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2018年3月 5日 (月)

アメリカ合衆国大統領黒書(連載第4回)

4 ジェームズ・マディソン・ジュニア(1751年‐1836年)

 第4代ジェームズ・マディソン大統領は、アメリカ独立宣言に署名した「建国の父」としては最後の大統領である。彼も前任ジェファーソンと同様にバージニア州出身で、生家は奴隷を所有するタバコ農園主というこの時代のアメリカ支配階級のまさに代表者であった。
 にもかかわらず、彼が歴代大統領の中で比較的好感されているのは、合衆国憲法の主たる起草者であり、なかんずく後から追加された人権宣言に相当する修正10箇条の起草者として名を残したからである。彼は抑制と均衡を旨とする権力分立とともに多数派の専制から個人の権利を擁護するという自由主義政治哲学の主唱者でもあった。
 しかし、マディソンのこうした自由主義の真意は、自身が出自した地主階級の利益の護持という点に隠されていた。実際、彼は将来地主階級が少数派に転落し、弱体化した場合を想定し、憲法は多数者に対抗して少数の富者の私有財産を守るために定立されるべきものと論じていたのである。
 また奴隷制に関しても、南部経済の重要な要素として存続を支持する典型的な南部人であり、前任ジェファーソンのように奴隷制廃止の思想と経済的社会的現実との間で道徳的な葛藤を示すこともなかった。その代わり、彼は大統領就任の前後を通じて、奴隷のアフリカ帰還運動の主唱者となり、大統領退任後の1830年代にはアフリカのリベリア植民地に奴隷を帰還させる役割を担ったアメリカ植民地協会の会長を務めている。
 大統領時代のマディソンはアメリカ史上最初の対外戦争となった米英戦争を指揮したことで記憶されている。米英戦争は表向きはまさに米国と旧宗主国英国との戦争であったが、その裏には先住民戦争という性格も色濃かった。実際、独立以後、白人入植活動の活発化につれ、先住民諸部族の抵抗も激しさを増しており、その先住民勢力を旧宗主国の英国が影で支援しているとみなされていたのだ。
 両国の準備不足もあって、膠着状態のまま3年近く続いたこの戦争の最大の犠牲者は先住民であり、多数の部族が殺戮され、土地を追われた。先住民が排除された土地は、当然にも白人植民者の新たな開拓地となった。
 もっとも、マディソン自身は先住民に対して保護者的な立場で臨み、白人入植者から先住民の土地を守る大統領令も発したが、これに異議を唱え拒否したのが、後に大統領にのし上がる米英戦争の「英雄」アンドリュー・ジャクソンであった。
 米英戦争中、アメリカ経済はインフレと財政赤字に見舞われ、独立以来最悪状況に陥った。マディソンはかねて連邦政府の権限拡大に反対する民主共和党の中心人物であったため、中央銀行の設立にも消極的であったが、戦費調達の必要から、最初の任期中に失効していた中央銀行を復活させた(第二次合衆国銀行)。
 この第二次合衆国銀行はマディソン大統領二期目任期の最終盤に業務を開始し、彼の置き土産となったが、白人の西部開拓を奨励するための無規律な貸付と大量の紙幣発行がインフレを助長し、マディソンの退任後、銀行の強硬な貸付金回収措置は1819年恐慌の引き金を引くことにもなる。
 米英戦争を機とするマディソンの日和見主義は、英軍による首都ワシントン焼き討ちと大統領の一時的な避難という屈辱的体験を経て、強力な連邦軍の保持に反対する持論を撤回し、今日の米軍に通じる強力な連邦軍の保持を支持するようにもなったのである。

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