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2016年3月28日 (月)

仏教と政治―史的総覧(連載第4回)

一 初期仏教団と政治

ヴァッジ国と根本分裂
 釈迦没後、マガダ国の首都ラージャグリハで仏教史上最初の宗教会議である第一回結集を大檀越として後援したのは、かのアジャータシャトル王であったと言われる。この時は、釈迦十大弟子の一人マハーカーシャパを座長として経典と戒律の整理編纂が行なわれた。
 しかし、この後、仏教団は当時の十六大国中、最も自由主義的な気風の強かった自治共和制のヴァッジ国に拠点を移したようである。このことは、釈迦没後100周年の第二回結集が同国の商都ヴァイシャーリーで開催されたことや、仏教僧団を意味するサンガ(僧伽)がヴァイシャーリーの同業者組合を意味する単語に由来することにも現われている。
 このヴァッジ国が、仏教史上の大分裂である「根本分裂」の舞台ともなる。「根本分裂」の時期については釈迦の生没年ともども諸伝による齟齬があり、確定しにくいが、第二回結集の後とされている。何をめぐる分裂であったかについても説が分かれるが、ヴァッジ国の比丘が提起した教団の戒律を緩和する修正規則をめぐる対立(十事問題)であるとする説が有力である。
 戒律のあり方をめぐっては、つとに釈迦存命中にも前回触れたデーヴァダッタによる五事戒律をめぐる騒動が起きていた。五事とは、一 村邑立入り禁止 二 托鉢戸別訪問の禁止 三 俗人的着衣の禁止 四 樹下瞑想の義務 五 魚肉・乳酪・塩の摂取禁止というものだが、釈迦はこの提案を却下したのだった。
 いずれも苦行に近いかなり厳しい戒律であり、反苦行論の釈迦には合わない方針だったと見られる。ということはそれだけ原初仏教団の戒律は緩やかであったことも意味しており、釈迦の自由主義的な思想が教義にも反映されていたと考えられる。結局、デーヴァダッタは分派活動を筆頭とする三逆の罪により生きながら無間地獄に落ちたとされるが、これが意味するのは教団からの破門であろう。
 戒律のあり方をめぐる論争は釈迦の存命中は破門で処理できたが、その没後にはより大きな内部対立とその結果としての根本的な分裂を引き起こしたのである。論争はとりわけヴァッジ国の比丘が提起した十の緩和された戒律のうち、在家信徒からの布施の是非をめぐって生じ、これを容認する大衆部と容認しない教団長老を中心とする上座部とが分裂したとされる。
 政治的にはヴァッジ国の自由な気風に染まった革新派とこれを忌避する保守派の対立である。これはこの頃、教団内部で在家信徒にも連なる末端比丘と権威的な上級比丘の階層化が進んでいたことをも示しているが、この対立は教団内部の階級闘争では済まず、現代仏教にまで持ち込まれた上座部仏教と大衆部から派生したとされる大乗仏教の恒久的な分裂を結果した。
 このような分裂は釈迦が意図しなかったことに違いないが、大分裂は大宗教の常であり、仏教もその例外に漏れなかった。ただ、仏教の大分裂はキリスト教におけるカトリック‐プロテスタント、イスラーム教におけるスンナ派‐シーア派の対立ほど政治的な紛争の要因とはならなかったことは注目されてよい。

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