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2018年1月17日 (水)

アフリカ黒人の軌跡(連載第17回)

四 内陸アフリカの多様性

キタラ帝国とその解体
 広大なアフリカ大陸の内陸部は多様な農耕民と牧畜民・遊牧民が交錯割拠するところとなり、生活様式の相違ゆえの紛争が古くから絶えない領域であった。そのため、統一的な帝国の成立は大陸の他領域に比べてもいっそう困難であった。
 そうした中で、最も早くに広域的な王権を形成したのはバントゥー系のニョロ族であった。キタラ帝国とも呼ばれるその起源はアフリカ特有の口伝史のゆえに確定できないが、青銅器時代に遡るとする説もある。最盛期には、今日のウガンダを拠点にタンザニア、コンゴ、ルワンダ、ブルンディ、マラウィにまでまたがる広域を支配したため、大湖沼地域から東アフリカのスワヒリ文明圏をつなぐ交易ルートを押さえて経済的にも繁栄した。
 ただ、実際のところ、これら地域には部族単位の小首長国(王国)が林立しており、キタラ「帝国」の内実はそれら小首長国の連合体にすぎず、その統合性は常に不安定だったと見られる。各首長国はそれぞれの生活様式に適合するよりよい土地を求めて自立志向を強め、16世紀頃までに帝国は事実上解体され、名目的なものに移行したと見られる。
 伝承上は神聖なるオムカマの称号を持つ王の愛牛の死が悪い予兆となったとされるが、帝国解体の現実的な契機となったのは、北部からナイル‐サハラ語族に属するルオ族が侵入し、帝国の王権を簒奪したことにあったようである。その結果、旧支配層は南部に逃れ、統合性を失った帝国は分解し、アンコーレ、トロ、ブガンダ、ブソガ、ルワンダ等の諸王国が自立していった。
 名目上のキタラ帝国はその後もなお存続したが、19世紀中頃になると、ブガンダやルワンダ、アンコーレなどが国力をつけて台頭し、名目上の帝国を蚕食していったため、「帝国」は今日のウガンダの小王国ブニョロに断片化されることとなった。

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