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2019年6月26日 (水)

アメリカ合衆国大統領黒書(連載第25回)

28 ウォレン・ガマリエル・ハーディング(1865年‐1923年)

 第一次世界大戦の余波が残る1920年の大統領選挙では、共和党のウォレン・ガマリエル・ハーディングがウィルソン後継の民主党候補に圧勝し、第29代大統領となった。ハーディングは南北戦争終結後に生まれた初の大統領であり、これ以降のアメリカ大統領史は名実ともにポスト南北戦争の時代に入る。
 それにしても、オハイオ州知事や連邦上院議員の経験はあったが、地方の新聞経営者出自でさして知名度もないハーディングが圧勝した要因は、反ウィルソン戦略にあった。
 この時、ウィルソン現職が病気で執務不能状態にあることはまだ公にされていなかったが、すでに政権は死に体であり、ウィルソンの人気も落ち目であった。そこで、ハーディングはウィルソン政権を否定し、「正常に戻ろう」という単純明快なスローガンで、戦争疲れした国民に戦時体制の終了を訴える戦略が功を奏したのである。
 彼の「正常化」政策が最も明確に現れたのは、外交政策であった。すなわち国際連盟への加盟見送りを確定させ、ドイツとの単独講和で戦争を終了させた一方、ワシントン軍縮会議では台頭していた日本の海軍力の制限とアメリカの覇権確立に努めた。
 内政面では、富裕層減税と保護関税を明確に打ち出し、連邦政府の予算会計制度の整備を進めるなど、今日の共和党保守主義につながる面を見せている。一方、南部で蔓延した黒人へのリンチを抑止する反リンチ法の制定を推進したが、これは人種差別的な南部民主党により阻止された。
 黒人の要職登用にも積極的だったハーディングの路線は反奴隷制を原点としていた初期共和党の進歩的な姿を残したものであったが、同時に移民法では当時欧州での迫害を逃れてくるユダヤ人が増加していたことから、移民規制を強化する緊急法を導入するなど、移民排斥政策の先鞭をつけた。
 ハーディング政権最大の暗黒面は、汚職であった。おそらくは彼自身のワシントンでの経験不足を補う目的もあり、先行共和党政権下の公務員制度改革により抑制されてきていた伝統の猟官制を再起動し、地元オハイオを中心とする友人知己を論功行賞で政府の重要ポストに就けたことで、政権は多くの汚職スキャンダルにまみれたのである。
 中でも、内務長官が軍保有の油田を民間賃貸するに際して収賄して摘発されたティーポット・ドーム事件はハーディング政権最大の汚点となった。その他、ハーディング自身の関与が疑われたケースはなかったとはいえ、周辺者の汚職疑惑が多発した。
 ハーディングは1923年、アメリカ大統領として初めて公式訪問したアラスカ(当時準州)とカナダから帰国した直後、心臓発作を起こして急死してしまう。実は、彼はアラスカ訪問中、政権要人の汚職に関する調査報告書を読まされ、ショックを受けたとされており、快適と言えない当時の鉄道や船の長旅疲れと相乗して、心身に打撃となったのかもしれない。
 こうして一期目途中で病死したことから二年余りの短命政権に終わったことや、前任ウィルソンに比べてカリスマ性に欠けることもあり、現代ではあまり知られない存在として埋もれてしまったハーディングであるが、彼は三人の大統領に順次率いられた戦間期共和党政権の最初の基礎を置いた人物であった。

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