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2016年9月15日 (木)

オセアニア―世界の縮図(連載第3回)

第一部 誕生~歴史

(2)閉鎖文化圏と交易文化圏
 
先史オセアニアへの二つの移住波を形成した集団のその後の状況は、大きく分かれていく。第一波を成したオーストラロイド系集団は、前回見たように、ニューギニアとオーストラリアの大陸的な大島に定住し、多数の部族集団に分岐していく。
 ニューギニアの場合は主に山岳民族、オーストラリアの場合は平原民族という相違はあるものの、かれらは外部からはほぼ遮断された生活圏を獲得し得た結果、近代に現れた西欧人によって「発見」されるまで、極めて長きにわたり原初の生活様式を維持することができた。
 もっとも、平原民族であるオーストラリア先住民の場合は外部との接触がある程度存在した証拠も見られるが、深い密林に覆われた山岳がそびえるニューギニア島内陸部ではその地形から閉鎖型社会が形成され、今日でもニューギニアを構成する東部のパプアニューギニア独立国と西部のインドネシア領地域には文明未接触部族が相当数残存していると推定されている。

 一方、第二のモンゴロイド系集団はオセアニアの広い範囲の島嶼に定着し、その優れた航海技術をさらに発達させ、海洋交易圏を形成するようになったと見られる。
 かれらは文字を残さなかったため、今日その実態を確実に証明するような同時代的文字史料は存在しないが、最初期の交易圏の中心はサモアとフィジーにあったと見られる。それぞれトゥイと呼ばれる大首長が支配する一種の部族国家が形成されており、とりわけサモア大首長国は後に大交易帝国を形成するトンガを含むポリネシアの広大な領域を勢力圏に収めていたようである。
 他方、ミクロネシアでもやや遅れて、今日のミクロネシア連邦の首都があるポンペイ島にシャーウテール王朝と呼ばれる比較的整備された王朝が形成された。また石貨で知られるヤップ島にも強大な首長国が形成され、カロリン諸島全域を一種の朝貢貿易圏に収めていたと考えられる。

 なお、これら閉鎖文化圏と交易文化圏の間での相互交渉は基本的に存在しなかったと見られるが、オーストラリア先住民に関しては、一部にポリネシア人との混血も認められるなど、正確な時期や程度は不明ながら、ポリネシア系集団との部分的な接触がなされた可能性はある。

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