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2016年6月 8日 (水)

仏教と政治―史的総覧(連載第9回)

三 スリランカの仏教化

仏教王朝の確立
 仏教を受容したアヌラーダプラ王朝は古く前6世紀代におそらくはベンガル地方から移住してきた集団によって樹立され、前回見たマヒンダ僧正の渡来・布教によって仏教を受け入れて以降は、ぶれることなく、南伝仏教の中心地となった。
 前1世紀頃、第四回結集がスリランカのアルヴィハーラ石窟寺院にて開催されたとの伝承も、スリランカが上座部仏教の中心地として確立されたことを示唆している。ただ、前1世紀から4世紀にかけ、大寺派から二つの分派が生じ、分派では北伝の大乗仏教を受容する動向も生じ、宗派的には混迷が続くこととなった。
 とはいえ、アヌラーダプラ王朝は、マヒンダも出自したマウリヤ朝をはじめ、インド亜大陸部の諸王朝とは異なり、仏教が王個人の信仰にとどまらず、事実上の国教となったことを大きな特徴とする。その要因としては、亜大陸部から離れた島嶼部スリランカではバラモン教が希薄で、外来の仏教が受容されやすかったことが考えられる。
 また、亜大陸部とは異なり、地理的にも閉鎖的な島国ゆえ、アヌラーダプラ王朝は対抗的な王朝の挑戦を受けることなく、1500年以上にわたり持続したのであった。ただ、南インドのタミル系パーンディヤ朝による侵略を受けて次第に衰退し、最終的には11世紀初頭、同じタミル系チョーラ朝の侵攻を受けて中部のポロンナルワに亡命・遷都した。
 ポロンナルワ朝は改めて大寺派を正統と定め、分派を弾圧したことで、スリランカの大乗仏教は衰退し、上座部系で確定した。同王朝は13世紀まで存続するが、次第に衰亡し、同世紀末に終焉した。
 その後、シンハラ系王国は分裂するが、15世紀初頭に成立したコーッテ王国が北部のタミル系ジャフナ王国と対抗しながら、一時全土支配に成功する。しかし、これも大航海時代を迎えたポルトガルの侵食を受け、16世紀末には滅亡した。
 代わって台頭してきたのは、中央部を本拠とするキャンディ王国であった。この王国は元来、コーッテ王国の属国であったが、ポルトガルと協力・同盟して支配を確立していった。
 キャンディ王国は伝統的な仏教を国教としつつも、18世紀に王家がドラヴィダ系テルグ人に転換されるとヒンドゥー教の要素も受容し、他方ではポルトガル人が持ち込んだカトリックも保護するなど、複雑化する内外情勢下、多宗教の共存を基盤としていた。
 しかし、西洋列強のアジア進出が本格化し、17世紀以降、スリランカに進出する列強がポルトガルからオランダ、イギリスへと移り変わる中、キャンディ王国はその波に飲み込まれていくのである。

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