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2018年9月19日 (水)

アメリカ合衆国大統領黒書(連載第14回)

16 エイブラハム・リンカーン(1809年‐1865年)

 アメリカ大統領史上最も高名な人物と言えば、第16代リンカーンであろう。偉人伝の代表的な素材であり、筆者もかつて子供向け偉人伝を読んだ記憶がある。中でも画期的な「奴隷解放」の立役者として内外で尊敬されてきた人物である。その一般的な伝記ならば、もう十分すぎるくらいに公刊されてきたので、改めて紹介することは避け、ここではリンカーンという人物は果たしてさほど「偉人」だったのかどうかを検証したい。
 リンカーンが偉人視されてきた最大の功績とされるのが、奴隷解放宣言である。しかし、彼は一貫して奴隷制廃止論者だったわけではない。彼は法曹界から初めて政界に出た1830年代、イリノイ州下院議員の時代には、奴隷制と奴隷制廃止のいずれにも反対し、単に奴隷制拡大にのみ反対するという中道的な立ち位置を取った。
 このような中庸な―悪く言えば半端な―立場こそが、リンカーンの原点であったのだ。その後も、長くリンカーンの中道的立場は変わっていない。実際、彼は共和党から1860年大統領選挙に立候補し、当選した後も、奴隷制の全廃を宣言することは避けた。
 とはいえ、南部の奴隷制諸州では、北部に基盤を持ち、反奴隷制を掲げて1854年に発足した共和党の候補者が初めて大統領に当選したことに危機感を強めた。それは、リンカーンが就任演説で「奴隷制度が施行されている州におけるこの制度に、直接にも間接にも干渉する意図はない。私にはそうする法律上の権限がないと思うし、またそうしたいという意思もない。」と確約しても、信用しないほど強いものであった。
 すでにリンカーン就任前から南北の分裂は不可避なものとなっていたとはいえ、リンカーン共和党政権の発足は分裂を決定づけ、南部諸州の連邦離脱を食い止めることはできなかった。他方、南部の離脱を容認しないリンカーンは武力による制圧を決断する。
 こうして始まった南北戦争渦中で発せられたのが有名な奴隷解放宣言であるが、実はこの期に至っても、リンカーン自身は奴隷制廃止論者ではなかった。宣言を発したのは、南部奴隷の反乱やボイコットを誘発して南軍を弱体化させるという戦略的な意図に基づくものにすぎなかったのだ。
 事実、この宣言は南部諸州の奴隷の解放のみに焦点を当て、実は北部にも存在した奴隷制存置州には適用されないという非対称な仕掛けになっていた。けれども、歴史の流れはリンカーンの思惑を超えて進行し、彼が再選を果たした後の1865年には憲法修正13条の制定により、奴隷制は全米で廃止されることとなった。
 こうしてリンカーンは歴史を変えた「偉人」となるのであるが、南北戦争中は、抑圧者としての顔を覗かせ、孤島アルカトラズ島要塞を苛烈な軍事刑務所として使い、ここに南部連合派の政治犯を拘禁した。自由の擁護を改めて誓った有名なゲティスバーグ演説は、アルカトラズ島には届かなかった。
 リンカーンが知られざる抑圧者の顔を決定的に露にしたのは、対先住民政策である。リンカーンは大統領就任前の50年代に「白人の優越性を疑わない」と発言しているように、実のところ人種平等主義者ではなかった。従って、黒人奴隷制廃止に踏み切っても、先住民の人権について再考することはなかった。
 実際、彼は数々の先住民排除政策を施行している。西部領土の拡大―すなわち先住民居住圏の剥奪―にも積極的で、1862年に署名したホームステッド法に基づき、先住民を保留地へ強制移住させたほか、先住民の暴動に対する大量処刑も躊躇しなかった。
 彼の先住民政策における暗黒面については、すでに『赤のアメリカ史』で詳述したので(拙稿参照)、その“罪状”は繰り返さないが、ゲティスバーグ演説で「人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させない」決意を表明したリンカーンが、先住民の地上からの絶滅を容認していたことは確実である。
 しかし、リンカーンは二期目途中の1865年、南部連合を支持する暗殺者グループの凶弾に倒れ、アメリカ史上最初の暗殺された大統領となったことで、「偉人」を越えて「聖人」に近い偶像にまで高められたのである。同時に、リンカーン暗殺は100年後のケネディ大統領やキング牧師、マルコム・Xなど、およそ黒人解放に関わったキーマンがいずれも凶弾に倒れるというアメリカ暗黒史の始まりでもあった。

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