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2017年10月23日 (月)

神道と政治―史的総覧(連載第5回)

二 天皇制の創出と神道

第一次宗教改革:イヅモ神道の導入
 神道はヤマト王権の祭政一致体制を支える宗教的基盤となり、やがて天皇制律令国家の制度的基盤ともなるわけであるが、そこへ至るまでの過程は想定されている以上に複雑である。
 すなわち、二つの大規模な宗教改革の間に内乱を招いた仏教の伝来と受容という経過が挟まれる。このような見方はあくまでも私見であって、決して通説的に確立されたものではないが、一つの管見として提示する。
 まず、前章では行論上やや曖昧にヤマト神道とイヅモ神道の接合ということを述べたが、このような接合が成るに当たっては、政変を契機とする宗教改革の介在が想定される。このことはすでに別稿で詳論したので、そちらへ譲るが、遅くとも4世紀前葉までに成立したいわゆるヤマト王権は5世紀後葉に王朝交代の政変を経験している。
 それは、九州北部を経由して東征してきた伽耶系渡来人を主体とする王朝から、帰化した百済王子が創始した百済系渡来人を主体とする王朝への交代である。ヤマト神道とイヅモ神道の接合が起きたのは、この政変で成立した新王朝の宗教改革の結果である。
 伽耶系王朝下のヤマト王権の宗教は、天孫降臨に象徴される始祖神話に、三輪山を聖山拠点とするヤマトの土着的な信仰体系を継承加味したものであったろうが、この旧王朝を倒した百済系王朝は新たにイヅモ神道を導入したのである。
 そこには、イヅモ王権との神聖同盟という外交的な新政策が大きく影響しているが、旧王朝系勢力を宗教面から統制支配するという内政的な目的もあったと考えられる。そうした宗教改革を主導した君主(オオキミ)が、正史上にいわゆる「応神天皇」―昆支大王―であった。
 三輪山をイヅモ神道系聖山に作り変えたこの第一次宗教改革は、後に見るように、およそ一世紀後に再び覆されるのであるが、イヅモ神道の接合という成果は永続した。
 実際、三輪山自体を本殿とする大神神社の主祭神である大物主大神はイヅモ神道における大国主の「和魂」(=安らかな魂)とみなされ、配神としてまさに大己貴神(=大国主神)を祀っているのである。なお、昆支大王による宗教改革の詳細に係る私見も別稿にて詳論したので、これも管見ながら参照願いたい。

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