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2018年7月18日 (水)

アフリカ黒人の軌跡(連載第26回)

五 奴隷貿易諸国と新大陸黒人

中南米のアフリカ黒人〈2〉
 カリブ海島嶼も大西洋奴隷貿易によって送り込まれたアフリカ黒人の「輸出」先として、代表的な地域である。中でも今日ドミニカ(共和国)とハイチが分け合っているイスパニョラ島は、スペインによるアメリカ大陸初の植民地―サントドミンゴ―となった記念すべき場所である。
 当初、スペインは先住民族タイノを奴隷化して金鉱山で酷使したが、かれらが激減すると、アフリカ黒人を奴隷として連行し、先住民奴隷に置換する政策に転換した。折りしもサトウキビのプランテーションが導入されると、黒人奴隷はプランテーション労働力として使役されたのである。
 しかし、スペインの領土的関心は次第にメキシコ以南の中南米大陸部に移っていき、イスパニョラ島の統治は弱化していった。その間隙を突き、新興のフランスが侵出の手を伸ばす。フランスは1659年以降、イスパニョラ島の侵略を開始し、やがて島西部の領有を宣言、1697年のライスワイク条約をもって島の西部三分の一ほどが正式にフランス領土となった。
 このフランス領サン‐ドマング(後のハイチ)はたちまちにして砂糖、コーヒー、タバコ等多角的なプランテーション経営で繁栄し、18世紀にはこの小さな島がフランス海外植民地の中でも最も富裕な場所となった。それを支えたのが黒人の奴隷労働であり、当地は18世紀大西洋奴隷貿易の一大中心地ともなったのである。
 黒人奴隷はサン‐ドマング人口の大半を占めながら、フランス政府が制定した黒人法という人種差別法制によってその劣悪な境遇が法的に正当化されていた。これに対抗して、ここでも逃亡奴隷マウォン(マルーン)が自立化した。
 しかし、ハイチのマウォンは、ブラジルのマルーンとは異なり、国家的な共同体を作らず、ゲリラ的組織として白人農園の襲撃などのテロ活動を展開した。このハイチ・マウォンのゲリラ活動はやがて史上初の黒人共和国の樹立を実現した革命へとつながっていくが、ハイチ革命に関しては後に別稿をもって改めて見ることにする。
 一方、イングランドも17世紀以降、カリブ海域への入植活動を活発化させており、セントクリストファー島を皮切りに続々とカリブ海島嶼を征服し、黒人奴隷を使役したプランテーションを営んだ。清教徒革命を成功させたクロムウェルはイスパニョラ島の征服をももくろんだが、これに失敗すると、当時スペイン領だったジャマイカを攻略・征服した。
 ジャマイカでも逃亡奴隷マルーンが18世紀を通じて戦争規模の反英闘争を展開する中で、限定的ながら自治権を獲得した。ジャマイカのマルーンによる抵抗戦争は最終的に19世紀初頭、英国が奴隷貿易廃止にいち早く踏み切る契機ともなったことで、半革命的な性格を持った(後述)。

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