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2019年2月 9日 (土)

アメリカ合衆国大統領黒書(連載第20回)

23 ベンジャミン・ハリソン(1833年‐1901年)

 第23代ベンジャミン・ハリソン大統領は、前任第22代と後任第24代をクリーブランドにはさまれる異例の形で一期だけ務めた共和党系大統領である。また彼は在任一か月で病死した第9代ウィリアム・ハリソン大統領の孫にして、父も連邦下院議員経験者という政治一族の生まれである。
 地元インディアナ州で弁護士として成功した後、州知事選挙では落選したものの、連邦上院議員に当選したことを契機に、1888年大統領選挙で共和党の指名を勝ち取り、民主党のクリーブランド大統領の再選を阻止したのである。
 ハリソンは南北戦争で北軍大佐として従軍し、上院から名誉准将を授与されており、ハリソン政権もこの時代の共和党政権の例に漏れず、南北戦争従軍者から選ばれる「南北戦争功労政権」としての性格を継承していた。
 歴代大統領の中で、ハリソン大統領の知名度は高くないが、その政策は野心的なものだった。まず財政経済政策では歴史的な保護関税制度を定め、保護貿易主義を鮮明にした。その一方、外交・軍事政策では従来手薄だった海軍の増強と近代化を実施しつつ、ラテンアメリカから南太平洋方面への覇権の拡大に先鞭をつけた。
 ラテンアメリカに関しては、第一回米州諸国国際会議を主宰し、関税・通貨統合の構想さえ示したが、これはずっと後に現在の米州機構の前身となるアメリカ中心の地域ブロックの始まりと位置づけられる。南太平洋では、サモアの権益をめぐってドイツ帝国と一触即発となったほか、ハワイでのアメリカ人グループによるクーデターを承認し、現在のハワイ州につながるハワイ併合条約に調印した。
 対内的にも、西部六州の編入を実現し、領土を拡張した。それとも関連する先住民政策では白人社会への同化論者であったが、1890年にサウスダコタのウンデット・ニーでスー族の反乱が起きると、精鋭の陸軍第七騎兵隊を投入して武力鎮圧・大量虐殺した。この作戦は19世紀における最後の民族浄化作戦と位置づけられている。
 ハリソンが比較的「リベラル」な姿勢を見せたのは黒人公民権問題であり、彼は南部諸州での黒人有権者登録と投票を促進する法案を支持・推奨したが、上院の反対で実現しなかった。また黒人の教育機会を促進する連邦助成金制度の創設にも失敗した。
 成否を問わずハリソンのこうした野心的な諸政策は、当時の共和党アジェンダを代表するものであり、そのうち公民権政策を除けば、20世紀以降保守化していく共和党アジェンダにも影響を残すものとなっているが、それだけに民主党との先鋭な対峙を避けられなかった。
 特に輸入品に対する50パーセント超の保護関税と、それに起因した10億ドルに上る連邦支出は民主党の攻撃材料となり、再選を目指した1892年大統領選挙では前任クリーブランドの返り咲きを許す。かくして、祖父と同様、ハリソン家の大統領は長持ちしないという歴史を作ることとなった。

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