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2017年4月 5日 (水)

笑顔全体主義

 日本人はなぜ無理に笑顔を作りたがり、かつ他人の笑顔を見たがるのだろうか。これは、私にとって長年にわたる謎である。
 一つの仮説は、日本は世界一幸せな国だという「地上の楽園」プロパガンダを信じることが国民の義務だからというもの。私もこの説に傾いていたが、最近疑問に思えてきた。「地上の楽園」プロパガンダならもっと有名な国が存在するが、その国と日本には相当な相違点もあるように思える。
 とすると、第二の仮説として、実は幸せになれないような要素がたくさんあるからこそ、逆説的に笑顔を作り、見たがるというもの。この仮説は実際逆説的だが、最近の惨事や不幸な出来事を見ると、こちらのほうがあり得そうである。
 どちらにせよ、あるいは第三の仮説があるにせよ、笑顔を作ることは国民の義務であり、「笑顔がない」というのはそれだけで不審者・犯罪者扱いされかねない雰囲気が充満しているのが日本である。笑顔全体主義。一方で、可笑しくもないのに浮かべる日本人の笑みは国際的には謎とされ、時として不気味に思われている。
 とはいえ、この話がなぜ教育雑言として語られるかと言えば、自身の体験と関連するからである。子ども時代の私は作り笑いが大の苦手、従って「笑顔がない」ことを親からさえよく責められ、一度などはある笑顔狂の教師から授業中に名指しで吊るし上げられたこともあった。こういう衆人監視下での屈辱の恨みは骨髄に徹するので、一生忘れることはないだろう。
 だが、今日も全国の学校では「笑顔、笑顔!」と教師たちが笑顔教育にいそしみ、テレビをつければ、作り笑いのプロたちの空虚な笑顔が並んでいるだろう。

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