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2019年3月 9日 (土)

アメリカ合衆国大統領黒書(連載第21回)

24 ウィリアム・マッキンリー(1843年‐1901年)

 ウィリアム・マッキンリーは、民主党のクリーブランド大統領が一期おいて二度政権を担った後、共和党が政権を奪回する形で、第25代大統領に就任した。彼は南北戦争に若くして志願従軍して勇敢に戦い、一兵卒から大尉に昇進、名誉少佐を授与される活躍を見せた。世代的には、マッキンリー政権が最後の「南北戦争功労政権」となる。
 マッキンリーは除隊後、法律家となり、ストライキを決行した労働者の集団弁護を担当するなど、左派的な傾向も見せたが、北軍時代の上官でもあった第19代大統領ラザフォード・ヘイズの選挙運動陣営から政治活動に入り、間もなく連邦下院議員に当選、10年以上務めた後、オハイオ州知事を経て、1896年大統領選を征して大統領となった。近代アメリカにおける一つの典型的な政治的立身街道を歩んだと言える。
 頂点にたどり着いたマッキンリーは、内外政策で果断な政策を打ち出していく。内政面では、1893年の恐慌からの回復策である。これにマッキンリーは金本位制と高関税による保護貿易政策で臨んだ。その成果とだけは言えないが、幸い、1870年代からの大不況は、彼が当選した年に収束した。
 一方、外交面では西洋列強による帝国主義的膨張が最盛期に入っていた折、従来国内の開拓とそれに伴う先住民浄化作戦に注力してきたアメリカは出遅れ感があった。しかし、国内開拓が一段落しようとしていた折、マッキンリーは残り少なくなったアメリカ領土のキューバで独立運動を弾圧していたスペインに目を向け、米西戦争を仕掛けた。
 これに勝利したアメリカはフィリピンやプエルトリコを含むスペインの太平洋、カリブ海域の旧領を獲得し、遅ればせながら、海外膨張を実現したのだった。このとき、フィリピンの併合に反対して結成されたのが、クリーブランド前大統領も参加する「アメリカ反帝国主義連盟」であった。この団体は帝国主義的な海外膨張はアメリカの自主独立の精神に反するとして反対する近代史上初のアメリカ反戦団体とも言えるが、マッキンリーが耳を貸すことはなかった。
 同様に、マッキンリーはアメリカ人移住者がクーデターで成立を宣言していたハワイ共和国をアメリカの準州として編入した。これは、二代前のハリソン大統領が政権末期に調印しながら、クリーブランド前大統領が撤回していた条約を再度取り上げたのだったが、これにより、アメリカは今日に至る太平洋地域への拡大を実現したのである。
 他方、公民権に関しても、マッキンリーは南北戦争以来リベラルの旗手だった共和党の伝統を薄めようとしていた。彼の当選には黒人層が貢献していたにもかかわらず、マッキンリーは黒人の政権起用には熱心ではなく、南部の人種隔離政策や人種暴力に関しても積極的な関心を示さず、黒人層を失望させていた。
 しかし、史上初めて帝国主義を明確に打ち出し、アメリカ国民の愛国心を刺激することに成功したマッキンリーは、1900年大統領選を制して再選を果たした。そして記念すべき二期目に踏み出した20世紀最初の年、凶弾に倒れることとなった。
 犯人はレオン・チョルゴッシュなるポーランド移民のアナーキストであった。彼は女性アナーキストとして著名なエマ・ゴールドマンに影響され、強固なアナーキストとなっていた。エマも一時拘束されたが、関与しておらず、暗殺はチョルゴッシュ単独犯行とされ、狙撃事件からわずか50日ほどで死刑執行された。
 チョルゴッシュはかつて勤務していた圧延工場でストライキに加わり解雇された経験を持つ当時の典型的な移民労働者階級であった。その昔、弁護士としてスト労働者の弁護を担ったマッキンリーがスト労働者出身の暗殺者の手にかかるとは皮肉であった。
 こうして、20世紀最初のアメリカ大統領となったマッキンリーは、リンカーン、ガーフィールドに続き、史上三人目の暗殺されたアメリカ大統領として記憶されることになるのである。暗殺の要因はそれぞれに異なるが、三大統領がすべて共和党系であるということも、南北戦争以降における共和党支配の象徴と言えるかもしれない。

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