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2018年7月 7日 (土)

アメリカ合衆国大統領黒書(連載第10回)

11 ジェームズ・ノックス・ポーク(1795年‐1849年)

 第11代大統領ジェームズ・ノックス・ポークは、アメリカの歴史上最も知名度の低い大統領かもしれない。ポークは弁護士となった後、下院議員・議長やテネシー州知事を歴任したアメリカではよくある履歴を持つベテラン政治家であったが、民主党から大統領候補に指名された時には全国的に無名に近い存在であった。
 彼が立候補した1844年大統領選では旧メキシコ領土のテキサス併合問題が大きな争点となっていた。この時、民主党から大統領返り咲きを目指していた元大統領ヴァン・ビューレンは「良識派」としてテキサス併合に反対したが、このことをめぐって民主党主流派の反発を買ったヴァン・ビューレンが指名を失ったため、代替候補として急遽立てられたのがポークであった。
 ポークはノースカロライナ州の奴隷所有農場主の家に生まれ、自身も父から奴隷を相続した奴隷所有者であった。そのため、ポークは一貫して南部奴隷州の擁護者であり、南部に基盤を持つ民主党にとっては知名度のなさを差し引いても好都合な候補者であった。
 本選挙でポークの対抗馬となったのは、より知名度の高いホイッグ党のヘンリー・クレイであった。彼は1824年以来、たびたび大統領選に挑戦してきた「常連」であった。クレイ陣営はポークの知名度のなさを揶揄する作戦で攻撃したが、僅差で勝利したのはポークであった。
 ポークは大統領就任に当たり、再選は目指さないことを公約し、それを守ったことで政治野心のなさを示したが、一期だけのポーク政権最大の“成果”は、米墨戦争の勝利であった。米墨戦争はテキサス州併合問題を契機として勃発した国境紛争であった。
 自身の再選には野心を示さなかったポーク大統領であるが、アメリカ領土の拡張に関しては、テキサス州の州境を拡張しようとする野心を隠さなかった。そのことが元々国境線が曖昧だった隣国との武力衝突を招いたのだ。
 彼の任期中の多くを費やした戦争で、ポークはアメリカに勝利に導いた。戦果として、広大なカリフォルニアを獲得したほか、戦争を終結させたされたグアダルーペ・イダルゴ条約により、メキシコ側に領土の三分の一程度を割譲させることに成功した。
 こうしてポーク大統領は現在、トランプ現職が「壁」を建設しようとしている米墨国境線の基礎を築いた“功労者”なのである。その代償であるかのごとく、ポークは大統領退任後、わずか三か月で急死することとなった。死因はコレラと見られている。

 

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