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2016年8月31日 (水)

仏教と政治―史的総覧(連載第17回)

六 中国周辺国家と仏教

ベトナム諸王朝と仏教
 中国で独自の発展を遂げた仏教―中国仏教―は、中国を新たな起点として周辺国へ伝播していくが、その最初の地は南部で接するベトナム(ただし、カンボジアとの結びつきが強い中・南部は除く)であった。
 もっとも、ベトナムへの仏教伝来に関しては、インド方面から直接に伝来したという説と、中国経由で伝来したという説の二つがあるが、ベトナムの地政学的位置からして、両説は必ずしも矛盾するものではない。
 2世紀末のベトナムでは、中国諸王朝がベトナム支配の拠点とした交趾の都ルイラウはベトナムにおける仏教中心地として栄えていた。この地は海のシルクロードの中継地であると同時に、インドから中国へ渡る僧の中継地点ともなっていた。
 ただし、結果から見ると、中国王朝に長く従属したベトナムの仏教には禅宗や浄土教など中国仏教の特徴が濃厚に認められることから、少なくとも最も有力な伝来ルートは中国経由と見てよいであろう。
 ベトナムは、中断をはさんで紀元前111年から紀元後939年までという長期にわたり中国諸王朝に従属したが、このいわゆる北属期に、仏教のみならず、儒教、道教など中国的宗教がベトナムにも流入し、土着宗教とも混淆しながら、ベトナム仏教が醸成されていったと考えられる。
 そして独立後の10世紀後半以降、丁朝と前黎朝の時代に仏教が王朝により公認され、国作りの支柱となったことで、仏教の地位が飛躍的に向上し、大衆にも浸透していった。さらに、11世紀から13世紀にかけての長期に及んだ李朝の下、仏教は国教としてその全盛期を迎える。
 李朝は前黎朝の将軍だった李公蘊が創始したが、父親知らずの彼は寺院で仏教僧に養育されたため、個人的にも篤い仏教徒であったことが王朝の仏教傾倒を特徴付けることとなった。李朝では仏教僧が封建領主となり、寺院は富者からの布施によって大いに潤った。
 こうした仏教国教策は李朝を継いだ陳朝にも継承されたものの、この頃から儒教の台頭が起き、儒教官僚の中からは仏教批判者も現れた。儒教の隆盛は、明朝による占領支配を経て15世紀から18世紀末まで続く後黎朝の時代に決定的となり、以後、仏教は閉塞期を迎える。
 ベトナム全土を初めて統一した最後の王朝阮朝は、フランスとカトリックの攻勢への対抗上、仏教にもある程度の保護を与えたが、基本的には中国的儒教国家であり、仏教の大々的な復興は成らなかった。

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