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2016年10月 8日 (土)

オセアニア―世界の縮図(連載第5回)

第一部 誕生~歴史

(4)イースター島独自文化の盛衰
 
ポリネシア最東端に位置するイースター島に住民が定住したのはさほど古いことではなく、最も遅くて西暦1200年代と推定されている。この島は現在は南米チリ領に属するほど遠方の孤島であったため、住民の到来・定住はポリネシアでも最も遅かったのである。
 しかし、ひとたび定住すれば、周囲に大陸も大島も存在しない絶海のロケーションは外部からの侵略を受けず、安定した定常的社会を築くのに適していた。
 トンガ交易帝国の威令もイースター島には及ばなかった。一方で、トンガのように周辺島嶼に交易圏を拡張して、朝貢貿易ネットワークを築くという帝国化の道をたどることは必要でも可能でもなかった。
 そうした孤立した環境下で、イースター島社会は独自の文化を形成していった。イースター島を最も有名にしたのは、巨大な石造彫刻モアイである。これはポリネシアでも他には見られず、むしろ南米の先住民文化との関連性を指摘する見解も存在するほど独異なものである。
 その建造目的についてもいまだ定説はないが、近年は氏族墓碑説が有力化している。イースター島は閉鎖的な均質的部族社会として始まったが、次第に氏族が分化し、相互に拮抗するようになり、モアイ造りもそうした氏族分化の象徴と見ることは可能である。
 イースター島が注目されるもう一つの理由は、環境破壊による社会崩壊である。イースター島はかつて豊かな亜熱帯雨林の島だったと推定されているが、現在では見る影もない。その要因として乱伐が考えられている。
 絶海の平和的な理想状態で人口爆発が生じ、耕作地開拓のための森林伐採が進行したことが背景にあると言われるが、モアイの建造及び運搬に必需とされた木材の伐採も森林破壊を促進したようである。
 おそらくはその要因から、伝統的なモアイ造りも中止を余儀なくされ、18世紀以降は完全に終息、むしろモアイは倒されるようにさえなる。このモアイ倒壊の理由も諸説あるが、森林破壊から土壌流失が進んだことによる食糧不足と狭隘な耕作地をめぐる氏族間での抗争が想定されている。
 それによる自滅的な社会崩壊は、西洋列強による征服を容易にしたであろう。また、現代のオセアニア地域が直面する海面上昇問題とは性質が異なるものの、人口爆発に起因する環境破壊による亡国という地球的問題にも一定の参照軸を提供するものである。

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