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2016年10月20日 (木)

仏教と政治―史的総覧(連載第21回)

七 日本仏教と政治

武家仏教と民衆仏教
 平安時代末期の平安ではなくなった時代、平安貴族らはこぞって浄土教に走り、来世での冥福を願ったが、現世での幸福はかなわず、かれらが権力保持のために依存するようになった武士層の増長を抑えることはできなかった。
 最初の武家政権を樹立した平氏は、興福寺を筆頭とする既成仏教勢力の抑圧に努め、特に東大寺・興福寺の弾圧を狙った南都焼き討ちは、後に戦国時代の織田氏の政策の先取りに近い寺社勢力への強硬策であった。
 平氏を打倒した源氏が本格的な武家政権を樹立すると、仏教と政治の関係も大きく変化する。従来の朝廷主導の鎮護国家思想は後退し、武家のニーズに合ったより実践的・現世的な仏教宗派が登場してくる。
 いわゆる鎌倉仏教はこうした新たな武家社会の実態に合った仏教の新潮流であり、とりわけ新たに中国からもたらされた禅宗系の臨済宗と曹洞宗が武家の信仰を集める二大宗派として台頭する。中でも臨済宗は事実上幕府の国教的地位を獲得し、南禅寺を頂点とする五山の制度が次第に整備されていく。
 もっとも、いわゆる鎌倉新仏教に属する六大宗派(浄土宗・浄土真宗・時宗・日蓮宗・臨済宗・曹洞宗)はいずれも天台宗に入門した僧侶が日本における開祖となっており、平安仏教の天台宗の教学的影響力は次代にも及んでいる。天台宗に代表される旧仏教と新仏教の対立関係は、室町時代に入って表面化し、政治問題化していく。
 一方、仏教は平安時代末期から、先の見えない不安感・閉塞感の中で民衆の間にも末法思想のような悲観的な形で浸透していたが、鎌倉時代になると、明確に民衆の側に立ち、民衆の教化を目指す民衆仏教も現れる。特に、六大宗派中の浄土真宗である。
 浄土真宗は、開祖の親鸞自身は政治的に穏健ながら、封建社会化の中で地頭に搾取される農民の救済に重点を置いた関係で、後世、真宗系本願寺教団は政治性の強い急進的宗派に成長し、いわゆる一向一揆のような革命的行動を各地で起こし、領主勢力との階級闘争を繰り広げることとなった。
 日蓮は他宗派とは様相を異にし、むしろ旧来の鎮護国家思想に基づき、法華経の信奉を主張する『立正安国論』を著し、あるべき政教関係を説いたが、時の北条氏政権からは敵視され、弾圧を受けた。以後、日蓮宗(法華宗)は反体制的性格を強めていく。
 こうして、鎌倉時代に発するいわゆる新仏教は、封建社会化の中で、様々な階級に広まっていった。しかし、その分、仏教諸宗派は諸階級の利益と結びつきつつ、応仁の乱以後、戦国時代へ向かう中で宗派間抗争も激化するようになる。

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