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2016年7月14日 (木)

仏教と政治―史的総覧(連載第12回)

四 中央アジア諸王朝と仏教

クシャーナ朝と大乗仏教
 インド‐グリーク朝が衰退・分裂した後に、その地で台頭してきたのは、イラン系遊牧諸民族であった。初めはパルティアであり、紀元後間もなく、当地に残るギリシャ人勢力残党を駆逐したのは、かれらであった。
 そのパルティアがローマ帝国との抗争や元来分裂気味の遊牧王朝の特質から衰退し始めると、西方から移住したきた遊牧勢力大月氏の一派とも言われるクシャーナが勢力を増す。大月氏は当初、五部族による連合体であったが、その中からクシャン族のクジュラ・カドフィセスが有力化し、統一王朝を樹立する。
 ここにクシャーナ朝が成立を見るが、クシャーナ朝全盛期を演出したのは、4代国王と目されるカニシカ1世(以下、単にカニシカという)である。カニシカは北西インドのプルシャプラ(現ペシャワル)を首府としつつ、インド東部にまで及ぶ広大な王国を築いた。
 こうした征服者としての顔とともにカニシカを有名にしたのは、仏教の保護者としての顔である。北伝仏教系の記録上は、カニシカが大乗仏教の帰依者であったとされるが、確証はなく、彼の発行貨幣の図像からは、他宗派にも寛容だった形跡がみてとれる。
 ただ、南のスリランカが一大拠点となっていた上座部仏教と対立する意味での大乗仏教の発祥地がクシャーナ王国領内の文化的な中心地ガンダーラにあったことは、ほぼ間違いない。ガンダーラ美術として知られる融合文明的な仏教美術はその産物である。
 とりわけ、仏教の偶像崇拝的な特質の象徴でもある仏像は元来ギリシャ人仏教徒が創始し、パルティア支配の時代を通過して、クシャーナ朝の時代に全盛期を迎え、ガンダーラ美術の代表作となる数々の仏像を生み出した。ガンダーラ仏像は当然にも、その製作者たちの形質的な特徴を反映して、コーカソイド的な風貌に彫刻されている。
 論争はあるも大衆部に由来するとされる大乗仏教は、ガンダーラのような文明の交差点にあって、ギリシャ文明やインド文明、イラン文明など種々の文明要素が融合されて仏教がいささか型崩れし、言わば通俗化される中で形成されたのかもしれない。
 いずれにせよ、ガンダーラを起点とする新たな仏教が、中央アジアを介してシルクロード伝いに東アジアまで伝播していくことになる。カニシカにそうした「布教」の明確な意図があったとは思えないが、結果的に彼はそうした北伝仏教のパイオニアとなったと言える。
 しかし、クシャーナ朝自体はカニシカの没後、衰退を続け、3世紀に台頭したイラン系ササン朝によって滅ぼされた。ササン朝はゾロアスター教を信奉し、他宗派には抑圧的だったが、仏教はササン朝領内の残存クシャーナ勢力の下で、しばらくは維持されたようである。しかし、それも7世紀、イスラーム勢力のペルシャ侵攻によるササン朝の滅亡とともに潰えた。
 ちなみに、後のアッバース朝下で有力家系となるバルマク家はササン朝支配下のバクトリアで仏教寺院ナヴァ・ヴィハーラの管長を世襲していたが、イスラーム勢力により拉致され、イスラームに改宗したペルシャ系一族である。

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