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2016年11月16日 (水)

仏教と政治―史的総覧(連載第23回)

八 チベット神権政治

吐蕃王朝と仏教
 今日大乗仏教系で中国経由の北伝仏教と二大系統を成すチベット仏教の始まりは7世紀の吐蕃王朝の成立を契機とする。初代国王ソンツェン・ガンポは当時の地政学上、南で接するネパール(リッチャヴィ朝)と東で接する唐の双方から王妃を娶ることで、新興王国の保証とした。
 この東西から嫁いだ二人の王妃がチベットに仏教を持ち込んだと言われる。それ以前のチベットにはアニミズムの一種であるボン教と呼ばれる伝統宗教があったが、チベット仏教は在来のボン教とも競合・混淆しながら発展していくことになる。
 実際のところ、チベットで仏教が正式に国教化されたのは、ソンツェン・ガンポの時代から100年以上経過した8世紀後半のティソン・デツェン王代のことである。10代で即位した彼の治世初期には仏教に反発するボン教徒による廃仏が発生したが、成長した王は改めて仏教を国教と定め、王国の精神的基盤とした。
 当時のチベット仏教はインド系仏教と敦煌占領に際して招聘された禅宗僧侶摩訶衍の影響から中国系禅宗の二大派閥に分裂していたが、ティソン・デツェン自身はインドのナーランダ僧院の高僧シャーンタラクシタをチベットに招聘して教えを受けていたことから、最終的にインド系仏教を正統仏教として承認した。
 これに先立って、シャーンタラクシタはチベット初の仏教教団を設け、彼も建立を主導したチベット初の僧院・サムイェー寺を拠点に、チベット大蔵経に結実する本格的な訳経事業も開始していた。ちなみに、サムイェー寺の建立には密教を伝えたインド人僧侶パドマサンバヴァも関わっている。
 チベット大蔵経の原典が完成した頃の王は、ソンツェン・ガンポ、ティソン・デツェンと並びチベット三大護教王とも称されるティツク・デツェンであったが、彼は宰相により暗殺され、王位は弟のラン・ダルマに遷った。
 吐蕃王朝最後の王となるラン・ダルマは兄王とは対照的に廃仏政策に転じた暴君として描かれることが多いが、その真偽は疑問視されている。いずれにせよ、彼もまた宰相により暗殺され、吐蕃王朝はここに滅亡するのである。
 以後、チベットは再び分裂の時代に戻り、仏教も衰微するが、そうした中、吐蕃王朝王族によって西部に建国された地方王朝グゲ王国が仏教再興の地となる。11世紀にはインドのヴィクラマシーラ僧院長も務めた高僧アティーシャを招聘し、布教に当たらせた。
 アティーシャはすでに高齢だったにもかかわらず、その精力的な活動により、チベット仏教中興の祖となり、ダライ・ラマも属する現代チベット仏教主流派であるゲルク派の確立につながる流れを築いたのである。

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