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2018年3月31日 (土)

神道と政治―史的総覧(連載第15回)

五 天下人神道

豊臣秀吉と豊国神社
 天下人を神格して祀る「天下人神道」が本格的に創始されるのは、戦国時代以後である。戦国の天下人たちはそれ以前の源氏に象徴される皇族由来の「由緒」ある武家ではなく、出自も不確かな下克上大名から出ているため、それぞれ家系を仮冒するばかりでは飽き足らず、自らを神格化して祭祀の対象とさせることを欲した。
 戦国天下人の先駆者となった織田信長は時に唯物論者・無神論者と評されることもあるが、八幡神を祀る石清水八幡宮の修復や長く途絶していた伊勢神宮式年遷宮の復活など、伝統的な神道復興に少なからず関心を示している。
 一方で、イエズス会宣教師ルイス・フロイスに対し「自分自身が神である」であると語り、安土城内に「梵山」と称する大石を安置して信長の御神体として家臣や領民に礼拝を求めたと言われ、自己神格化と見られる行動をも示している。
 彼が謀反を乗り切って存命していれば、信長を主祭神とする神社を自ら建立した可能性もなくはないが、周知のとおり天下統一の夢は道半ばで挫折したため、「信長神社」は残らなかった。ただ、明治初頭になって織田氏子孫が治めた旧天童藩が先祖信長を顕彰するため、京都の船岡山に信長を祀る建勲神社(たけいさおじんじゃ)を建立したが、これは近代の追善的な宗教施設にすぎない。
 信長を継いだ豊臣秀吉は、信長より自己神格化に積極的であった。秀吉は死に際して自身を「新八幡神」として祭祀するよう遺言したとされる。源氏とは程遠い低い出自の秀吉が自己を源氏氏神の八幡神になぞらえようとしたのは、源氏と同格たらんとする彼なりの強烈な上昇志向の表れだったのだろう。
 ところが、朝廷は秀吉の遺志に反して「豊国乃大明神」の神号を授与した。この新たな神号は「兵威を異域に振るう武神」を含意すると宣示され(朝鮮侵略を示唆)、結局、秀吉神社は「豊国神社」として、京都東山に建立された。遷宮は吉田神道を主宰する吉田家によって執り行なわれ、社務職・社僧とも吉田家が独占するなど、当時の神道界の領袖たる吉田家との関わりが深かった。
 しかし、天下人神道の悲哀は、天下人が交代すれば排除されることである。1615年に新たな天下人徳川家康によって豊臣氏が滅亡に追い込まれるや、秀吉は神号剥奪、豊国神社も容赦なく廃絶されるのである。その再興は、明治維新後、秀吉の「皇威を海外に宣べ(た)」功績(これも朝鮮侵略を示唆)を再評価した明治天皇の沙汰によってなされたのである。

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