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2018年3月29日 (木)

アフリカ黒人の軌跡(連載第21回)

四 内陸アフリカの多様性

マサイ勢力圏の形成と後退
 ナイロート系諸族の中でも、独自の生活様式を固守してきたのがマサイ族である。マサイ族自身の口伝によれば、かれらは元来トゥルカナ湖北方の低地ナイル谷付近に発祥したが、15世紀以降に南下を開始し、18世紀頃までに現住地であるケニア、タンザニア内陸部に定着した。
 その過程で先住民を征服・吸収していったと見られるが、その証拠はかれらのY-DNAにおいて、非黒人のソマリ族などと共通するハプログループE1b1bが最も高頻度に確認され、ナイロート系のハプログループA3b2は次順位にとどまることにも現れている。この結果は、南下してきたナイロート系征服者の数が決して多くなかったことを示唆する。
 少数集団が征服者となり得た秘訣は、強靭な身体を生かした戦闘力の高さにあったと見られる。実際、マサイ族の男性にとって最も重要な任務は戦士としてのそれであり、適齢男性全員がモランと呼ばれる訓練された戦士となり得る体制にある。こうした戦闘集団としての強さのゆえに、マサイ族は国家を形成せず、原初的な部族共同体を維持しながら、19世紀には大地溝帯のほぼ全域に及ぶ勢力圏を築いた。
 また奴隷化されることなく、民族的独立を維持し得たのも、マサイ族の戦闘能力を恐れた奴隷商人たちが奴隷狩りの対象としなかったがためであった。マサイ族自身、東アフリカのバントゥー系諸族のように自ら奴隷商人化して奴隷貿易に手を貸すようなこともなかった。
 前近代のアフリカ大陸において、奴隷化されず、かつ奴隷貿易に手を貸さずして独立した勢力圏を維持したマサイ族の存在は極めて稀有であった。こうした安定したマサイ勢力圏で、かれらはナイロート諸族のシンボルとも言える家産の牛の放牧を中心とする遊牧生活様式を固守していた。
 しかし19世紀末、おそらく外部から持ち込まれた牛肺疫や牛疫の蔓延による牛の大量死という災害で打撃を受けたことに続き、20世紀初頭には英国との二次の不平等条約によってマサイ族の土地は削減され、植民地主義が拡大する中、マサイ勢力圏は後退を余儀なくされていく。 

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