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2018年3月17日 (土)

神道と政治―史的総覧(連載第14回)

五 天下人神道

武家の八幡神信仰
 武家社会になると、天下を目指す武家が積極的に氏神を奉じ、家運と戦勝祈願の対象とするようになり、ついには自身を神格化した宗教施設の築造に及ぶ者まで現れた。こうした天下人―その志望者も含め―が奉じる神道は、当然にも強い政治性を帯びたが、この新たな神道のあり方を「天下人神道」と呼ぶことができる。
 その嚆矢をなしたのは、源氏による八幡神信仰であった。八幡神とは、応神天皇を神格化したもので、本来は平安時代以降、皇室が天照大神に次ぐ第二の皇祖神と位置づけて崇敬の対象としてきたものであった。それは、応神天皇こそが天皇王朝の実質的な始祖と言うべき存在だったからにほかならない。
 実は源氏台頭以前、平安時代中期の関東で大反乱を起こした平将門が天皇を凌駕せんとして「新皇」を称したとき、「八幡大菩薩」の神勅によりその地位を授与されたと主張したことがある。この「八幡大菩薩」とは八幡神と仏教の菩薩とが習合されたもので、元来は聖武天皇の血統が途絶え、桓武天皇が即位した時、天災が相次いだため、聖武天皇の霊の祟りを鎮めるためとして、八幡神が出家して菩薩となったとの想定で八幡神に授与された称号であった。
 将門がこれを持ち出したのは、自身が天皇王朝を凌駕しようとする野望を正当化するためであったろうが、興味深いことに、将門の乱を鎮圧する朝廷側も石清水八幡宮で調伏祈願を行なっているのである。このように八幡神が軍神的なシンボルとなったことで、武家の間で急速に信仰が広まったと見られる。
 なかでも清和天皇を始祖とする賜姓皇族である清和源氏は八幡神を氏神として明確に位置づけて全国に勧請するのであるが、その嚆矢は清和源氏中で最も繁栄した河内源氏二代目棟梁の源頼義であった。彼は前九年の役で勝利した後、河内の私邸に壺井神社を創建して八幡神を勧請、これを総氏神としたのである。
 これは以後、一族によって篤く継承され、やがて頼義の子孫である頼朝が鎌倉幕府を開いた際、八幡神を新たな「首都」となった鎌倉に勧請して、有名な鶴岡八幡宮を開いたのであった。その結果、鶴岡八幡宮は幕府及び鎌倉武士全体の守護神としての政治的権威をも帯びることとなった。
 もっとも、頼朝は自身を神格化して祀るほど自惚れてはいなかったようであるが、関東を中心とした東日本には頼朝を主祭神とする白旗神社が散在している。その中核は鶴岡八幡宮摂末社の白旗神社である。その由緒は必ずしも定かでないが、一説には頼朝の妻北条政子が1200年、前年に没した頼朝が朝廷より「白旗大明神」の神号を受けた時に創建したという。
 しかし、白幡神社はあくまでも鶴岡八幡宮に付属する摂末社にすぎず、その他の白旗神社には頼朝の政敵となった義経を祭る例すら混在している状況で、やはり源氏流を称した後の徳川家康を祀る東照宮のような形で個人的な神格化が公式に普及することはなかったのである。

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