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2016年4月23日 (土)

仏教と政治―史的総覧(連載第6回)

二 インドにおける仏教政治

マウリヤ朝以後の仏教政策
 全般的に仏教に傾斜していたマウリヤ朝が滅亡した後、登場したのはマウリヤ朝将軍の出身とも言われるプシャヤミトラがクーデターによって建国したシュンガ朝であった。プシャヤミトラはインド伝統のバラモン教を信奉し、反仏教政策を採ったとされることが多い。
 特に仏教の伝承では彼が仏教団を弾圧し、僧侶を大量虐殺した悪行が強調されるが、一方で仏教徒も重臣に起用するなど、排仏政策はさほど徹底されていたわけではなかったとの反論もある。少なくともプシャヤミトラ以後のシュンガ朝諸王は、仏教に対して好意的な態度を示すようになっていったようである。
 むしろシュンガ朝が成立した紀元前2世紀初頭頃より、仏教に押され気味だったバラモン教勢力自身の巻き返しが強くなったと見られる。親バラモン的なシュンガ朝の成立は、かれらにとって大きなチャンスであった。おそらくは、バラモン教勢力が王朝の庇護・黙認下に仏教徒を迫害することが多くなったのかもしれない。
 シュンガ朝を継いだカーンヴァ朝はシュンガ朝の臣下に出自する後継王朝で、やはりバラモン教を支柱とした。やがてカーンヴァ朝はデカン高原から出たサータヴァーハナ朝によって滅ぼされ、マガダ地方を拠点とした歴代のマガダ国系王朝自体がいったん滅亡した。
 サータヴァーハナ朝支配層はアーリア系ではなく、南インドに多いドラヴィダ系とも言われ、マガダ国系諸王朝とは異質の集団であったが、宗教上はバラモン教に依拠した。しかし仏教も保護され、王族の信者・寄進者も存在していた。とはいえ、仏教団はバラモン教祭礼に参加させられるなど、国教的地位にあるバラモン教に対しては従属的な地位に甘んじていった。
 その後、マガダ地方の小領主から出たと言われるグプタ朝が紀元後3世紀に興り、再びマガダ国系王朝が覇権を取り戻す。グプタ朝の始祖スリ・グプタは、バラモン教徒ながら領域内での仏教団の活動には寛大だったとされる。
 グプタ朝の実質的な創立はスリ・グプタの孫に当たるチャンドラグプタ1世の時代であるが、以後6世紀半ばまで200年以上続いた同朝期に、バラモン教はヒンドゥー教へと発展的に再編されていき、従来の習俗的信仰から宗教体系としての確立を見る。
 他方、この間も仏教は弾圧されず、その存在を認められたばかりか、5世紀には当時最大級の教学機関であったナーランダ僧院が建設され、最大1万人の学生が学んだ。その中にはかの玄奘三蔵もいた。
 このように、インド諸王朝による仏教政策はシュンガ朝初期を除けば、必ずしも排仏的ではなかったのだが、諸王朝はバラモン→ヒンドゥー教を中核的な宗教として格別に保護したため、結果として、仏教は次第にインド亜大陸中心部では衰退していったのである。

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