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2016年8月28日 (日)

仏教と政治―史的総覧(連載第16回)

五 中国王朝と仏教

仏教の完成と衰退
 道教を国教としたため、仏教の地位が後退した唐の時代ではあったが、末期を除いて仏教が弾圧されることはなく、唐の時代は中国仏教の完成期と言ってよい時代であった。ただし、南北朝時代に芽生えた末法思想の系譜を引く三階教だけは体制を脅かす危険宗派として弾圧された。
 皇后から出て、クーデターにより唐朝を一時中断し、独自の周(武周)を建てて中国史上唯一の女帝となった武則天は個人的にも熱心な仏教徒であり、女帝に寵愛された僧侶の薛懐義は側近として権勢を誇った。武則天は隋の文帝にならい、全国に大雲経寺を建立させるなど、「道先仏後」を「仏先道後」に改める一種の仏教治国策を展開した。
 唐朝が復活した後、仏教は実力を持ち始めた宦官勢力や晩期に割拠するようになった地方の節度使らによって信奉されることになるが、18代皇帝武宗は熱烈な道教信者であったため、大規模な仏教弾圧に出た。史上三度目となる久方ぶりの廃仏であり、4か月ほどの間に寺院の閉鎖や僧侶の強制還俗などが大々的に断行され、中国仏教は一挙に冬の時代を迎えた。
 この会昌の廃仏は、唐の国際性を反映して当時隆盛化していたマニ教・ゾロアスター教・キリスト教(ネストリウス派)のいわゆる唐代三夷教の排斥と同時に断行された宗教統制策であり、本来の国教である道教への統一を狙った体制引き締め策であった。
 しかし、この時代の唐朝体制はすでに衰亡の色濃く、唐は間もなく滅亡、中国大陸は五代十国の分裂状態に陥るが、五代後周の世宗が第四回目の廃仏を断行し、中国仏教の衰退はさらに進んだ。
 五代十国の分裂を止揚した宋の時代は、仏教が効果的な国家統制下に置かれた時代であった。元来、中国仏教は北朝の時代以来、国家統制下に置かれてきたが、宋では国家公認得度制度としての度牒が売買され、国家の財源とされるなど、財政的観点からの統制が公然と行なわれていた。
 宋が金に追われて南遷した南宋の時代になると、特に4代寧宗の時代に主要な禅宗寺院を国家が公認・管理する五山十刹制度を確立した。このように禅宗は国家の庇護を獲得したこともあり、宋代には禅宗が全盛期を迎える。
 しかし南宋はやがて北方から勢力を拡大してきたモンゴルによって打倒され、モンゴル王朝である元に取って代わる。元は後に述べる歴史的な経緯からチベット仏教を国教としており、元の時代にはチベット仏教が隆盛化する。
 他方、浄土教からは、南宋時代に創始された新興宗教結社・白蓮教が元末以降反体制結社として勢力を強め、元朝駆逐・明朝樹立の原動力となる。明建国者の朱元璋(洪武帝)自身も托鉢僧出身で、白蓮教徒でもあったにもかかわらず、彼は即位後、白蓮教を離れ、これを弾圧するなど、明朝時代は廃仏策とはいかないまでも、仏教は振るわず、儒教が再び前面に出てきていた。
 明を打倒した清はモンゴルの影響が強く、皇帝はじめ満州族支配層はチベット仏教徒であったため、禅宗と浄土教に代表されるような中国大陸仏教は衰退・閉塞した状態で、近代を迎えることになるのである。

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