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2018年4月18日 (水)

神道と政治―史的総覧(連載第16回)

五 天下人神道

東照宮と江戸幕府
 天下人を神格化する天下人神道の集大成は、徳川家康によって行なわれた。彼は臨終前の遺言で、実に事細かに神格化の手順を指示している。それはまず本拠駿府の久能山に遺体を安置したうえ、一周忌を終えた後、日光山と京都金地院に小堂を設置して拝礼させよというものであった。
 この遺命に従い、幕府は指定された三箇所に東照社を建立したのであるが、「東照」の名は家康が没後、朝廷から授与された「東照大権現」の神号に由来している。さらに、没後30年近く経過した1645年の宮号授与をもって「東照宮」と称されるようになる。
 家康がこのように詳細な遺言で自己の神格化を図ったのは、実質一代限りで終わった豊臣政権の轍を踏まず、徳川支配を恒久化するうえで支配に宗教的な権威付けを与えようとする狙いからであったのだろう。
 遺命に基づく三つの東照社のうち、久能山東照社は家康埋葬地として東照宮総社の位置づけにあり、その余は「小堂」にとどまったはずのところ、孫の3代将軍家光が江戸に最も近い日光東照社を豪勢に大改築したことから、以後は日光東照社が事実上の東照社総社的な存在となった。
 家光が日光東照社の大改築を通じて祖父家康の権威付けを改めて強化したのは、人々の記憶が薄れかけていた祖父の威光を再活性化することにより、「鎖国」という新たな段階を迎えた徳川支配体制の引き締めを図る狙いがあったと考えられる。
 家光は配下の諸大名に対しても東照社の造営を勧奨したため、徳川‐松平一門はもちろん、譜代大名や外様大名の間でもこぞって東照社の建立が流行し、今日では廃絶したものを含めれば最大でおよそ700の東照社が全国に建立されたと言われる。
 こうして江戸幕府の宗教的権威付けの支柱となった言わば「東照神道」は教義上、家康の側近でもあった天台宗僧侶・天海が提唱した山王一実神道と呼ばれる神道流派に属している。その根底にあるのは、比叡山に発祥した一種の山岳信仰である山王権現を釈迦の化身とみなす神仏習合流派であった。
 とはいえ、その最大の趣意は家康の神格化にあったから、神道としては内容空疎な、まさに政治の産物であった。実際、もう一人の家康側近であった臨済宗僧侶・以心崇伝は反習合的な吉田神道での祭祀を主張していたが、家康の遺言を盾に取った天海との論争に敗れ、山王神道での祭祀となったという経緯がある。
 ただ、崇伝が住した金地院は室町幕府4代将軍足利義持によって建立されたと伝えられる臨済宗寺院で、家康遺命による東照宮を擁し、それ自体も神仏習合を内包しつつ、全国の五山十刹以下全住職の任命権を掌握する僧録司が置かれた徳川体制における仏教統制機関に発展したのである。

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