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2017年10月26日 (木)

アフリカ黒人の軌跡(連載第13回)

三 スワヒリ文明圏

ザンジュ階級の形成
 スワヒリ文明圏で、人口構成上最大を占めていたのはバントゥー系黒人であったが、アラブ人はかれらをアラビア語で「黒人の土地」を意味する「ザンジュ」の名で呼んだ。この語は、今日タンザニアに属する自治地域ザンジバルに残されている。
 ザンジュはアラブ人らの交易相手でもあったが、アラブ人はザンジュに対して差別的な意識を持っていたことは間違いない。例えば、10世紀のアラブ人地理学者アル‐ムカッダシーは、ザンジュを「黒い皮膚、平らな鼻、縮れた髪を持つ、理解力や知能に乏しい人々」と決めつけているが、当代第一級の知識人ですらこの程度の認識であったことがわかる。
 その結果、ザンジュはアラブ‐ペルシャ商人層が主導したスワヒリ都市では奴隷階級として使役された。また何世紀にもわたって輸出され、アラブ奴隷貿易における中心的な「商品」とすらされたのである。ザンジュ奴隷は東南アジアを経由して、遠く中国王朝にまで「貢物」として献上され、中国文献に「僧祇奴」として転写記録されている。
 アッバース朝ではザンジュを奴隷兵士として徴用することもあったが、イラク南部の農業地帯では農園労働者としてザンジュが送り込まれた。かれらは過酷な労働条件下に置かれていたことから、9世紀後半、アラブ人革命家に煽動されて反乱を起こし、十数年にわたり地方革命政権を維持したほどの力量も示した。
 他方、ザンジュの乱直前期まで生きたアッバース朝の文学者で、アラビア散文文学の祖とも目されるアル‐ジャーヒズは、祖父がザンジュであったとされ、一部ではアラブ‐ザンジュ間の通婚もなされていたことがうかがえる。
 スワヒリ都市にあっては、アラブ‐ペルシャ系との通婚による混血はいっそう進んでいたと思われ、後代にはアラブ‐ペルシャ系とバントゥー系の区別は実質上つかなくなったであろうが、さしあたり初期スワヒリ文明圏の黒人ザンジュ階級は従属的なものであった。

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