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2018年12月 5日 (水)

アフリカ黒人の軌跡(連載第33回)

六 南部アフリカの蠕動

ムタパ王国の盛衰
 前回見たように、ジンバブウェ王国に代わって台頭してきたのがムタパ王国であった。この王国は、一名ムウェネムタパ王国(ポルトガル語転訛モノモタパ)とも呼ばれるように、ジンバブウェ王国のムウェネ=王子が建てたムタパ=領土(国)という建国伝承に由来している。
 この伝承からすれば、王国建国者はジンバブウェ王国支配層のカランガ人だった可能性があるが、多数派を占める臣民は現代ジンバブウェで最大民族を占めるショナ人だったと見られる。その意味では、ムタパ王国が現代ジンバブウェの基礎を成したとも言える。
 ムタパ王国は15世紀前半頃の建国初期から積極的な膨張主義政策を志向し、王国の最大版図は今日のジンバブウェから隣国モザンビークの一部に及んだ。とはいえ、その内部構造は征服した小王国を従属支配する連合王国の性格が強く、その支配は集権的ではなかったと考えられる。
 しかし、勢力圏が拡張された結果、王国はジンバブウェ高原からインド洋沿岸に至るまでの交易路を確保し、経済的な基盤とした。また銅や金の採掘も行い、鉱物税を通じて資源国としても栄えたと見られる。
 こうして16世紀初頭までに、ムタパ王国は南部アフリカにおける最大級の交易国家として大国化していたが、それはポルトガルの大航海時代と重なっていた。16世紀前半、ムタパはポルトガルと通商関係を樹立するが、それは西アフリカのコンゴと同様、王国凋落の始まりであった。
 16世紀後半からポルトガル人宣教師によるキリスト教の布教が始まったことで、宮廷にもキリスト教徒が増加した。当初、王国は伝統宗教保守派に配慮し、宣教師を処刑したが、これはポルトガルによる報復的な十字軍介入を招いた。
 何とかこの介入を阻止した後も、ムタパ王は元来不安定な版図維持のためポルトガル人勢力に依存したため、17世紀初頭には経済基盤の鉱山をポルトガルに割譲する条約を締結させられた。
 これを機に、ムタパはポルトガルの間接支配を受けるようになる。その後、ポルトガルを排除する試みもなされたが、1629年、時のマブラ王が洗礼を受けたうえ、初のキリスト教徒王となり、ポルトガル王に臣従を誓ったことで、王国は公式にポルトガル属国となった。
 その後、17世紀末、ムタパ王国は王の牛飼いから身を起こしたというチャンガミレ・ドンボが南部に建国したロズウィ王国を頼ってポルトガル勢力の放逐に成功したことがあだとなり、同国に領土を蚕食されていき、18世紀前半までに事実上王国は崩壊、名目だけの存在として細々と存在するばかりとなった。

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