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2017年9月 7日 (木)

アフリカ黒人の軌跡(連載第8回)

二 西アフリカ人の商業文明

イスラームの受容
 アフリカ黒人は、隣接するエジプト文明から多大な影響を受けたヌビア人を除けば、高度な文明圏から地理的に隔絶されていたため、独自の文化を発達させつつも、文字体系も備えた高度文明を創出することには難儀していた。その状況を変えたのは、西アジアから到来してイスラーム教であった。
 アフリカ黒人のイスラームの受容は、西アフリカから始まった。この地域と西アジア方面の間は広大なサハラ砂漠で隔てられているが、かつて緑地だったと想定されるサハラも紀元後には砂漠化が進行しており、紀元3世紀頃には乾燥に強いラクダが移入され、ラクダを使役した交易が盛んになり始めていた。気候変動に伴う砂漠化の進行が人々から生活の場を奪う一方で、砂漠をルートとする交易は活発化するという歴史的な皮肉であった。
 そうしたサハラ交易の利益を掌握するようになっていったのが、前回も見たガーナである。7世紀にイスラーム集団によって北アフリカが征服されると、隊商交易のネットワークが確立され、ガーナはその西の終点への中継で利益を得ることになる。その資源的基盤となったのは、「黄金の国」とも評された金であった。
 ガーナに関する最初の史料情報は9世紀のイスラーム学者によってもたらされているが、ガーナ自身は史料を残さなかったため、その実態の詳細は必ずしも明らかでないが、今日的な知見によると、ガーナ王国はマンデ語派の中でもソニンケ族と呼ばれる民族集団を主体とする国家で、それぞれの王を持つ都市国家の連合王国という構造を有していたと見られるが、連合王国の王は高い権威を持っていたようである。
 アフリカ旅行者からの情報を収集し、ガーナの繁栄ぶりを描写した11世紀のコルドバの学者アブ・ウバイド・アル‐バクリによると、この時代のガーナはイスラームの受容を始めた唯一の黒人国家とされ、遅くとも11世紀にはイスラーム教がガーナに浸透していたことがわかる。
 しかし皮肉なことに、イスラームの受容はガーナ王国の文明化とともに衰退をもたらした。その要因として、1076年、ガーナの交易利益の横取りを狙った北アフリカの新興イスラーム王朝ムラービト朝による攻撃を受けて事実上征服されたことがあった。
 ガーナはその後も細々と存続したようではあるが、13世紀に入ると、同じマンデ語派系マンディンカ族が建てたイスラーム系マリ王国の興隆により、同国に吸収され消滅したと考えられる。これ以降、西アフリカの覇権はマリが握ることになる。

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