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2017年1月11日 (水)

オセアニア―世界の縮図(連載第11回)

第一部 誕生~歴史

(10)継起する独立運動
 
分割されたアフリカ大陸に遅れて1970年代から80年代にかけて独立の潮流が生じたオセアニアであったが、潮流に乗れなかったいくつかの島嶼地域でも独立運動は継起した。とりわけ、フランス領である仏領ポリネシアとニューカレドニアである。
 仏領ポリネシアの中心島であるタヒチの独立運動は第二次世界大戦直後、ポウヴァナア・オオパによって開始された。彼はデンマーク人の父とポリネシア人の母を持つ混血であったが、ナショナリストとしてタヒチ人民民主大会議を設立してフランスの植民地支配に抵抗した。
 しかし、58年にフランス主導で行なわれた独立是非を問う住民投票で敗れた後、仏当局によって起訴、投獄され、独立運動も解散に追い込まれた。こうしてタヒチ独立運度は力で抑え込まれ、60年代以降、仏領ポリネシアはフランスの核実験場として利用されることになる。
 しかし90年代前半、タヒチ民衆の怒りは反核実験運動の形で噴出し、95年には大規模な抗議デモが一部暴動化する事態となった。結果、フランスの核実験は96年を最後に事実上中止されている。
 後発ながらより激しい独立運動が巻き起こったのは、ニューカレドニアであった。ここでは、60年代にメラネシア系少数先住民族カナクによる社会主義的な独立運動政党が結成されていたが、80年代になると、ジャン‐マリー・チバウを中心に、より急進的なカナク社会主義民族解放戦線が結成され、独立国家の樹立宣言に至ったため、非常事態宣言が布告される騒乱状態となった。
 結果、87年に住民投票が行なわれ、翌年には自治権拡大で合意したが、これに反対する過激派による人質立てこもり事件が発生、フランスは軍特殊部隊を投入して武断解決した。翌89年には合意に賛成したチバウも強硬派の手で暗殺された。それからおよそ10年を経た98年にニューカレドニア自治の拡大が合意され、独自の旗や市民権、さらに大幅な内政自治権が付与されるに至った。
 他方、前回も言及したように、インドネシアの支配下に置かれたニューギニア島西部の西パプアでは、60年代に結成された自由パプア運動が71年に西パプア共和国の樹立を一方的に宣言したが、国際的には承認されず、インドネシア軍による掃討作戦とインドネシアからの大量植民政策が展開された。
 運動は80年代以降、テロ活動に転じた。そうした中、2000年に住民大会が再びパプアの独立を宣言するも、インドネシア当局は対抗的に西パプアを東西二つの州に分割し、住民の分断を図った。
 なお、アメリカの州として定着したかに見えるハワイでも、90年代以降、先住ハワイアンによる民族回復運動が隆起したが、すでに少数派に転じて久しい先住民主体の独立は事実上困難で、ここでは先住民に自治的な政策決定権を付与する09年の先住ハワイアン政府再編成法に結実した。

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