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2016年6月21日 (火)

仏教と政治―史的総覧(連載第10回)

三 スリランカの仏教化

植民地化と仏教の消長
 スリランカ仏教は、16世紀のポルトガル人の到来により、大きな転機を迎える。ポルトガルは当時、西海岸で有力だったコーッテ王国や北部のジャフナ王国への攻勢を強め、植民都市コロンボを中心にスリランカ支配を開始した。
 ポルトガル人はスリランカ(シンハ・ディーパ)をセイラーン(セイロン)と呼んだ。このポルトガル領セイロンの時代、ポルトガルはカトリックの布教活動を展開した。これは仏教を揺るがしたが、当初ポルトガルと同盟して勢力を伸ばしたキャンディ王国ではカトリックにも比較的寛大な政策を採った。
 しかしポルトガルがキャンディ王国を脅かすようになると、王国は17世紀初頭、ジャワ島に拠点を置きつつ、セイロンにも手を伸ばしてきたオランダに支援を求める。セイロンをめぐるオランダとポルトガルの攻防は1601年から60年に及ぶ歴史的な長期戦となったが、最終的にオランダの勝利に終わった。
 これにより、18世紀末までオランダ領セイロンの時代に入る。プロテスタント系のオランダはキリスト教の布教にポルトガルほど熱意を示さなかったため、結果的に仏教は保護され、復興の兆しも見えていた。
 この流れが再び転換するのは、フランス革命戦争でフランスに本国を占領されたのを契機に、英国がオランダ植民地に対して攻勢をかける中、18世紀末にセイロンが英国に攻略されてからである。
 ナポレオン戦争後の1815年ウィーン会議でセイロンが正式に英国領と認められると、英国は同年の条約でキャンディ王国を保護国化し、17年にはこれを併合した。
 英当局はキリスト教徒を優遇し、宣教師の活動を積極的に支援する一方、インド南部から紅茶プランテーションの労働力としてヒンドゥー教徒のインド・タミル人を大量移入させ、ヒンドゥー教徒の割合が増えた。
 このことは、シンハラ人のナショナリズムを刺激し、18世紀から進められていた仏教の復興を促進した。その際、スリランカ仏教は、当時スリランカから伝播した上座部仏教の中心地となりつつあったタイやビルマから逆輸入する形で再編されたのだった。
 こうした仏教復興の動向は、20世紀における英国からの独立後に仏教系シンハラ人とヒンドゥー系タミル人との対立抗争を深める契機となった。その点で、英領セイロン時代は、仏教を近代民族主義と結びつける準備期間であったと言える。

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