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2017年10月15日 (日)

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第17回)

十七 正祖・李祘(1752年‐1800年)

 22代正祖は、父荘献世子が祖父の21代英祖によって処刑されたため、一代飛ばす形で英祖の後継者となった。彼は荘献世子の子であることに内心誇りを抱いていたようであるが、君主としては祖父の路線の継承者であった。
 彼は父の刑死に関わった老論派を嫌悪し、その権益を抑制しつつも、党争は避け、祖父が敷いた蕩平策を維持し、国王権力を強化する集権的な政策を施行した。国王権力の強化は軍制改革にも及び、正祖は国王直属の親衛隊として壮勇営を創設し、国王の統帥権を強化した。こうして、国王の政軍関係の掌握力を高めることが、正祖の終生にわたる施政方針であった。
 正祖はまた、好学だった英祖から文化政策も継承し、発展させた。ことに王立図書館・公文書館の性格を持つ奎章閣を設立し、ここに重要な書籍・文献を集積するとともに、文官の研修と政策立案なども併せて行なう一種のシンクタンクとしての機能も持たせたのであった。
 正祖の時代には、従来の朝鮮にありがちだった観念論的な儒学の気風に代えて、より実証的・実用的な実学の気風が広がり、奎章閣はそうした実学研究機関としての役割も担っていた。それは、正祖の改革政治の方向性ともマッチするものでもあった。
 こうした学問の平易な実学化は伝統的な学問の担い手であった両班階級から中人以下の階級まで学問的な志向が普及する契機となり、正祖時代は朝鮮王朝史上、文化が最も花開いた時代、ある種の啓蒙時代としても記憶されている。
 一方で、この時代の朝鮮社会はキリスト教(天主教)との直面を本格的に経験した。キリスト教は先代英祖の時代に一部地方に流入してきていたが、英祖はこれを邪教と断じ、すぐさま禁圧した。
 正祖時代になると朝鮮への布教が始まり、朝鮮人カトリック教徒の活動も目立ってきた。朝鮮史上初のキリスト教会が設立されたのも、正祖時代のことである。
 正祖自身は儒学を正統思想とし、カトリック(西学)を否定しつつも、弾圧は慎重に避けていたが、身内の葬儀をカトリック式で執り行って社会問題化した両班尹持忠を処刑したことで 朝鮮初の殉教者を出した。
 キリスト教の流入は西洋人の来航ともリンクしており、正祖晩年の1797年にはウィリアム・ロバート・ブロートンに率いられた英国軍艦プロヴィデンス号が釜山に漂着するという出来事もあった。
 18世紀最後の四半世紀をほぼカバーした正祖の時代は、朝鮮社会の大きな転換点に当たっており、正祖は彼なりに時代の波をとらえた改革を進めていたが、1800年、道半ばにして没した。
 彼の政治的失敗は、父荘献世子の死にも関与した英祖の野心的な継室貞純王后に報復せず、生かしておいたことだったかもしれない。正祖よりも長生した彼女は、正祖没後、再び動き出し、正祖の息子の23代純祖を垂簾聴政によって操り、正祖の諸改革を覆してしまうのである。


§14 宗猪三郎〈義功〉(1771年‐1785年)/義功(1773年‐1813年)

 10代藩主宗義暢が1778年に死去した時、彼には三人の幼年の息子たちが残されていた。そのうち最年長の四男猪三郎がまず家督を継いだが、彼は病弱であったのか、慣例であった将軍との御目見も果たさないまま、1785年、15歳で夭折する。
 当然継嗣もなく、宗家はお家断絶危機に直面する。ここで発揮されたのが、宗氏お家芸とも言える偽装工作であった。重臣らは慎重に幕閣とも謀ったうえ、死亡したのは末男の種寿であることにし、六男の富寿が猪三郎になりすまして継承するという工作を幕府黙認の下に行なったのである。
 こうして富寿が実質上の12代藩主におさまり、元服後は義功〔よしかつ〕を名乗り、先代の故・猪三郎にも偽装のため、同名を追贈した。とはいえ、就任時12歳だった義功治世の初期は重臣による集団指導体制であり、親政を開始したのは元服後の1787年以降のことである。
 義功は同時代の朝鮮国王正祖に似て、文教政策に力を入れ、新たな藩校として講学所(思文館)を開設したほか、後には九州本土側の飛び地田代領にも東明館を開設している。そのほか、幕府に数十年先立って、武芸の訓練を施す講武所を開設するなど、文武での人材基盤の強化に努めた。
 また義功の時代には、異国船を警戒する幕府の命により遠見番所を設置したほか、朝鮮への外国船来航にも対処するため、釜山倭館にも兵士を配置するなど、防備体制の強化を強いられたため、兄の時代に15万両にまで達していた幕府からの借財を含め、藩財政を圧迫した。
 しかし、財政難は解消されず、倹約令も実効を見なかった。義功自身も病気がちで指導力に欠けたため、家臣団の派閥・権益争いなどが絶えなかった。しかし在位期間は27年と比較的長く、死の前年には次男に無事家督を譲り、隠居した。

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