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2016年12月28日 (水)

オセアニア―世界の縮図(連載第10回)

第一部 誕生~歴史

(9)独立の潮流
 
オセアニアは小さな島嶼地域が多いことから、先行して独立していた白人主導のオーストラリアとニュージーランドを別とすれば、第二次世界大戦後における旧植民地の独立潮流にも乗り遅れがちであったが、1970年から80年代にかけて、ようやく独立の潮流が生じてきた。
 もっとも、第一次大戦後ニュージーランド領領となっていた西サモアは、流血事態も含む長年の独立運動の末、1962年、オセアニアの島嶼国家として初の独立を果たした。60年代、これに続いたのは英国から独立したナウルであった。
 この二か国の独立が契機となり、70年代以降、80年のバヌアツまで独立の潮流が隆起したのである。ちなみに、英国の保護国とされながらも実質的な独立王国としての状態を唯一保持してきたトンガも、70年に完全な独立を回復している。
 しかし、他方で新たな植民地主義にさらされたのがニューギニアである。先述したように、英蘭分断統治を経験した同島では、英国からオーストラリアに譲渡された東部が75年にパプアニューギニアとして独立したが、旧蘭領の西部は自治権付与に動くオランダに対し、オランダから独立したインドネシアが領有権を主張し、係争化していた。
 61年にはオランダが独立を認めたことに対抗してインドネシアが西パプアに軍を侵攻させ、占領した。これに対し、冷戦時代のインドネシアを地政学上「反共の砦」として重視した米国が「調停」という形で事実上インドネシアの西パプア権益を黙認した。
 そうした中、インドネシアは69年、国軍管理下で住民投票を操作して西パプアを西イリアン州(現パプア州及び西パプア州)として併合し、今日まで未解決のパプア紛争が継続している。この紛争は、インドネシアのような列強植民地主義を脱した第三世界の新興独立国が植民地主義を模倣するかのような膨張主義的戦略を志向するという歴史の皮肉を示す事例と言える。
 そうした中、完全な独立よりも旧宗主国との自由連合という形態を採った緩やかな「独立」を選択する国も増加した。これは完全な独立を回避しつつ、内政自治や独自の外交権限も保持するという形で、半独立状態を確保しようとするもので、小島嶼国家が自立する上での困難を多々抱えていることに鑑みての現実的な妥協策と言えよう。
 その先駆けは、70年代にニュージーランドとの自由連合国となったクック諸島及びニウエであるが、いずれも国連に加盟することなく、住民はニュージーランド公民権も保持するため、真の意味での独立国とは言い難い。
 一方、80年代以降、米国との自由連合国となったのは、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦、90年代のパラオである。この場合、防衛は米国が担い、外交権も一部米国が保持するが、独自に国連に加盟しており、独立国に準じて扱われている。

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