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2016年9月28日 (水)

オセアニア―世界の縮図(連載第4回)

第一部 誕生~歴史

(3)トンガ交易帝国の盛衰
 
オセアニアのオーストラロイド系集団が形成した海洋交易圏は当初は複数並存していたと見られるが、やがてより包括的な大帝国が現れる。トンガ大首長国の名で呼ばれるトンガ交易圏である。
 トンガはラピタ文化の中心地の一つであり、交易圏ネットワークにおいても重要な役割を果たしていたと見られるが、当初はサモア及びフィジーの大首長国の支配下に置かれた属国だったと考えられている。
 それが10世紀末頃に独立を果たした契機は、サモアとフィジーの大首長国の勢力が後退したことにあったようである。おそらく拮抗する両勢力の潰し合いにより、緩衝的に中間に位置するトンガの独立性が確保されたのかもしれない。
 とはいえ、歴代トンガ支配層はいずれもサモア系の色濃く、サモア的な制度・慣習が現在に至るまで、トンガに定着している所以とされる。トゥイ・トンガの称号を持つ大首長の初代もサモア系だったとされることからも、サモアの影響がいかに強かったかがわかる。
 大首長トゥイ・トンガは聖権と俗権とを兼ね備えた超越的存在となり、トンガ大首長国は神権制の性格を強く持った。このトゥイ・トンガ朝の全盛期は、13世紀から15世紀後半にかけての長い時代にわたった。この時期、王朝の勢力圏はポリネシアからミクロネシアにまたがる最大域まで拡張されたと見られ、直接の支配下にない島嶼にも貢納を強制する朝貢貿易帝国が築かれていく。
 トンガがこのように長期間帝国を維持できたのは、一つにはポリネシア中央部に位置し、ポリネシアはもちろん、ミクロネシアやメラネシア方面にも睨みを利かせやすい位置関係、第二に軍艦と呼んで差し支えないほどの大型カヌーを駆使した航海術のおかげであった。もう一つは、西洋が大航海時代を迎える前という時代的な助力である。
 しかし、膨張し過ぎた帝国には必ず終わりが来る。トンガの場合は、内紛・内戦による王朝交代が契機であった。15世紀後半、専制化したトゥイ・トンガ朝が事実上打倒され、宗教的権威に限局された大首長の下で俗権を掌握するトゥイ・ハアタカラウ朝が形成されると、以後、集権化が進められる一方、対外的な支配力は弱化し、帝国は単なる王国へと縮退していくのである。
 17世紀初頭にはトゥイ・ハアタカラウ朝からさらにトゥイ・カノクポル朝が分岐する。両王朝は並存してトンガを分割支配したが、次第にトゥイ・カノクポル優位となり、今日のトンガ王室につながる。

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