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2017年6月 2日 (金)

私家版琉球国王列伝(連載第13回)

十四 尚灝王(1787年‐1834年)

 先代の尚成王が幼年のまま没すると、叔父の尚灝〔しょうこう〕が後を継ぐこととなったが、以後の琉球王統は彼の子孫で確定している。1804年の即位時は10代であったが、その後30年にわたり在位し、尚穆王以来の長期治世となった。
 彼の治世中の琉球は、日本と同様、西洋列強の来航という新状況に直面した。初発は1816年に来航したバジル・ホール率いる英国軍艦であった。その目的は極東探査にあった。続いて、21年にはオランダ商船、27年には英国商船が来航し、開港を要求するも、薩摩藩に従属する琉球独自の開港は不可であった。
 尚灝王は長い治世のわりに目立った事績は記録されておらず、晩年には精神疾患を患い、執務不能となり、28年には15歳の世子尚育が摂政として立った。列強の開港要求がより強硬になるのは、尚灝王が没して尚育が正式に王位に就いた後のことである。


六´ 島津重豪〈続〉

 琉球の尚灝王代は、長生した薩摩藩主島津重豪の晩年期にほぼ相応する。前回は触れなかった重豪治世第三期である。この時期の重豪はすでに家督を長男斉宣〔なりのぶ〕に譲って表向き隠居しつつ、後見人として実権を保持する院政を敷いていた。
 そうした中で勃発したのが、文化五年(1808年)から翌年にかけてのお家騒動・近思録崩れである。斉宣が朱子学教本『近思録』を奉じる家老らを起用して緊縮財政を主導しようとしたことに反発した重豪が家内クーデターを起こして斉宣を隠居に追い込み、孫の斉興に立て替えたたうえ、近思録派を粛清したのであった。
 これは従来、積極的な文教政策や蘭学への傾倒から驕奢に走り、財政破綻の危機を引き起こしていた重豪と、これに反発する一部家臣団の対立を背景とする政変であったが、重豪に反省の色はなかった。ただ、最晩年に自ら見出し、抜擢した下級藩士出身の調所広郷が、やがて次の斉興の時代に財政改革を主導することになる。
 当時としては異例の89歳まで長生した重豪は「蘭癖大名」の典型とされるが、オランダ商館を通じて交流のあったシーボルトによれば、開明的かつ聡明だったとされる。彼が、幕末の倒幕運動拠点となる薩摩藩の精神的な土台を築いたこともたしかであった。

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