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2018年12月 8日 (土)

弁証法の再生(連載第3回)

Ⅰ 問答法としての弁証法

(2)ソクラテスの問答法
 弁証法の基底は「問答法」であるが、こうした「問答法」としての弁証法を最初に確立したのは、ソクラテスであった。アリストテレスによれば弁証法の創始者とされるゼノンの弁証法はまだごく初歩的な弁論術にとどまっており、その内容も不確かな点が多いが、ソクラテスの問答法は、弁証法の歴史における実質的な元祖と言い得る特質を備えていた。
 彼の問答法をめぐっては、しばしば「ソクラテス式問答法」の名のもとに様々な議論がなされているが、彼の問答法の特徴は、相反する命題を徹底的に対質させる点にある。それは、彼の高弟プラトンが自身の著作で示した「勇気」の本質をめぐるソクラテス式問答法の実際に象徴されている。
 しかし、それは相反する命題間で論争を戦わせて相手を論破するという現代における“ディベート”の論争ゲームとは次元の違う対論である。ソクラテスの問答法の実質は反証ということにあるが、ここでの反証とは、対立命題を否定する証拠を提出してその命題の正当性を崩すという消極的な証明にとどまらず、そこから容易に結論を導けない難問―アポリア―を浮上させようとするものである。
 その点で、ソクラテス式問答法の最終目標を確定的な真理の証明にあるとする解釈は妥当ではない。彼は対立命題を反証して別の真理へ誘導しようとしているのではなく、別の問いを立てさせようとする。
 言い換えれば、解答を導くのではなく、問いを導き、さらにそこから、未知の真理を浮かび上がらせるのである。彼の問答法が比喩的に「産婆術」と呼ばれたのも、このようにいまだ知られていなかった新しい真理を浮上させることの手助けをする手段であったからにほかならないだろう。
 また彼の有名なモットー「無知の知」も、こうした文脈からとらえれば、単なる知的謙虚さの自覚にとどまらず、いまだ知られていない知見の謂いであったとわかる。そのような未知の真理を浮かび上がらせるためには、無知の自覚が必要であるという限りでは、「無知の知」は知的謙虚さの箴言でもあろう。
 しかし、このようなソクラテスの方法論は、政治的には危険視されかねない。それは既知の命題への批判的反証活動を活性化させるからである。彼の時代、それは政治社会の基盤であった宗教的な教条との対決が避けられなかった。ソクラテスが青年を堕落させる宗教的異端者として有罪・死刑を宣告され、毒殺刑に処せられたことには理由があったのである。
 実際のところ、ソクラテスは「弁明」の中で自身主張しているとおり、無神論者でも異端宗教者でもなかったが、ソクラテス式問答法が神の存在について展開されたときには、あらゆる宗教が措定する神の存在に関する絶対前提が反証に付され、揺らぐ可能性は十分にあった。当時のアテナイ当局は、そうした危険性を嗅ぎ取り、言わば予防的保安措置としてソクラテスを葬ったのであろう。
 こうして、弁証法創始者ゼノンと同様、ソクラテスも政治犯として命を絶たれることになった。彼の後も弁証法実践者は程度の差はあれ、政治的に迫害されることがしばしばあったことは決して偶然ではない。弁証法は、政治的には我が身の安泰を保証してくれない方法論である。それは、彼がまさに弁証法の主題とした「勇気」を必要とする哲学方法論なのかもしれない。

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