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2019年1月

2019年1月26日 (土)

言語発展論(連載第21回)

第3部 新・世界言語地図

四 ウラル‐アルタイ語環

 今日の比較言語学の知見においては、ウラルとアルタイは、それぞれ別個の語族または諸語とみなされており、かつて提唱された「ウラル‐アルタイ語族」という包括は過去の謬論とみなされている。それというのも、語族の認定において決定因となる共通祖語を再構できなかったからである。
 そのうえ、両者の分離後、「アルタイ語族」というくくりもそこに含まれる代表的言語であるモンゴル語とトルコ語の間で共通祖語を再構できなかったために、「アルタイ語族」も否定され、より漠然とした「アルタイ諸語」に格下げされている。
 おそらく、言語遺伝的にはこうした細分類が精確なのであろう。とはいえ、ウラル語族とアルタイ諸語の間にはいずれも膠着語系であり、母音調和法則を持つといった特徴的な共通点があり、単一語族ではないとしても、連続的なグループに属することは否定し難い。そこで、「語族」は不成立としても、「ウラル‐アルタイ語環」を想定することはできるかもしれない。
 歴史的に見ると、ウラル語族系民族の祖は今日の中国東北部で、遼河文明を形成したと考えられる。これは紀元前6000年から3000年に遡る文明圏であり、その人骨の遺伝子系統上、ウラル語族系民族に多いハプログループN系が多いことが判明している。
 このことから、ウラル語族系民族の発祥地は中国東北部で、かれらは何らかの事情により東北部を脱し、その名の由来となったウラル山脈周辺に移動したものと見られるのである。この西への大移動の過程で、かれらの言語の特徴がアルタイ山脈周辺の諸民族にも普及し、共通特徴を持つ語環を形成したとも考えられる。
 このうち、狭義のウラル語族・フィン‐ウゴル語派に属する言語の中でも、フィンランド語やエストニア語を含むバルト‐フィン諸語やハンガリー語はウラル山脈周辺から欧州大陸部へ再移動した民族によってもたらされ、中でもハンガリー語はこの語環の最西部に位置する。
 一方、ウラル‐アルタイ語環の最東部として、コリア語や日本語も含まれるのかどうかは一つの問題である。両言語ともに膠着語という大きなくくりではウラル‐アルタイ語環に包摂できるが、母音調和法則は持たない。
 ただし、コリア語は16世紀頃までは母音調和法則を持っていたことが判明しており、日本語の場合も万葉仮名の研究から、上代には母音調和法則があったとする説も存在する。
 いずれにせよ、現代では両言語ともに母音調和法則を喪失していることはたしかであるが、古形まで含めて考察すれば、両言語はウラル‐アルタイ語環の事実上独立した分岐という位置づけも可能かもしれない。なお、コリア語と日本語の関係性などは、後に独立語族について取り上げる際に改めて言及する。

2019年1月23日 (水)

弁証法の再生(連載第4回)

Ⅰ 問答法としての弁証法

(3)弁証法の第一次退潮期
 ソクラテスが真理に到達するための問答法として提起した弁証法は、弟子のプラトンに継受されていくが、プラトンにおいては、より緻密化され、対象を自然の本性に従って総合し、かつ解析していく「分析法」へと発展せられた。
 対象事物を微細に分割しつつ、その本性を解明しようとする分析という所為は、今日では諸科学において当然のごとくに実践されているが、プラトンにとって、こうした分析=弁証法こそが、もう一つの方法である幾何学と並び、事物の本性―イデア―に到達する思考手段であった。
 もっとも、プラトンにとってのイデアとは見られるものとしての幾何学的図形を典型としたから、弁証法より幾何学のほうに優位性が置かれていたと考えられる。このようなプラトンの分析=弁証法は、ソクラテスの問答=弁証法に比べると、問答という対話的要素が後退し、対象の本性を解明するための学術的な方法論へと一歩踏み出していることがわかる。
 このような弁証法のアカデミズム化をさらに大きく推進したのが、プラトンの弟子アリストテレスであった。彼は分析=弁証法という師の概念を弁証法自体にも適用することによって、いくつかの推論法パターンを分類したが、そのうちの一つが蓋然的な通念に基づく弁証法的推論というものであった。
 これは、社会において通念となっているために真理としての蓋然性が認められる概念に基づいた推論法ということであるが、その前提的出発概念である社会通念というものが必ずしも絶対的に真理性のあるものではなく、社会の多数によって共通認識とされていることで蓋然的に真理性が推定されるにすぎないから、推論法の中では第二次的な地位にとどまることとなった。
 アリストテレスの分類上、弁証法的推論法は、より不確かな前提から出発する論争的推論法よりは相対的に確実性の高い推論法ではあるのだが、彼にとっては、絶対的真理である前提から出発する論証的推論法こそが、最も確実な第一次的推論法なのであった。
 このような論証的推論法は、三段論法に象徴される「形式論理学」として定式化され、アリストテレス以降、哲学的思考法の中心に据えられ、西洋中世に至ると、大学における基礎的教養課程を成す自由七科の一つにまで定着した。
 こうして、「万学の祖」を冠されるアリストテレスにより弁証法が論証法(論理学)より劣位の第二次的な思考法に後退させられたことで、弁証法は長い閉塞の時代を迎える。これを、20世紀後半以降の現代における弁証法の退潮期と対比して、「弁証法の第一次退潮期」と呼ぶことができる。

2019年1月16日 (水)

アメリカ合衆国大統領黒書(連載第19回)

22 スティーブン・グローバー・クリーブランド(1837年‐1908年)

 南北戦争終結後、共和党の北軍功労者が大統領に選出される「南北戦争功労政権」は、1884年大統領選挙で民主党のスティーブン・グローバー・クリーブランドが勝利することで、ひとまず中断された。クリーブランドは南北戦争では合法的に代替者を立てることで徴兵回避をした人物だったからである。
 クリーブランドは南北戦争とは関わらず、ニューヨーク州で法律家として身を立て、成功を収めた。次いで政界への転進を図るというアメリカの野心的な法律家が通るお決まりの道を歩む。
 手始めは、地元の選挙制保安官への当選であった。その後、バッファロー市長、さらにニューヨーク州知事と上昇を続けた。こうした経歴からも、クリーブランドの選挙巧者ぶりが窺えるが、それに加えて、彼には実際的な行政管理能力が備わっていたことも、公選公職での成功を支えたのであろう。
 履歴の頂点を飾るのが、1884年大統領選挙での勝利である。選挙戦では接戦の中、両党の中傷合戦が激しく展開されたが、クリーブランドが共和党の一部を抱きこむことに成功したのが、勝因となった。彼の選挙巧者振りがここでも発揮された。
 かくしてクリーブランドは第22代大統領に就任し、民主党にとっては16年ぶりの政権奪回となった。このような転換点の大統領らしく、彼は権威主義的な施政方針を採り、拒否権発動が頻発した。こうした議会との確執で、クリーブランド政権は行き詰まる。
 彼の最大目玉政策は関税引下げによる自由貿易への転換であったが、再選を目指した1888年大統領選挙ではこれが命取りとなる。選挙期間中、英国の駐米大使が発したクリーブランド支持を示唆するような書簡が暴露されたが、これが英国産品を利する関税引き下げを歓迎する選挙干渉と受け取られ、クリーブランドの評判を落としたのだった。
 それでも、一般投票ではクリーブランドが上回ったものの、最終結果を決する選挙人投票では共和党のベンジャミン・ハリソン候補に敗れ、クリーブランドは一期で退任、政権は再び共和党へ戻ったのだった。
 ところが、クリーブランドの異例さは、次の1892年大統領選を征して、大統領に返り咲いたことである。クリーブランド以前にも返り咲きにチャレンジした元大統領はいたが、成功したのは現時点でクリーブランドただ一人である。
 こうして第23代ハリソンをはさんで、第24代復権大統領となったクリーブランドであるが、満を持したこの変則二期目は、意に反して苦いものとなる。93年からアメリカは恐慌に入り、経済財政は行き詰ったからである。
 全米に不況が広がる中で労働者のストライキが頻発するが、19世紀アメリカを象徴する鉄道大手・プルマン社のストライキが激化すると、クリーブランドは連邦軍を投入して、武力鎮圧を図った。妥協が苦手で、権威主義的なクリーブランドの一面が如実に表れた一件である。
 先住民対策に関しては文化的同化主義者であり、これを推進するドーズ法を後押しする一方、対外的な膨張に関しては消極的で、一部で陰謀的に進められていたハワイ併合やスペインからの独立運動に揺れるキューバへの介入は承認しなかった。
 結局、クリーブランド二期目は中間選挙での与党・民主党大敗により早くからレームダック状態に陥り、民主党の新たな支持基盤となっていた労働者階級からもスト弾圧を恨まれ、政権運営は一期目以上に行き詰った。悲願の関税引き下げも実現しないまま、1896年大統領選でも民主党候補が敗れる中、任期満了で退陣するのだった。

2019年1月12日 (土)

アフリカ黒人の軌跡(連載第34回)

六 南部アフリカの蠕動

ロズウィ帝国の支配
 ジンバブウェ北東部ムタパ王国が栄えた頃、南西部にはブトワ王国が陣取っていた。この王国は 元ジンバブウェ王国を建てたカランガ人が再興し、西部の都市カミを拠点に建てた王国で、従ってその巨石文化も継承していた。世界遺産でもあるカミ遺跡群はその象徴である。
 経済的には、ムタパと同様に貿易を基盤とし、カミ遺跡群からは欧州や中国産の交易品も出土しており、同時代のムタパと並ぶ貿易立国ぶりがうかがえる。そのため、大航海時代のポルトガルとの通商外交関係を生じたことも同じである。結果、やはりポルトガルの内政干渉を受け、衰退していった。最終的には、1670年頃、新興のチャンガミレ勢力の侵攻を受け、滅亡した。
 チャンガミレ勢力はムタパ王国の王の牛飼いから身を起こしたという風雲児的な軍事指導者チャンガミレ・ドンボが編成した軍事勢力で、チャンガミレはショナ人と見られるが、その兵士はロズウィと呼ばれる強力な集団を形成した。
 アフリカの諸王国では、古くからの族長家が神性を帯びた王家として統治する伝統的支配の傾向が強く、チャンガミレのようなカリスマ風雲児が指導者にのし上がることは珍しいが、彼の強みは強力な石製武器、さらに「破壊者」を意味するロズウィ兵士のまさしく破壊性とにあったようである。
 そればかりでなく、チャンガミレ勢力は戦略的にもすぐれ、19世紀のズールー族が用い、英軍を苦しめた「雄牛の角」戦略と呼ばれる三分割陣形を先駆的に取り入れていたことを示すポルトガル側記録が残されている。
 チャンガミレ・ドンボはそうした強力な軍事力でポルトガル勢力を駆逐し、ジンバブウェ高原での支配力を広げた。彼の没後、指導者はチャンガミレの名称とマンボの王号を名乗り、王朝化していった。そして、やがては対ポルトガル戦争で協調したムタパ王国をも滅ぼし、ジンバブウェ高原の覇者となるのである。
 その軍隊の名称をとってロズウィ帝国とも呼ばれるこの新興国は、経済的にも牧畜農業を基盤に、金鉱、さらにはアラブ商人との交易など多角的な産業を展開し、19世紀後半まで存続した。兵器製造と併せれば、技術と経済を結合させたまさに帝国化の常道をたどったことになる。

2019年1月 9日 (水)

言語発展論(連載第20回)

第3部 新・世界言語地図

三 印欧‐阿亜語環

 インド‐ヨーロッパ語族(印欧語族)は、童話でも有名なグリム兄弟による近代的な比較言語学の確立を経て構築された最も体系的に立証される語族であり、まさに「語族」の代名詞的存在である。
 インドとヨーロッパを広域的につなぐこの語族は、地理的に見れば「語環」に近い性質をも持つが、比較言語学的にすべての包摂言語が共通の印欧祖語から派生・分岐したことがかなりの確度で証明できるために、「語族」にまとめることができている。
 この語族はまた、総体として屈折語の特徴を共通指標とするから、屈折語の代名詞でもあり、「屈折語族」と呼んでもよいほどである。この屈折語としての共通特徴を持つもう一つの語族としてアフロ・アジア語族(阿亜語族)と呼ばれるものがある。
 この語族は古くは聖書の神話的な民族分類に影響されて、セム‐ハム語族などと指称されていたが、今日では西アジアからアフリカにまたがる分布状況に沿ったアフロ‐アジアという地域的な名称に変更されている。
 阿亜語族は印欧語族のように共通祖語がいまだ再構されていないため、厳密には「語族」というより、「語環」に近い性格を持つ。そのうえで、動詞の活用変化に現れる屈折的特徴を大きくとらえれば、印欧語族との外的なつながりを認め、「印欧‐阿亜語環」というグループを想定できるかもしれない。
 ただし、今日では阿亜語族の中でも、ベルベル語派やソマリ語のように膠着語系に転化しているものもあるうえ、印欧語族でも英語などは発展過程で屈折の簡易化が進み、事実上の膠着語化を来たしていると理解する余地もあるが、古形においては複雑な屈折を共通指標としていたと考えられる。
 両語族をつなぐ人類遺伝子上の系統はハプログループR1bである。この遺伝子系統は印欧語族系民族間で特に顕著に認められるが、阿亜語族系民族間にも拡散的に認められ、両者をつなぐ鍵となっているからである。
 実際に両語族の交錯がはっきりと現存言語に残されているのが、マルタ語である。地中海のマルタの公用語であるマルタ語は欧州では唯一の阿亜語族・セム語派に分類される言語であり、発生的には中世シチリア島がイスラーム勢力に支配されていた時代の公用語であったシチリア・アラビア語に起源があるとされる。
 一方で、マルタ語は印欧語・イタリック語派に属するシチリア語からも多くの単語を取り込んでおり、語彙的には印欧語族との共通性も持つため、阿亜語族と印欧語族の両者の特徴を併せ持つ興味深い複合言語として確立されている。こうして、マルタ語は少数言語ながら、「印欧‐阿亜語環」を象徴する言語という地位にあると言える。
 「印欧‐阿亜語環」という超域的な言語群を想定することは、今日の世界秩序において、宗教政治的にしばしば激しく衝突する欧米と中東の対立関係を言語学的な観点から止揚することに寄与するかもしれない。

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