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2016年3月 9日 (水)

仏教と政治―史的総覧(連載第1回)

序 シャーキャ国

 キリスト教、イスラーム教と並び世界三大宗教の一つに数えられる仏教は、他の二つの宗教に比べ、俗世間から離脱した脱政治的なイメージが強いが、仔細に見れば決してそんなことはないことがわかる。特に、南アジアから東アジアにかけてのアジア大陸東半部では仏教は政治と浅からぬ関わりを今日でも有している。

 そのような仏教と政治の関わりを史的に総覧する旅が本連載の目的であるが、旅の出発点はやはり開祖釈迦が出たシャーキャ国である。周知のとおり、釈迦の名はこの部族名かつ国名でもあったシャーキャに由来するのであるから、このことからして仏教の政治性は明白である。
 シャーキャ国は紀元前6世紀前後の北インドにてアーリア人が形成した十六大国の一つで強大なコーサラ国の属国であり、その都カピラヴァストゥの位置は諸説あり帰一しないが、現在のネパール領内もしくはネパール国境のインド最北部にあったと推定される。そうした地理的関係から、シャーキャ族はアーリア系ではなく、チベット‐ビルマ系民族だったとする説もあるほどである。
 ただ、アーリア人は早くからヒマラヤ山麓方面まで進出していたと見られ、シャーキャ族もそうしたアーリア人の北方辺境支族だった可能性が高い。しかし、その周辺にはチベット‐ビルマ系民族も居住しており、シャーキャ国は今日のネパールのようにアーリア系とチベット‐ビルマ系が混在する国だったと見る余地は十分にある。
 そうした点で、仏教は民族的・文化的な境界線上の混成的な辺境国家で誕生した宗教だと言える。辺境性という点では、キリスト教やイスラーム教もユダヤ人とアラブ人が交錯する中東辺境地で誕生しており、辺境性は三大宗教に共通する特徴とも言える。

 さて、当時の北インドのアーリア人諸国家には大きく分けてコーサラ国のように王が支配する王制のほかに、専制的な王を持たず部族集会で選出された執政が政治を行なう共和制の二種があったが、シャーキャ国は共和制であった。
 族長(ラージャン)を集会で選挙する部族集会制はアーリア人の伝統であったので、シャーキャ国のような共和制はアーリア人の伝統に忠実で、古風な慣習を守っている保守的な国であるとも言えた。しかし完全な民主制ではなく、王制では王を意味するラージャと呼ばれる貴族が存在した。釈迦、本名ガウタマ・シッダールタもそうしたラージャの生まれで、有力氏族ガウタマ氏の公子であった。
 青少年期には裕福で不自由のない生活が保障されたが、所詮シャーキャ国は大国の属国という従属的地位にあった。よく知られているように、シッダールタ公子は29歳の時、恵まれた貴族生活を捨て、出家の道に入るわけだが、その動機は純粋に宗教的な霊感ばかりでなく、辺境の小さな属国の公子という地位に将来性を感じられなくなったという俗世間的な要因が全くなかったと断言できるだろうか。実際、シャーキャ国は釈迦の晩年、コーサラ国の王位を簒奪した王子ヴィドゥーダバによって攻略され、民族もろとも殲滅されてしまうのである。

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