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2017年1月 2日 (月)

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第1回)

 李朝(朝鮮王朝)は、14世紀末から20世紀初頭に至るまで、日本では室町・江戸時代から明治時代末に至る極めて長い時期に並立した隣国王朝である。同時代にこれほど長きにわたって存続した王朝といえば、西アジアのオスマン朝くらいしか見当たらないほど異例の長期王朝体制であった。
 その間、宮廷では国家教義であった儒学(朱子学)の流派と絡む党争とそれとも連動した王位継承抗争が頻発し、政情不安が常態化していたが、それにもかかわらず王朝自体は滅亡することなく、500年以上も持続したのであった。
 日本では室町・戦国の軍閥封建制から江戸の準集権的な幕藩体制を経由して近代的中央集権制に変貌していく中、李朝では近代化に向けておずおずと舵を切り始めた終末期を除けば、体制枠内での制度変更などはあっても、両班制を基盤とした封建的官僚制という基本枠組みは一貫して不変であった。大日本帝国が朝鮮支配を強めていく過程で「朝鮮社会停滞論」を名分としたことにも一定の理由があった。
 とはいえ、これほど長きにわたって体制が持続したのは、それだけ李朝には揺るぎない基盤が築かれていたことを意味する。それがいったい何であったのかを探ることは、逆に同時代の日本の歴史の特色を対照的に浮き彫りにすることにもなるだろう。
 他方で、李朝時代は帝国主義化した近代日本による植民地支配を経由して現代の南北朝鮮に接続する時代でもあるので、とかく相互理解に困難を生じがちな現代南北朝鮮と日本を対照理解するうえで、李朝時代の再考は決して無益ではないはずである。
 本連載は、日本に隣接しつつ、日本とは相当に異なる歴史を演出した李朝の歴史を通覧する試みである。その際、歴代国王の紀伝というあえて古典的な手法による。これは、すでに日本の江戸時代及び室町時代に関して試みているのと同様である。ここでは、それら先行連載とも対照させながら、比較史的な叙述を試みてみたいと思う。
 なお、本連載では、王位に就いていないため正史上は国王に数えられないが、太祖・李成桂の父で、桓祖の廟号を追贈され、王朝始祖の位置にある李子春と王朝晩期に国王高宗の若年期、摂政として最高実力者となった王父の興宣大院君・李昰応の二人も独立して取り上げることとする。

 ところで、李朝との関わりで無視できないのは、朝鮮との「国境」の島・対馬の島主として長く続いた封建領主宗氏の存在である。在庁官人として鎌倉時代に対馬に入った宗氏はやがて朝鮮王朝の被官となり、朝鮮との貿易特権を与えられ、中世を通じて対馬の島主としての支配権を確立した。
 こうした朝鮮半島との窓口としての宗氏の役割は近世にも引き継がれ、徳川幕藩体制下では対馬府中藩を安堵され、鎖国体制下でも外交関係を持った数少ない国である朝鮮との外交通商窓口として幕末まで機能し続けた。また不幸な結果に終わったものの、明治維新後の宗氏は大日本帝国による朝鮮併合という新状況下で日本皇族に準じた地位を与えられた旧王室李氏と一時的に姻族関係を持つことにもなった。
 当連載の初版では李朝歴代国王にだけ焦点を当てて記述していたが、新版では朝鮮王朝と日本の幕府体制の双方に統属して朝鮮半島との窓口機能を担った独異な封建領主である宗氏歴代の列伝を付加する。ただし、歴代すべてを扱うのではなく、時の李朝国王と同時代に対応する宗氏当主を列記する形を原則とする。

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