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2018年4月 5日 (木)

アメリカ合衆国大統領黒書(連載第6回)

6 ジョン・クインジー・アダムズ(1767年‐1848年)

 第6代大統領ジョン・クインジー・アダムズは第2代ジョン・アダムズ大統領の子息であり、政治職の世襲を認めない米国にあって、現時点で二組しかない父子二代大統領のうち、最初の例に当たる。同時に、いわゆる「建国の父」の子女世代からの初の大統領という初記録に覆われた人物である。
 恵まれた政治一族の生まれにふさわしく、クインジーはヨーロッパでエリート教育を受け、多言語を身につけたうえ、帰国後はハーバード大学を卒業して弁護士となった。今日でも米国の政治家登竜門として有力なコースを歩んでいる。
 彼の政治歴は若干26歳の時、初代ワシントン大統領からオランダ担当閣僚に任命された時に始まっている。その後も父アダムズ政権を含む複数の政権でロシア担当閣僚や英国大使などを務め、外交で活躍した国際派であり、一代前のモンロー政権では二期にわたり国務長官を務め、モンロー主義外交の実務を担当した。
 クインジーは、こうした外交の実績を引っさげて1824年大統領選挙で勝利したのであった。しかし、大統領としてのクインジーの事績は芳しいものとはならなかった。前任モンロー大統領の下では民主共和党の実質的な一党政となり、「好感情の時代」と称される安定した政局であったが、24年大統領選がこの平穏を破ったからである。
 民主共和党がクインジーを支持する連邦主義的なグループと彼の対抗馬であった強硬派アンドリュー・ジャクソンを支持する州権主義的なグループに分裂し、クインジー派が国民共和党を名乗って分離したのである。その結果、クインジーの政権ではジャクソン派からの議事妨害が激化し、重要法案が通らないなど「呪われた政権」とまで称された。
 この対立はクインジーが再選を目指した28年大統領選に持ち越され、その後の米大統領選の宿痾となるネガティブ・キャンペーンが展開された。勝利したのは、かのジャクソンだった。結局、クインジーは父と同様に一期で大統領の座を去ることになった。
 この史上初のネガティブ・キャンペーン選挙で特に中傷されたのは、クインジーの先住民政策であった。クインジーはジャクソンのように武力により先住民から土地を奪うのではなく、条約に基づいて土地を購入するという穏健な方法を主張し、すでに白人が侵奪した土地についても再交渉しようとしていた。これが手ぬるいとして攻撃されたのだった。
 こうした施策からも見えるとおり、クインジーには良識的な一面があり、そのことは彼の奴隷制廃止論にも現れている。またしても史上初めて、かつ唯一、大統領退任後に改めて下院議員に転じたクインジーは、議会における奴隷制廃止派の代表格として南部の奴隷所有者層に対抗したのである。
 テキサス州を獲得した米墨戦争を南部奴隷州拡大の企てとして批判した彼は、いずれ米国が奴隷制をめぐって分裂し、内戦となることを予見していた。そうした点では、後のリンカーン大統領の予言者とも言える人物であった。
 クインジーは有能な外交家であり、「黒書」に含めるには惜しい良識と信念の人であったと思われるが、むしろそれゆえに、白人の「自由の帝国」を志向して対内的にも対外的にも膨張を続けていた合衆国民の野心と相容れず、大統領としては失敗者に終わったのだろう。

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