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2016年12月12日 (月)

オセアニア―世界の縮図(連載第9回)

第一部 誕生~歴史

(8)近代戦場から核実験場へ
 
近代オセアニアは、英国保護国とされながらも実質的な独立を維持したトンガ王国と、南米チリ領へと売却されていったイースター島を除けば、欧米列強―後には日本―の領土として分割された。それは、アフリカ分割と等しいものであった。
 ただし、英国植民地のうち、ヨーロッパ白人が主体となって形成されたオーストラリア及びニュージーランドについては、それぞれ1901年と1907年に内政自治権を持つ自治領として半独立した(完全な独立は、ともに1940年代まで持ち越される)。
 欧米によるオセアニア分割でも、アフリカ分割同様の不自然な分割線による伝統社会の分断現象を経験している。そのうち現代まで典型的な分断が生じている事例として、ニューギニアがある。
 ニューギニアでは東西が分断され、西はオランダ、東は英独分割統治を経て豪領に渡った。このうち西はオランダから独立したインドネシアにより強制的に併合されたが、東はパプアニューギニアとして独立したため、東西分断状況が固定化している。
 米独で分断統治されたサモアも、独領を継承したニュージーランド領から独立した西サモアと、なお米領にとどまる東サモアの分断も類似の例である。
 一方、バヌアツでは英仏共同統治という変則支配により、英語使用住民と仏語使用住民の言語分断が生じ、現代に至っても言語別政党の拮抗関係が続いている。
 アフリカ分割競争に乗り遅れ、南太平洋に侵出していたドイツが獲得した南洋諸島領土は、第一次世界大戦での敗戦後、委任統治領の形で日、豪、ニュージーランドの分割統治下に移行された。
 その結果、南洋諸島は太平洋戦争における日米戦争の主戦場となる。まさに「太平洋戦争」の名称由来である。ここでは住民を巻き込んだいくつもの有名な戦闘が展開されたが、中でも決死のゲリラ戦を展開した日本軍1万人余りが壊滅したパラオのペリリュー島の戦いは象徴的であった。
 太平洋戦争を含む第二次大戦は1945年に終結したが、オセアニアの「戦後」は先延ばしにされた。小さな島嶼地域の独立は容易でなかったうえ、間もなく始まった冷戦時代には核大国の核実験場とされたからである。
 とりわけアメリカはマーシャル諸島に太平洋核実験場を設定し、50年代にたびたび大気圏内核実験を実施、日本の第五福竜丸被曝事故を惹起した1954年のビキニ環礁での水爆実験(キャッスル作戦)は住民を意図的に被爆させた「核人体実験」の疑いすら持たれている。
 いずれにせよ、アメリカによる多数回に及ぶ核実験は、マーシャル諸島周辺域の放射能汚染と住民の強制移住・帰還不能を今日まで持続させている。
 イギリスも50年代を通じて、完全独立後のオーストラリア領内を借りての核実験をたびたび実施したほか、フランスは60年代から最終は96年に至るまで仏領ポリネシアで核実験を続けていたのである。

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