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2018年2月19日 (月)

アメリカ合衆国大統領黒書(連載第3回)

3 トーマス・ジェファーソン(1743年‐1826年)

 トーマス・ジェファーソンもまた「建国の父」の一人であるが、彼は政治哲学者でもあり、独立宣言の起草者となるなど、アメリカ合衆国の基層を成すイデオロギーの面で歴史的に重要な役割を果たした人物である。
 彼が初稿をものした格調高い独立宣言文はその実、自らが関わった先行のバージニア憲法などの憲法文書からの引用と継ぎはぎであったうえ、前回も見たように、初稿にはあった奴隷制廃止に関わる文言がアダムズの手により削除されたことで、空疎なものとなってしまったのだった。
 こうした経緯がジェファーソンとアダムズの関係を悪化させ、ジェファーソンは来る19世紀へ向けた節目となる1800年度大統領選挙に際しては、アダムズ大統領の再選を阻止すべく、アダムズが属する連邦党に反対する民主共和党から立候補し、当選を果たした。この連邦党対民主共和党の対立関係は、今日までアメリカ政治を規定し、その民主主義の発展を制約する二党支配政の萌芽となった。
 こうして満を持して第3代大統領となったジェファーソンは、今日の用語で言えば「リベラル」な政策を展開し、アダムズ前政権下の外国人及び煽動諸法の撤廃とそれによる被拘束者の釈放に努めた。しかし、奴隷解放に関してはジェファーソン自身奴隷制廃止論者を標榜していながら、政策的に進展させることはなかった。
 実際、彼はアダムズを僅差で破った大統領選挙でも、当時奴隷は選挙権を与えられていないにもかかわらず、奴隷人口の四分の三を州の有権者数に加算して選挙人数を割り当てるという歪んだ間接選挙制度の恩恵を受けていたため、“ニグロ大統領”などと揶揄される結果を招いていた。
 また、ジェファーソンは、現職トランプ大統領が会見で引き合いに出したことで波紋を呼んだように、個人的にも奴隷所有者であった。しかも、先立たれたマーサ夫人から相続した奴隷サリー・ヘミングスと事実婚関係にあり、複数の子どもをもうけたが、この事実を厳重に秘匿し、内縁妻のヘミングスさえも奴隷身分から解放しようとしなかった。
 ヘミングスは白人と黒人の混血の母と白人の父との間に生まれた四分の一黒人であり、外見上は白人化していたものと思われる。しかも、彼女はマーサ夫人と父を同じくする異母姉妹関係にあったとされる。こうした特殊事情が内縁関係につながったのだろうが、ジェファーソンは公式には異人種間婚姻に否定的であり、ここにも言行不一致が見られる。
 彼は思想的には奴隷制廃止論者ながら、終生経済的に多額の負債を抱えており、奴隷をその「担保物」として差し出していたため、奴隷を解放しようにもほとんどできなかったと弁明的に評されることもあるが、その思想上も黒人を白人より心身両面で劣った人種とみなし、同じ政府の下で共生できる存在ではないとする考えを捨てることはなかった。
 ましてや、アメリカ先住民に関してはより明白に排除の論理を有し、「アメリカ(白)人はインディアンどもを、森のけだものと一緒にストーニー山脈の奥へ押し込まなければならない」とか、「我々(アメリカ白人)は、かれら(先住民)のすべてを破壊する」などと公然と民族浄化を主張する人物でもあった。
 黒人観を含めた彼の人種観には後世の優生学思想の萌芽を思わせるものがあり、これがひいてはジェファーソンが構想し、現在まで合衆国の基本イデオロギーである「自由の帝国」(Empire for Liberty)―すなわち白人帝国主義―の土台となっているものと推察されるのである。
 ちなみに彼は、個人が武器を所持する自由の強力な擁護者でもあり、「非武装者は武装者よりも高い確率で攻撃されるかもしれないので、殺人を防ぐよりは奨励する」と論じて、個人の武器所持の自由をイデオロギー化している。
 こうした「自由」(リバティー)の空疎なイデオロギー化への寄与という点において、、まさしくジェファーソンこそは「アメリカン・イデオロギーの父」だと言えるだろう。

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