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2017年9月28日 (木)

神道と政治―史的総覧(連載第3回)

一 古代国家と神道の形成

首長国家と氏族祭祀
 邪馬台国は弥生時代最末期のクニの集大成と言えるものであったが、『魏志倭人伝』の記述によれば、当時の倭では人が死ぬと、土を封じて塚を作ったとある。こうした盛り土型の墳墓が各地に盛んに築造された時代がいわゆる古墳時代であるが、この時代の神道のあり方はほとんど考古学的史料による推定しかできない。
 その点、初期の首長級墳墓から宗教儀礼的な用具が多く出土することに鑑みると、各首長は政治的な指導者であると同時に宗教指導者でもあったことが伺える。古墳時代後期にあっても、例えば群馬県高崎市の豪族居館遺跡・三ツ寺遺跡では祭祀施設の跡が検出されており、地域首長にとって祭祀が不可欠の役割であったことを示している。
 さらに、日本独特の墳墓形式とされる前方後円墳の構造は、主丘である円墳の前部に祭祀を行なう方形部を接続したものと見られ、前部で葬祭や祖先崇拝の宗教儀式が行なわれていたものと考えられる。言わば祭祀施設付き墳墓であり、祭祀の重要性がここからも伺える。
 ちなみに、近時は邪馬台国の所在地を畿内とみなしたうえ、初期の前方後円墳である奈良県桜井市の箸墓古墳を卑弥呼陵に比定するような向きも見られる。そうだとすれば、邪馬台国の祭祀がその後のヤマト王権祭祀の基礎となった可能性も出てくるであろう。
 ただ、邪馬台国では女王とその男弟が聖俗機能を分有する聖俗二元制が採られていた可能性を前回指摘したが、古墳時代における無数とも言える地域首長国ではこうした聖俗二元制を明確に示す証拠は見出せない。むしろ、首長(男性)は最高司祭を兼ねていた可能性が高く、邪馬台国の構造とは相違が見られる。また、ヤマト王権から発展した後の天皇制も聖俗一元制であった。
 そうしたことからすると、古墳時代を特徴付ける地域首長制国家の祭祀は、相互に類似性や影響性はあったとしても、それぞれの地域的な独自性を持った祭祀体系を備えていたと考えられる。そして、こうした地域首長が後にヤマト王権に服する有力氏族集団に発展したことから、草創期の神道は各氏族祭祀としての性格を帯びていたとも考えられるのである。

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