤報」と断じることができるかは難しいが、気象庁の(ほとんど神秘的な)信頼性からして、その過小予報が犠牲を拡大する危険性は常にある。
 現行気象庁の体制では地震火山部という包括的な部署が、地震から火山、さらに津波の観測まですべてを管掌するというかなり大雑把な構制である。天の問題を専門とする気象庁が言わば副業的にこれら地の問題を扱っている印象は否めない。
 こうした無理な包括体制はこの際改め、気象庁から地震火山部を分離独立させ、人員も大幅に拡充したうえ、「地震火山庁」(地火庁)を設置すべきではないか。ただし、津波は地震とも関連はするものの、海洋問題でもあり、津波監視センターのような特化観測機関をさらに独立させるほうがなお望ましいかもしれない。
 「行革」に反する? 否、地震大国にあっては、スポーツ庁の新設が「行革」に反しないなら、「地火庁」はいっそう反しないはずである。

※例えば、米国では気象庁に相当する「国家気象局」(商務省管轄)と地震・火山の観測・警報に当たる「合衆国地質調査所」(内務省管轄)は完全な別立てとなっている。

2015年11月14日 (土)

自然の警告

 自然は時に、まるで意思を持っているかのような現象を見せることがある。人類が神の存在を信じたくなるゆえんであろう。本日早朝、鹿児島・佐賀方面で発生した地震・津波は、まさにそれである。
 地震・津波の発生エリアでは、先般、川内原発が再稼動を開始し、続いて玄海原発も来年度中の再稼動が画策されているところである。今回の地震・津波は中小規模で、本稿執筆時点において両原発への被害情報はないようだが、政権・財界がちょうど原発再稼動の起爆地点に狙い定めたエリアでの地震・津波の発生は、まさしく自然の警告である。
 超自然的なものへの信仰が政治にも反映されていた古代の為政者ならば、これを実際、政治の過ちへの警告と受け取って、原発再稼動の撤回を決定したかもしれないところである。
 標榜上「科学」に依拠している現代の為政者はそういう発想をとらず、ひとまず被害影響なしで安堵し、再稼動政策を強行するのだろうが、自然の警告を無視すれば、いずれ自然からしっぺ返しを食らう時が来るだろう。

2015年10月 5日 (月)

未証明科学

 疑似科学という語は定着しているが、実のところ疑似科学と真正科学の境界線はあいまいであり、線引きは難しい。その難しさに付け込んで、科学的に証明されない現象を「超常現象」などと銘打って宣伝する者たちがいる。
 特に、近年の日本のマスメディアでは競争のようにそうした「超常現象」を扱う長時間番組をあたかもキャンペーンのように流している。UFO、心霊写真/映像、未確認生物がその三大テーマである。
 これに対して、科学界がそうした「現象」を科学的に解明し―捏造の可能性も含め―、反駁しようとしないのは不思議である。まさか科学者たちも「超常現象」を信じているわけではあるまい。とすれば、なぜ沈黙しているのだろうか。
 おそらくそのような疑似科学の類に関わり合うのは科学者の任務外だというのだろうが、疑似科学と真正科学の境界線はあいまいだとすれば、明らかに科学的法則に反する偽りの“似非科学”は除くとしても、まだ証明されていないという意味で「未証明科学」という広いくくりの下に、正面から解明に取り組むことも科学者の任務の内ではないだろうか。
 その点では、UFOと未確認生物は「未証明科学」の主題となり得るだろう。心霊は似非科学の範疇にかかりそうだが、しかし、どのようなメカニズムで「心霊」のようにも解釈し得る像が映し出されるのか、あるいはそのような錯覚が生じるのかは物理学的ないし認知心理学的な解明の余地があるという限りでは、心霊も未証明科学の範疇に含め得るだろう。
 UFO、未確認生物、心霊の三大「未証明科学」を誰もが納得するように科学的に反証した科学者は、イグノーベル賞ではなく、優にノーベル賞に値すると思うのだが。ちなみに、いまだに再現性を確認できないSTAP細胞も今のところ「未確認細胞」として生物学分野の「未証明科学」に含めてよいかもしれない。

2015年5月21日 (木)

イルカ騒動

 イルカ追込み漁をめぐり、世界動物園水族館協会から除名通告を受けていた問題で、日本の協会が追込み漁によるイルカ入手の禁止と世界協会残留を決定したというニュース。もし世界協会脱退を決めていたら、これは戦前満州侵略問題をめぐり国際連盟を脱退した時のような様相を呈すると心配していたが、さすがにそうはならなかった。
 国際社会との協調を維持する賢明な判断ではあるが、決定は賛成多数であり、水族館を中心に相当数の反対もあったというので、不満はなおくすぶるだろう。
 国際的批判の的となっている追込み漁については批判に科学的根拠がないといった反論も見られるが、動物愛護問題には科学だけでは割り切れない余白がある。特に人類も属する哺乳類の扱いに関しては、単なる愛護を越えて動物にも一個の権利(動物権)を認めるべきだという思想も強まっている。一方で日本側反論の裏には、科学云々より人気アトラクションであるイルカショーと地元漁業利益の護持という経済計算が見え隠れしていることを世界に見透かされているのではないか。
 現在は無反省に行なわれているイルカショーのような動物ショーも、厳しい訓練や反復的なショーが動物に与えるストレスという獣医学的な問題が脇に追いやられているが、いずれはそうしたショー自体の禁止という課題が提起される時代が来るかもしれない。科学を云々するならば、反論ばかりでなく、反省にも科学を及ぼすべきだろう。

2015年2月 6日 (金)

人間動物学

 人間の残虐性―広くは、暴力性―について考えさせられるような事件が、内外で続発している。そうしたとき、「非人間的」といった非難が巻き起こるが、その非難の前提には「人間は本来、非暴力的なものだ」という人間観があるはずである。しかし、果たしてそうか。
 逆に人間の暴力性を示す事例は、古今東西枚挙に暇がない。人間は他の動物はおろか、仲間の人間も殺す。暴力性も人間性のうちなのではないか。しかし、一方で暴力を非難する心性も普遍的なものである。そのようなアンビバレントな人間性をどう理解したらよいのか。
 従来、人間性に関する研究は動物学ではなく、哲学・倫理学、あるいは心理学のような人文学の役割とされてきた。しかし、言うまでもなく、人間も動物の一種であり、その名のとおり、チンパンジーのような類人猿と類縁関係にあることは証明されている。
 人間を一個の動物として研究すること―人間動物学―は、かなり広い科学の余白として残されている。もしも人間は“高等生物”ゆえ、動物学の対象とすべきでないという観念がその理由だとしたら、それは人間の思い上がりというものである。

2014年12月21日 (日)

STAPは疑似科学か

 今年の科学ニュースを最も騒がせたSTAP細胞問題は、結局「存在せず」で幕を下ろすことになりそうである。再現できたが、その確率が極めて低いというのでなく、実験者本人が試行しても何ら再現性なしというのは深刻すぎる。それは、初めから捏造だった可能性が高いことを意味するからだ。
 特許競争も絡み、成果を焦るあまりに捏造に走ったのだとしたら、科学の余白ならぬ全くの空白だったことになる。個人論文でなく、一度は日米の有力研究者が名を連ねた国際論文として発表されたからには、科学史に残る大捏造事件である。
 ただ、門外漢にとってなお気になるのは、STAP細胞なるものは生物学の理論上あり得ないものなのか、それとも理論上はあり得るが、実験室で作成する技術がいまだ開発されていないのか、という点である。そもそも生物学上あり得ない荒唐無稽なものなら、STAP細胞は科学の衣を着た共同幻想、ある種の疑似科学だったことになる。
 今のところ、この点について明言する専門家を見ないのだが、これは科学の本質に関わる重要問題ではないだろうか。生物学は物理学のように理論と実験が分化していないため、理論的な予言はしにくいことは理解できるが、無駄な実験を続けないためにも、理論的予言が必要ではないか。

2014年11月14日 (金)

「未知子」考

 またも大学病院で、不審な術後死事件である(群馬大附属病院)。術中死と異なり、術後死は因果関係の証明が難しく、うやむやにされやすい。未だ表に出ないケースがどれだけあることか。そういう中、テレビ朝日の連続医療ドラマ『ドクターX ~外科医·大門未知子~』が好調のようである。
 観ている方はご存知のとおり、「失敗しない」と豪語する主人公のフリー女性外科医・大門未知子(米倉涼子)は毎回派遣先病院の権威たちと激突しながらも、名前のとおり未知の難手術にチャレンジし、快刀乱麻のごとく切りまくり、ことごとく成功させる大活躍を見せる。このドラマのどこに惹かれるのかよくわからないが、やはり未知子の痛快なまでのメスさばきか。
 しかし、現実にはあり得ないほどの超難度手術なのに、ろくに倫理審査もインフォームドコンセントもしない。たとえ失敗しなくても、現代医療では容認できない専断的医療行為のオンパレードである。なのに批判されることなく人気シリーズとなっているのは、やはり日本社会に広がる医療信仰、特に外科医を神聖視する外科至上主義の故だろうか。
 医学は果たして科学なのか、という問いを向けても医学界には非礼にならないほど、医学には科学の余白が多い。手術の効果や経過についてもまさしく未知のことは多く、快刀乱麻はあり得ないし、あってもならない。患者の側も医学、特に悪い部分を切除するという一見わかりやすい外科療法を徒に神聖視しない態度が必要ではないかと思う。

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